久しぶりに泣いた。

リハビリ行こうとしたら玄関でひっくり返って、久しぶりに本泣きした🥺しかも麻痺してる右肩と足打ったしひじも擦りむいた。痛さ100%のめちゃめちゃ痛い。

 

人間倒れるとき視界がスローモーションに見えるとか、まさにそう。後ろ向きで倒れたる瞬間複数の事が頭に駆け巡った。怪我するってのはもちろんだけど、落ちた眼鏡が飛んでどっか消えるとか、眼鏡の心配や、後ろにあったメダカが入ってる鉢を割るだのひっくり返すとか、割るだの心配だとか、直前の恐怖と、後ろ向きでひっくり返った事でメンタル100%削られた。

 

そんな事が頭に浮かんで倒れた。そのあと親に助けてもらったけど精神的にダメージ食らって半泣き。こんな痛みや恐怖、半麻痺の体の人にしかわからない。立ちたいのに立てない惨めさは辛いものだ。一体誰がわかるって言うのか。これが仕事で体を壊し、不健康な体になった人間の末路だ。こうならない為にも健康は大事にしよう。

 

あまりのショックで涙が止まらんよ。

どうしてこんな体になったのか。

子供の頃、自分が将来こんな体になるとは

思わなかっただろうな。

 

病気で色々失った。

絵を描くことも、仕事行ける体も。

あるのは麻痺の後遺障だ。

毎日続く痛みに付き合わないといけないし

毎日薬も飲まないといけない

これが死ぬまで続く。

 

私をこんな体にした仕事場のヤツラが憎い。

私が病気で倒れたとき奴らは見舞いにも

謝罪にも来なかった

今ものうのうとあいつらは生きてる

パワハラの果に倒れた私は労災に入ってもおかしくない。

でもそれすら言えない。結局弱者は弱者。

何も変わらない。これが日本だ。

私みたいな弱者は涙を飲むしかない。

何もできないから。そう言う同じ目にあった人が

この国に何万もいるのも事実だろう。

ときどき悔しくて堪らなくなる。

叫びたくなる。何で私だったのか。

 

こんな体になって失うものもあったけど

取り敢えず生きようとは努力している

病気だからなるべく穏やかに過ごす努力もしてる

でもときどきそう思うと怒りで悔しくなる。

本当に惨めだ。自由な体が羨ましい。

絵をかける喜び。仕事に行ける喜び。健康な体の喜び。

私はそれすら失った。でも、何かを失ってもまだ

希望は失ってない。それを希望と言うのかわからない。

望みはないかも。ただの戯言で暇つぶしかもしれない。

でも、私にはまだ文章がある。物語がかける。

だから私は自分で書きたい小説を書く。

誰にも読まれないものを書いても、読んでくれてる人の為にそれを届けたいと思う。最近は自分の命の寿命を考えている。10年後、20年後、自分は生きているのか考える。その前に病気が再発して倒れたる事もある。

 

私が今やってる事はただの無意味なのか、それともあがきなのかも分からない。私はこのまま変わらないかも、それすら分からない。でも、やってみる。私には書くことしかもう何も残ってないから――。