新作短編「黒薔薇紅薔薇」/母のこと

新作短編をアップしました。

 

「黒薔薇紅薔薇」

https://fujossy.jp/books/26946

Webイベントの無配用に書き下ろした短編ですが、こちらに連載するにあたり、ちょいちょい加筆修正を行っています。

 

3話完結なので3日連続で更新してサクッと終わらせようとしたら、第2話をアップした日の夜に実母が亡くなりそれどころではなくなってしまい、完結の第3話公開まで間が空いてしまった……という経緯があります。

 

母は後期高齢者もいいところといった年齢で、天寿を全うしたと言えます。なので正直、母の死に接して悲嘆に暮れる……といったことはありませんでした。

 

3月の時点で余命宣告されていまして、本人もそれを知っていました。「ゴールデンウィークまで保てばいい」。それが医師の見解でした。

実際はゴールデンウィークは至って元気に過ごし、心配して様子見に来た人々は皆一様に肩透かしを食らったような顔をしていました。それを乗り切ると急激に足腰が弱っていきました。昨日できたことが今日できなくなくなる。まるで幼児が、昨日できなかったことが今日突然できるようになるのを逆行するようでした。人はこうして「還ってゆく」のだなあ、と思いました。昨日までゆっくりとは言え自力歩行してたのが、杖や歩行器といった支えなしでは歩けなくなる。支えがあっても歩けなくなる。一度座ると自力では立ち上がれなくなる。寝た姿勢から上半身を起こせなくなる。咀嚼ができなくなる。嚥下ができなくなる……。

 

宣告の期限から1ヶ月後の6月7日。自宅のベッドで、文字通り眠るように亡くなりました。在宅のまま緩和ケアに徹していたので、痛い・苦しいといったことはほぼなかったと思います。その前日まで、わずかながらも意思の疎通を図ることもできました。私との最期の会話は、「また来るね」に返事したのであろう「ああね(またね)」でした。

 

わがままで派手好きな母でした。

媚びない美しさがいいのだと、ローレン・バコールのファンでした。

過干渉で独善的で、それでいて依存的なところもありました。大人になってからも何度も衝突しました。

私にとっては、好きなところより嫌いなところのほうが多い母でした。

でも、死に様だけは立派で、誇らしく思います。私もこんな風に死にたいものだと思いました。

 

準備期間を充分に与えてもらえたからか、悲しいよりも安堵の気持ちが大きいのです。

葬儀やなんやかんやでバタバタしているからよ、そのうちガクッと来るよ、と言う人もいましたが、今のところ「ガクッ」は来ず、ただただ「よかったなあ」と思います。食べたいといったものはなんでも用意して食べさせられたし、お風呂が大好きなのに入浴がままならなくなったときには足湯をしてあげられたし、葬儀の仕方もお墓のことも本人の希望が聞けて、その通りにできたし、「もっとこうしてあげればよかった」という後悔がまるでないのです。

自分の身に置き換えてみると、「子供になんの後悔も抱かせずに逝く」なんて子を持つ親としては最高じゃないかなあ、と思ったりします。


というわけで、ワタクシゴトではありますが、そういったことがありまして、なかなか創作時間が取れなかったわけですが、追々また活動していこうと思います。今後ともご贔屓に。