3 / 3

第3話

「今日からここが貴女の部屋です」  風呂で丸洗いされ、ドレスを着せられた僕が執事の男に連れて来られた部屋は、とても可愛らしい女性用の部屋だった。  水色がベースの壁紙には菫の様な花が描かれており、一定間隔で壁面に取り付けられているブラケットライトも花の形をしている。調度品は流石は領主様と言うべきか。白で揃えた猫足家具は、ドレッサーもコンソールもカウチソファーも何もかもがお高そうだ。  高い天井の上のクリスタルのシャンデリアを見上げ、感嘆の声を上げていると、ピシッと尻に痛みが走る。 「えっ、な、なに?」  振り返ると執事は黒皮の鞭を持って、仁王立ちになっている。 「リーゼローザ様はその様に下品に大口を開けません」 「は、はあ!?」  叩かれた尻を擦りながら、釈然としないまま顔を上げる。 「今日から貴女の名前はアンネリゼ・ローザ・ローズ・ル・ブランシェ・ド・ブルボン=ヴァレンシュタイン。ヴァレンシュタイン伯爵家の令嬢で、アルベール様の婚約者の”リーゼローザ”です」 「へ?」  思わず間の抜けた声を上げてしまった僕の脇腹に、またしてもピシッと執事の鞭が走る。 「痛い!」 「リーゼローザ様はそんな間の抜けた顔をなさいません」 「は、はぁ……で、でもなんで僕がそんな事を?」 「僕ではなく、”私”です」  またしても鞭でぶたれて顔を顰める僕に彼は言う。 「まずは立場をはっきりさせましょうか?――…お前は奴隷で、アルベール様に3000万Gと言う大金を出して買われた」  ピシッとテーブルを叩く鞭の音に、体が竦みあがる。 「Ωのお前が死ぬまで毎日働いた所で、3000万なんぞと言う大金は稼げない。この意味が分かるか?」 「はい」 「親や親戚、恋人でも何でもいい。誰か3000万を払ってお前をアルベール様から買い戻してくれると言う人間はいるか?」 「い、いません…」 「なら話は早い。お前はアルベール様の”リーゼローザ”になるしかない」  話は分かった。  僕が頷くと、銀縁眼鏡のレンズの向こうにある、男の神経質そうな切れ長の目がスッと細くなる。  表情の変化の乏しい男で分かりにくいが、どうやら彼は笑ったようだった。 「飲み込みが早くて助かる。何か質問はあるか?」 「体を洗われている時、メイドのお姉さんが『今度のリーゼローザ様は』と言いました。ぼ……わ、私は一体何人目のリーゼローザなんですか?そして私の前のリーゼローザ達はどうなったんですか?」  チェーンの付いた眼鏡をクイッと直しながら執事は「メイドにも教育をし直さなければな」と嘆息する。 「答えてはくれないんですか?」 「……お前で5人目だ」 「私の前のリーゼローザ達は?」 「彼女達はアルベール様のリーゼローザになれなかったので解放された。お前もアルベール様の望む”リーゼローザ”になる事が出来なければ、じきに開放されるだろう」 「解放、……自由にしてもらえるんですか?」 「まさか。お前は今までのリーゼローザもどきと違い、高い金を払っているんだ。”不良品”と言う事で奴隷商の所に送り返し、金を半分返してもらう事になるだろう」 「…………。」  やはり世の中そんなにうまい話はないらしい。 「変な事は考えるなよ、アルベール様のお仕置きは厳しいからな」  彼は良くしなる鞭の持ち手の部分を白いハンカチで拭きながら言うが、言われるまでもなく僕には元よりそんな気はなかった。  アルベールがどんな人間かは良く分からないが、僕は彼が自分の「魂の番」だと思っている。……まさか女装させられる事になるなんて思いもしなかったが。僕は彼の事をもっと知りたいと思っているし、今もこの部屋から抜け出して彼の元に行きたいと思ってる。 (こんなの、初めてだ……) ―――…早く、あの人に会いたい。  出会ったばかりだと言うのに、あの人の傍にいないだけで居ても立っても居られず、妙にソワソワした気分になっている。 「最後に、もう一つだけ教えて下さい。本物のリーゼローザは今どこにいるんですか?」 「そんな事はどうでも良い、それよりも自分の事を考えろ」 「え?」 「前向きに考えると良い、このまま上手い具合に”リーゼローザ”になる事が出来たら、お前はローマリア侯爵夫人だ」  鞭の棒の先端を喉元に突きつけられて、僕は息を飲む。 「アルベール様は少々気難しい所はある方だが、あの通り美形で頭もキレる。ローマリア侯爵家のご当主様で、鉄道事業を起こし、ここ数年で巨額の財を成したやり手の実業家でもある。奴隷の坊ちゃんからすればこれだけ上手い話もないだろう?」  そうかもしれない。  幼い頃両親を亡くし、物心ついた頃から馬車馬の様に働いて来た僕からすれば確かにこれほど上手い話もなかった。  発情期を迎えたΩの僕は、もう以前のように働く事もままならない。  発情抑制剤を使えばそれは可能だが、そんな高価な薬は貴族でもなければ買う事も出来ないのだ。  発情期に薬を打たなければどうなるか?――…αやβに犯されまくる未来が待っている。  前住んでいたお屋敷で、使用人の仲間や旦那様に無理矢理犯されそうになった事を思い出し身震いする。  またあんな事が起こるくらいなら、誰かの庇護の元に……それこそ権力者であるアルベールの家で厄介になっていた方が安全だろう。  薬を買う事もままならず、毎月発情期が来る度に不特定多数のβ達に犯されまくるくらいなら、αのアルベールに飼われていた方がまだ健全な気がする。――……例えそれが女装をして、リーゼローザと言う女性を演じて生きる事だとしても。 「物分かりの良いガキは嫌いじゃない」  そして僕はリーゼローザとしての”教育”を受けた。 ―――それから僕は、ゆっくり時間をかけてアルベールのリーゼローザとなって行った。  僕が彼を番だと感じている様に、彼も僕に何かを感じているのかもしれない。 「おいで、リーゼ。風が冷たくなってきた。そろそろ屋敷に戻ろうか」 「はい」  肩に掛けられた外套にアルベールを振り返ると、彼は柔らかく微笑む。  初めて出会った頃は氷の様に冷たかったアイスブルーの瞳は、今はとても優しい色だ。  僕達の間には、穏やかで優しい時間が流れていた。  彼を好きになれば好きになる程、僕は彼に”リーゼ”と呼ばれる事が辛くなって行った。  本音を言ってしまえばセレスと言う本当の名前で呼んで貰いたいし、”リーゼローザ”ではなく僕の事を愛して欲しい。  でも彼の隣にいる事が出来るのなら、それでも良い。――…リーゼローザでも何にでもなってやる。  魂の番と伴にあると言う事は、ただそれだけで身も心も、魂までをも蕩けさせる様なとても幸せな事だった。  こんな幸せ、僕は今まで知らなかった。   ――その時、 「こ、困ります勝手に入られては!」 「何、βの執事ごときが私に逆らうの?」  不機嫌そうに執事の男を振り払い、裏庭にやって来た女を見て、アルベールの動きが止まった。  怪訝に思いながら彼の視線に釣られる様に、僕もそちらに目をやって、――…そして絶句した。  そこには白いレースの日傘をさした、それはそれは美しい少女が立っていた。  腰まで綺麗に伸ばしたストロベリーブロンドの艶やかな髪、どこか挑発的な色を湛えた菫色の瞳、白い柔らかな頬、人形の様に愛らしい顔立ち。華奢な体を包む、清楚な空色のワンピース。  一目見て分かった。 ―――本物のリーゼローザだった。  確かにその少女は僕と良く似ていた。 「アルベール!」  アルベールと目が合うと、彼女は花が綻ぶ様に微笑んだ。 「アルベール、やっぱり私にはあなたしかいないの! お願い、やり直しましょう!」  少女に抱き着かれて揺れるアルベールの瞳を見た瞬間、僕の中で今まで感じた事のない激しい激情が生まれた。 (……優秀なαだろうが本物のリーゼローザだろうが何だろうが、そう簡単に渡す訳ないじゃないか) 「お待ちください、今は私がアルベール様のリーゼローザです」 「は?」  リーゼローザは僕を振り返ると不快そうに眉を顰める。  しかし彼女はすぐにαらしい傲慢不敵な笑みを口元に浮かべた。 「あなたΩでしょう?下等なΩごときがαの私に勝てるとでも?」  勝てないかもしれない。αと言う生き物は皆、得てして優秀だ。だからこそ彼等はこの世界を支配している。――…でも、この椅子はもう僕の物だ。あんたには死んでも渡さない。  睨み合う僕達を見て、何か言おうとするアルベールを彼女が手で制する。 「いいわ、なら今から勝負しましょう。万が一あなたが私に勝つ事が出来たらあなたにはこの男も”リーゼローザ”の名前もくれてやるわ」 「それはアルベール様だけではなく、私にヴァレンシュタイン伯爵家令嬢の地位も下さると言う事ですか?」 「そうよ、下等なΩごときには無理な話だけど」  鼻で笑うリーゼローザに、僕はほくそ笑む。 「分かりました、受けて立ちましょう」 ―――そしてΩの僕と、αのリーゼローザの椅子盗りゲームが始まる。

ともだちにシェアしよう!