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【7】

 緩やかな眠りから目覚めるたびに圭志は仁を求めた。  仁もまた、嫌な顔一つすることなく彼の求めるままに抱いた。  幾度となく繰り返される激しいセックスに疲労し、圭志の発情期が治まったのは二日目の夜の事だった。  Ωが短期間でこれほどのセックスをするということは聞いたことがなかったが、おそらく常用していた抑制剤を突然切らしたことと、仁と体を重ねたことで心身共に満たされたことが重なり、不安定なホルモンバランスがそうさせたのだろう。  こういった状況に慣れ、体が正常な状態に戻って行けば従来通り一週間ほどの発情期間を迎え、緩やかにセックスを楽しむ余裕が出来るはずだ。  汗と精液に塗れたシーツに嫌悪感を示しながら、鉛のように重い体を身じろがせて目を開けた圭志は、すぐ隣で眠る仁に驚き目を瞠った。  こげ茶色の髪を乱したまま寝息を立てる彼は眠っているにも拘らず口元に笑みを浮かべていたからだ。  普段社内で見せる意欲的で何事にも妥協を許さない彼の表情は全く違う。 (この顔、何人の男に見せたんだろう……)  ふと湧きあがった嫉妬心。心臓の高鳴りを隠せずに戸惑っていると、彼の長い睫毛が圭志の視線に気づいたのか小刻みに震えた。  薄らと開かれていく瞼を見つめ、圭志は慌てて彼に背中を向けた。 「――圭志?」  声を掛けられ、圭志は身を強張らせながら掠れた声で応えた。 「起こしたか……。すまない」  その口調はいつもと変わらないものだったが、仁はクスッと肩を揺らして笑うと、彼の腰を引き寄せるように腕を絡めた。 「離せっ」 「嫌です」  首筋に鼻先を埋め、じゃれるようにキスを繰り返す仁が愛おしくて仕方がない。でも、それを素直に口に出せるほど圭志は強くなかった。 「――終わったんですね、発情期……。いっぱい中で出しちゃいましたけど……大丈夫ですか?」 「大丈夫――とは?」 「あんまり動くと溢れますよ……。もう少し、可愛い貴方を見ていたかったな」 「う、うるさい! お前だって……」  言いかけて慌てて口を塞ぐ。部下としてでなく、恋人として愛してくれる仁の腕の心地よさにもう少しすべてを委ねていたかった。  発情期が終われば今までと変わらない生活が始まる。 「――あ、無断欠勤」 「会社には俺が連絡しておきましたから……」 「お前、なんて報告したんだ? まさか……っ」  焦って振り返った圭志の唇に噛みつくようにキスをした仁は、何度も唇を啄みながら口元を綻ばせた。 「――ちゃんと体調不良だって連絡しましたよ。まさか発情期を迎えてしまった……だなんて安易に口に出来ないでしょう? 貴方がΩだったなんて誰も気づいていませんから」  ほっと安堵の表情ですぐそばにある仁の目を見つめる。その瞳から溢れる自身への想いが眩しくて、すっと目を逸らした。 「――まだ何か隠してます?」 「いや……何も」 「俺は圭志に隠していることありますよ」 「え……?」  再び彼を見つめた瞬間、シーツに両手を縫いとめられて自由を奪われる。  そして、左の乳首を唇で挟み込むようにして上目遣いで見上げた仁は少し困ったように眉をハノ字にした。 「古崎係長にたってのお願いがあるんですが……」 「なんだ?」 「あの……都市開発区域の例の土地の件。厄介な地主のところに一緒に行ってもらえないでしょうか?」 「は? お前……何とかするって言ってたよな?」 「何とかなりそうだからお願いしているんです。実はあの土地の所有者は俺の祖父、針原(はりはら)親信(ちかのぶ)なんです。昔から頑固で厳しい祖父でしたが、俺にだけは甘くて……。でも先日「二十七にもなって伴侶がいないとは嘆かわしい」とか言い出して、嫁を連れて来たらあの土地の権利を譲ってくれるって……」 「え? ち……ちょっと待て! 嫁ってどういうことだ?」 「その説明要ります?」 「いや……そこが一番重要だろ? お前の嫁って……一体誰のことだ?」  縫いとめられた手を振りほどき、彼の肩を押し退けようと手を掛けた圭志だったが、一瞬早く仁にその口を塞がれてしまった。厚い舌が口内を蹂躙し、問いかけの言葉をすべて吸い取られてしまう。  その心地よさにうっとりと目を閉じかけて、ハッと我に返る。  無理やり頭を押し退けて、肩で荒い息を繰り返しながら睨んだ圭志に、仁は悪びれることなく屈託のない笑顔で言った。 「貴方の事ですよ……圭志」 「は?」 「他に誰がいるって言うんです? 俺たちは『運命の番』。それを証明したのは貴方の発情。貴方は俺を求め、俺は貴方を求めた……」 「な、何をバカな……。あれは事故で……っ」 「――もう、いい加減素直になりなさい! 圭志、ここには俺と貴方しかいない。つまらない嘘は吐かないと約束したでしょう?」  五つも年下の部下に諭されて、圭志はムスッとしたまま口を塞ぐ。  それは仁の言うことに誤りは何一つ見つけられなかったから――。  しかし、突然体を繋げた相手に『伴侶』だと言われても、そう簡単に頭は切り替わらない。 「圭志……」  柔らかな声音と共に、引き結んだままの唇を何度も啄む。 「――一緒に行ってもらえますか? 俺のお嫁さんになる人として……」  じっと伏せていた目線をゆっくりと彼の方に向ける。  真っ直ぐで濁りのない澄んだ瞳。その中に嘘は見当たらない。  たった一度体を繋げただけ――いや、正確には一度や二度じゃない。  短い発情期の間に何度、彼にイカされたことだろう。  その度に、体の奥の器官がズクリと疼き、彼の精を嬉しそうに欲する。  今、目の前にいる男がサラリと口にしたのは、紛れもないプロポーズの言葉だった。  闇雲に犯し、首筋に自身の咬み痕を残すこともなく紳士的に向き合う彼を信じてもいいかな……と思い始めていた。  圭志はわずかに俯いたまま小さく頷いた。  その頬には薄らと朱が差していた。 「可愛いお嫁さんだ……」 「う……うるさい!」  ベッド脇のサイドチェストに手を伸ばし、そこに置かれた眼鏡を取ろうとした圭志の手を掴んだ仁は、またニッコリと笑いながらチュッとキスをした。 「お前なぁ……」 「俺の前で武装するのやめてください。あと――もう、薬を飲むことも」 「え? それは……」 「今は昔と違う。Ωは希少種として世界的に保護される傾向にある。貴方がΩだと明かしたところで、社内での地位が揺らぐことはない。ましては俺の婚約者だ。誰も手を出す奴はいないでしょう」 「お前、どれだけ買い被ってる? お前ごときの若造があの会社の上層部をどうこう出来ると思っているのか?俺から言わせれば、まだケツの青い……」  言いかけた唇にそっと人差し指を押し当てた仁は、再び圭志をシーツに沈めた。 「おいっ!」 「――貴方を傷付ける奴は、例え社長であっても許さない。大丈夫……」 「お前のその自信は一体どこからくるんだっ!」  シーツを掴み寄せ、脚の間を割ってくる仁から逃れようとする圭志だったが、揺るぎのない彼の想いは痛いほど伝わっていた。  うつ伏せになった彼と体を重ねた仁は、すでに兆している長大なモノを圭志の尻の間に押し付けるとグリグリと抉るように腰を動かした。 「おい……やめろって」  仁の大きな手が圭志の平らな下腹を撫でる。何回も仁の精を受け入れたその場所に掌を強く押し当てて、低く、そして底なしに甘い声で耳元で囁いた。 「――ここが俺の種を受け入れてくれる日を楽しみにしています」  その声にカッと頬が熱くなるのを感じ、圭志はそれを気付かれまいと乱暴な口調で返した。 「バカかっ」  口では強がって見せた彼であったが、幾度となく仁の精を受け入れたその場所がキュン……と疼いていた。  絶対に口にするまいと思いながらも、彼の優しさと双丘に押し当てられたペニスの熱さに眩暈を覚え、長い間一人で苦しみながらきつく結ばれていた唇が自然と綺麗な弧を描いた。  圭志にやっと訪れた幸せ――それを噛みしめるように、彼を迎えるべくゆっくりと脚を開いた。    *****   「――ねぇ、古崎さん。今日こそ、一緒にランチに行きましょうよ」 「一人で行けばいいだろう」 「ホント、つれないなぁ……」  ノンフレームの眼鏡のレンズに映っているのは最愛の男ではなく、パソコンの液晶画面に映し出された決算資料。  そのすぐ脇では、デスクにしがみつくようにしゃがみ込んだ仁の姿があった。  嬉しそうに彼を覗き込む瞳は、まるで散歩を催促する大型犬そのものだ。  会社を一歩出れば、不器用に甘える素振りを見せる圭志だったが、自身がΩであり仁と婚約したことを公言した後でも、社内では無表情を貫き、辛辣な言葉を容赦なく浴びせかける。 「――古崎さん?」  機嫌を窺うように小首を傾げてみせた仁を視界の端に捉えながら、圭志は大きなため息をついた。  そして、せわしなくキーボードの上で動かしていた指を止め、ギロリと睨みつける。 「お前……。あの土地の権利譲渡の書類、ちゃんと針原氏に渡したんだろうな? 俺を利用しやがって……」 「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。利用したんじゃなくて、紹介したんです」 「同じだろ……。さっさと自分のデスクに戻れ」 「ランチにつき合ってくれたら戻ります」 「あのなぁ……」  頭が痛いと言わんばかりに、額を指で押えたまま低く呻いた圭志に、すっと音もなく立ち上がった仁の顔が彼の耳元に寄せられる。  ふわりと香る香水と最愛の伴侶であるという証拠ともいえるオスの匂いが揺れ、ゴクリと唾を呑みこんだ。 「――そのまま、オーダーしておいたネックガードを取りに行って……」  まっさらな白い首筋につつっと指を這わせた仁が意味深な笑みを浮かべる。  婚約しているとはいえ、仁の咬み痕がない以上、他の者に狙われる可能性はゼロではない。それを防ぐために、圭志の首を守るネックガードをオーダーしていたことは知っていた。  肌触りの良い上質な革製で、価格を聞いてさすがの圭志も驚いたことを思い出す。 「仕事帰りでもいいだろう……。社内では今までと変わらずと言ったのはお前だろう? 公私混同もいい加減にしろ」  上司らしく部下を制すると、再びキーボードに指を走らせる。  例え社内とはいえ、婚約者である仁を素っ気なくあしらうのは正直心が痛む。しかし、彼に流されていては仕事が進まない。  心を鬼にして冷たく言い放った圭志に、仁は一瞬寂しそうな顔を見せたが、すぐに気を取り直して再び彼の耳元に顔を寄せた。 「――あなたがここでキスしてくれたら、いい子で『待て』出来ますよ?」  含み笑いしながらそう言うなり、圭志の耳殻に舌先をつつっと滑らせた。  その熱が圭志の体を甘く痺れさせる。 「ん……っ」  周囲に気付かれないように小さく息を呑んだ圭志。慌てて眼鏡のブリッジを指で押し上げて冷静さを取り戻す様に何度か深呼吸した後で、すぐそばにある仁のネクタイに手をかけて引き寄せると低い声で唸るように言った。 「上司をナメるなっ!」  そして――。  ゆっくりと重なった唇が幾度となく角度を変えながら小さな水音を発する。  ワガママで強引で……かなり甘えん坊な最愛の部下は、今日もたくさんの愛情をくれる。  部下の期待は裏切れない。  そう――上司として、運命の番として。

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