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第1話 出逢い

 夏の16時になってもキラキラとした日差しが月嶋雫(つきしましずく)の働くカフェに降り注いでいた。ログハウス風で落ち着いた雰囲気の優しい空気と時間が流れる場所だ。    ただ、その日だけはいつものその雰囲気は消えていた。 「だっていつもの言い訳でしょ?もう我慢できないのよ私!」 「俺が信じられないって言うのか?」 「信じられるわけないでしょ!!!!」 バシッ!!! 女性は激高していく。男は頬を殴られていた。  もめる2人の男女、女性はますますヒートアップしていき、テーブルを乱暴にたたいて立ち上がるとその勢いで出されていた2つのグラスは倒れ、テーブル全体を濡らしている。  長身でスマート、いつも物腰穏やかで、滅多に怒ることのないカフェ『ランザ』のマスターも眉間に皺を寄せている。 「マスター何かお出しした方が良いですか?」    小声で声をかけると、チラリとお水の入ったピッチャーを見て、動こうとしたマスターに気がついた雫は、氷水の入ったピッチャーに手をかけた。いくらタイミング良く他のお客様のいない状態でも、流石にこの雰囲気は切迫していた。    その時、ドアのカウベルが激しくなり勢いよく人が入ってきた。 「飯塚、佐竹、お前らいい加減にしろ!」  そこに飛び込んで来たのは、背が高くがっちりした肩幅と身体付き、長めのウルフカットに切れ長の二重の目元をしかめて響かせたバリトンボイスは、その空気の動きを止めさせた。  雫も素の姿に釘付けになる。光を背に背負って現れ、暗くなっていた空気に光をもたらした。 「友長くんには関係ないでしょ!」 「佐竹!」  友長という男にきつく名を呼ばれた佐竹と呼ばれた女性は、顔を真っ赤にして、身体を震わせ、血管が切れるのではと思うくらい顔を真っ赤にして怒りを表していた。まるで猫が毛を逆立てているようだ。  雫の目から見ていてもまるで2人の男性いや、その場の空気からも責められる形になった彼女の心情は分かる気がしていた。 (そこは大きな声を出して止めに入るのは逆効果だと思うのに・・・。)   水を運ぼうとピッチャーの持ち手を右手で握り、布巾を瓶底に左手で当てて動きを止めていた雫は心の中で呟いていた。 「何よ2人して!私を馬鹿にしてるんでしょ!」  立ち上がり怒りに顔を真っ赤にして肩を震わせている姿に雫はどうしたものかと思考を巡らせていた。慌てて来たのか額から汗を盛大に流す友長も、彼女を怒らせた本人もあまりの感情の高まりを目にして固まっている。  そんな中、そんな空気を破ったのはやはり固まっていた男たちではなく、彼女の行動だった。  それはあまりにもあっけなかった。 「うわっ!」  雫も一瞬の出来事で何が起こったのか直ぐには理解出来ない。理解出来たのは自分が手に持っていた氷水の入ったピッチャーが今は彼女の手の内にあるということ。  そこには砕いた氷と水を胸元に盛大に被った友長の姿があった。おそらく飯塚と呼ばれた男への怒りの矛先が後から現れた友長に向けられたみたいだ。  その勢いのまま佐竹はピッチャーを雫の手元に戻してカフェを出て行ってしまう。 「あっお前待て。」  慌てて今まで黙っていた飯塚その後ろを追いかけて行こうとする。 「悪いな友長・・・。」  その一言を残し嵐のように張本人たちは犠牲者を1人残して去って行った。 「大丈夫ですか?」 「すいません・・・。」  身長差からシャツを盛大に濡らした青年がそこにビックリ顔で佇んでいた。  雫は佐竹から受け取っていたピッチャーをカウンターにおき、慌ててカウンターに置いているタオルを差し出した。 「タオルをどうぞ。」 差し出したタオルを受けとるその手は大きく、腕も程よく筋肉のついた逞しい腕だった。まるで死んだ父親の腕のようだった。その時触れた手の感触に、雫は何故だか頬に熱が集まるのを感じ、胸元に手を当てた。 (この感じなんだろう?)  さらさらの長めのミディアムストレートの黒髪が俯くとサラリと落ち、眼鏡に掛かった。大きめな二重の目元を隠すように掛けられた眼鏡の位置を直すように雫は顔をあげた。 「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」  濡れた白のコットンシャツを脱いでTシャツになり、苦笑してタオルで濡れた服を拭きながら言葉をかけて来た。その声はとても誠実で信じられる声だった。 「Tシャツも絞れそうですね。」  雫は屈託なく話しかけていた。 「本当に。」  そういう友長の顔にも入ってきた時にはなかった笑みが浮かんでいる。実際に脱いで絞って見せてくれた。その裸の身体はよく鍛えられ、日に焼けていて眩しく雫は感じた。全く対照的な友長の身体に自らの貧弱さが気になった。 「連れがご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。何かお詫びさせて下さい。」 「いいえ、気にしないでください。迷惑をかけられたの貴方ですよ」  マスターの顔は寄っていた眉間の皺もなくなりいつもの顔に戻っていた。     「ハクション!!」 「雫くん、彼、風邪を引いてしまうからバックヤードからバスタオルの方をお持ちしてあげたらどう?」  雫も端と気が付き、取りに行こうと足を向けた。マスターに言われるまで気がつかなかった事に恥ずかしくなった。 「あっ、Tシャツの着替えがあるここで着させてもらってもいいですか?」 「あっどうぞ。そちらのコットンシャツはハンガーに掛けましょうか?持ってきます。」    雫が声をかけて、マスターからの目配せも受けて雫は足を踏み出す。向けられる友長からの爽やかな笑顔に高鳴る鼓動は今まで雫が知らない感情を呼び起こしていた。 (なんだろう、なんだか胸がモヤモヤする。)  フロアに戻るとマスターはCloseの札を入り口の扉に出して閉店の用意を始めていた。 「閉めるんですか?」 「うん、今日は特別。丁度良いから休んじゃおう~。それにね~、ねっ。」  マスターのことばで振り返れば確かに床は水浸しだ。テーブルも乱れているがでも休む程ではない。疑問は雫の頭に浮かぶが、友長と機嫌良く談笑しているマスターの姿にその言葉に従った。 「こんな日があっても良いね~。」  にこやかに伸びをしているマスターの言葉に雫も頷き、その後は友長も加わり和やかに1日が過ぎていった。

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