1 / 25
訃報
『香織が死んだ』
イタリアンシェフになるため、ミラノの三ツ星レストランで2年間の修行を終え、3日後に帰国を控えていた倉持遥翔(はると)は、スマホを耳にあてたまま体が固まった。
「……え……?」
香織───北條香織は、遥翔の実家の向かいに住んでいた幼稚園からの幼馴染みだ。
過去形なのは、実家の隣に住んでいた、同じく幼馴染みの北條新との結婚を機に、新居のマンションに引越したからだ。
もう一人、遥翔には幼馴染みがいる。
片桐和臣。和臣は小学校入学の時からの幼馴染みで、家は少し離れたところにあった。
電話は、その和臣からだった。
「和……今、なんて?香織が……なに?」
『一昨日、事故に遭って…車に轢かれたんだ。その時、頭を打って……ハル?聞こえてるか?』
遥翔は遠くなりそうな意識を必死に繋ぎ止め、大きく深呼吸する。
「……聞こえてる。」
『明日、通夜になった。明後日告別式。』
「明日!?」
『ああ。斎場や坊さんの都合が合わなくてな。ハル、帰って来られるか?帰国は確か3日後だったよな。さすがに難しいか?』
3日後の帰国のためのチケットは手元にあるが、明日のチケットが取れるかどうかはわからない。
それでも、なんとしてでも帰らなければ。
通夜は無理でも、せめて告別式には参列したい。
和臣が嘘をついているわけではないことはわかっているが、この目で真実を見るまでは香織が死んだなんて信じられない。
信じたくない。
もしかしたら、2年ぶりに帰国する遥翔へのサプライズかもしれない。
ああ、きっとそうだ。
仕方ない、騙されたフリをしてやろう。
そうでも思わなければ、遥翔は心臓が壊れてしまいそうで怖かった。
「とにかく、すぐ空港にキャンセルがないか問い合せて、最短で帰るから!」
『わかった。悪いな、帰国の準備で忙しいのに…。』
和臣の優しい声色に目頭が熱くなるのを、遥翔は首をブンブンと横に振って無理矢理抑え込む。
「和、新は……?」
香織の夫でもある幼馴染みの顔を思い浮かべると、抑え込んでいた涙がまた込み上げてくる。
小さい頃から泣き虫だった新は、きっと身体中の水分がなくなってしまうくらい泣いているはずだ。
目を閉じると、新の泣き顔がすぐに浮かぶ。
『………あいつ、泣かないんだ。』
はぁ…と、大きな溜息をひとつ吐いた後、和臣が絞り出すような声で呟く。
予想だにしていなかった返答に驚き、伏せていた瞼が上がる。
「……え……?」
『ただずっと香織のそばにいる。食事も睡眠もとらずに、ただひたすら、そばにいるんだよ。……何も言わず、時折香織の髪や頬を撫でたりしてるんだ…。もう、見てられなくてさ…。』
「……和……。」
和臣の声が震えている。
今すぐにでも日本に帰りたい。
新と和臣を抱き締めてあげたい。
それが出来ない事が歯痒くて、遥翔は痛いくらいに拳を握る。
「和…大丈夫か?」
『ああ…悪い。俺は大丈夫だ。空港まで迎えに行くから、日時がわかったら連絡をくれ。』
「わかった、すぐ連絡する。和もちゃんとごはん食べて、睡眠も取れよ。」
『おまえもな。』
「ああ、じゃあ。」
和臣との電話を切ると、すぐに空港に電話する。
タイミング良く明日の便にキャンセルが出たと聞いてすぐにチケットを押さえ、遥翔はスーツケースに荷物を押し込み、翌日帰国の途についたのだった─────。
ともだちにシェアしよう!