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第30話 未来

 安藤は仁がひどく戸惑っているのを察して、肩から手を離しわざとらしく身を引いた。 「まあ、俺と結婚したら年齢的に俺の方が仁の将来を壊す感じになるんだけどな……」  少々小狡いかもしれないが、昔からある恋愛の常套手段の一つ、駆け引きをしてみた。『押してもダメなら引いてみな』というやつである。 「俺はゲイだから、女と結婚するなんて考えたこともないよ」 「じゃあ、いいじゃないか」 「………」  仁は安藤の策(?)にあっさりと引っかかったが、どうやら本人はそのことにすら気付いていないらしい。というより、今日の仁からはいつもの余裕を全く感じられない。  安藤に別れを告げるのが辛かったのか、または家族の命日で家族が亡くなったときのフラッシュバックに苦しんでいるのか。  どちらにせよ、安藤は仁の心境を想像して胸が苦しくなった。 (傲慢かもしれないけど、俺はきみの苦しみなんて100分の1も分かってやれないかもしれないけど……それでも一緒に抱えてあげたいよ、仁)  安藤は、無言で仁の両手を取って優しく握りしめた。自分よりも大きくて、逞しい手だ。  安藤はいつもこの手に優しく触れられて、天にも昇るような心地になって、世の中の理不尽な何もかもから守られている気持ちになっていた。  でも今は……否、これからは自分も仁を護ってあげたい。 「でも優介さん、これからも俺と一緒にいるならもう二度とクリスマスを楽しめないよ」 「30年は楽しんだから、別にいいよ」  子供の頃は楽しみだったが、大人になった今は特にこの行事に思い入れはない。  今日気合いをいれた格好をしているのはクリスマスだからというよりも、仁と一緒に過ごすことのほうに重大な意味があるのだ。 「でもやっぱり男と……俺なんかと結婚したらダメだよ、世間体とか色々あるじゃん。わざわざカミングアウトする必要はないけど、優介さん部下の人とか家に呼んだりするでしょ? 俺のことを秘密にするならそういうの全部断らないといけないよ、せっかく課長って役職にも付いてるのに、もう出世もできないかもしれない」 「それなら会社を辞めて、んー……2人でカフェとか開くのもいいな」 「ええ!?」 「それに佐野さんにはさっきカミングアウトしたし。彼女も仁のことが好きだっていうから、渡さないって啖呵切ってきた」  安藤の言葉に、仁はキョトンとした顔をした。 「え? 結子って俺のことが好きなの? なんで?」 「知らないよ……まあ、気持ちは分かるけど」 「だって結子、優介さんのことが好きだから俺に協力してくれって言ってきたんだけど」 「だから、仁とやり取りしてるうちに好きになったってことだろ」 「マジか……そういや俺、結子にゲイだって言ってなかった」 「だろうな」  なんか悪いことしたなーと言いながら頭を掻く仁に、安藤は「で、」と詰め寄った。 「どうなんだ? 仁。本当に俺と別れたいのか?」 「………」 「俺は一度や二度振られたくらいじゃ諦めないよ。本当に仁のことが好きだから。これからもずっと一緒にいたいと思ってる」 「ずっとって……いつまで?」 「え?」 「優介さんがいつまで一緒にいてくれるかわかんないから……俺、怖いんだよ。気持ちが変わるかもしれないし、俺の家族みたいにある日突然いなくなったりしたら……!」  安藤は仁の手を離すと、今度はぎゅっと抱きしめた。 「それは、俺だって同じだよ」 「優介さん……」 「この世には絶対なんか存在しない、だからこそ惜しまずに努力しようと思うよ。最初から別れるつもりで付き合うなんて、そっちの方が悲しいじゃないか」 「………っ」  仁は、静かに涙を零していた。  安藤からは見えていないけれど、鼻を啜る音や息遣いで分かる。 「仁、」 「ごめんなさい、優介さん……俺、本当は別れたくない」 「うん」 「俺も優介さんとずっと一緒にいたいよ……」 「うん……」 (きっとこれは最初の一歩で、これからも色々あるんだろうけど)  仁が自分との未来を選択してくれて良かった。  今はまだ、あの日灰音に言われた『あいつを幸せにしてやってくれ』という言葉には程遠い状態かもしれないけれど。  少し埃臭い畳の上にゆっくりと押し倒されて、首筋に仁の熱い吐息を感じながら、安藤はそっと目を閉じた。 メロウ・ナイト【終】

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