『紙ふうせんを……』(■ご意見について■)
こんにちは、きつつ輝です!
遊びに来てくれて、ありがとうね♪
大事な時間使うて読んでくれた事、すごい感謝しとる!そういう事できるんはさ、考えをしっかり持っとるでやと思う。
なんちゅうかさ、考え、思い描く世界がそれぞれにあるで。読み手と書き手の世界観同士がリンクして、執筆いう場所を介して人間がつながってくんかなー……って、思うよ。
言いにくい事も言うてくれて、ありがとう。
「コンテスト作品を10ページ以内に」というご意見をいただきました。
読んでくれる人は大事にしたい。
意見は真摯に受け止める。
この意見に関して、自分の結論が明確になったので、記させていただきます。
ごめんなさい。
それは、できやんわ。
読んでくれる人の気持ちを、無下にする事になってしまうけど。
そういう執筆の形に、自分の目指すものはあらへん。
だから、できやん。ごめんな。
自分は、執筆は五線譜に音符を連ねる事やと思うとる。
言葉と音符て似とるで!
「あ」とか「う」とか「びゃ」とかな。それ一つでは意味分からへん。なんも意味ないんや。
でも、この言葉が連なる事で言葉が意味を為し、どんどんつながってく事で、世界が織り成される。
音楽といっしょやろ?
一つ一つ単独じゃ意味を為さん音符を連ねて、一つの音楽つくる。でも、音聞くだけに音楽はつくらへん。そこに世界を生むために、音楽つくるんや。
でも。世界を生むためには音符だけじゃ足りへん。
休符が必要やったり、クレッシェンドの松葉さんも必要や。ピアニッシモやアクセントもあったりする。
こうした音楽の演出が、執筆においての行間の空白やったり、改ページやったり。文章の途中でぶった切っての改行やったりする。
一行だけで改ページすんのも、どうしても必要なんや。
改行を重ねるんではあかんのや。
もっと簡潔に例えるなら、フィギュアスケート・町田樹選手の『第九交響曲』思い出して!
冒頭、空白の20秒。
音楽かかっても、動かへん。町田選手、ずっと止まっとる。
でも、あれこそ町田樹選手で、町田樹選手の作品なんや!
あの空白の20秒をなくしたら、町田樹選手の作品ちゃう。
空白の20秒ごと町田樹選手なんや!
……自分の目指すものは、あれやと思う。
空白すらも世界を映すものにしたい。
……とはいっても。
今回、読んでくださったのに、それが全く伝わらんかったんは、自分の技量不足にほかなりません。
今後、納得していただけますように、精進を重ねたいと思います。
あとな!
1ページの文量も多くしたないんやわ。
1ページあたり、1000字未満が理想。自分あほやでさー、活字慣れしとらんねん。
1000字以内が読みやすいねんなー。
どんな子が読んでくれとるか分からんけど、活字キライな子にも読んでほしいと思うとる。つーと、そういう子らに読みやすいっちゅう、きっかけがないとあかんのや。
1ページの文量を抑えると、10ページは越えてまう。
だから、ごめん。
自分は世界を描き、提示するだけ。
言葉を借りるなら、紙ふうせんを空へ高く……高く上げるんや。
そこから先はどうなるか分からんよ。
そこから先を描いてくれるんは、みんなの評価やな。
たくさんの人に読んでもらいたい気持ちはある。
せやけど、例え一人も読んでくれんかっても、自分は世界を描き続ける。
両方の気持ちを持って。
読んでくれる人の気持ちは大事にしたいです。
聞いてくれて、ありがと♪
ほなね!