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ピロートーク
ベッドの上でうつ伏せになった希望が、顔を上げて頬を膨らませている。
「ライさんえっちなことばっかり」
そう言って、希望はライをじっとりと睨む。ライはベッドの端に座って煙草を手に取った。
さっきまであんなに乱れてとろとろになってたのに、なに正気に戻ってんだこいつ。ずっと狂っとけ。と思うが口にはせずに、代わりに煙草を咥えた。
希望はまだ不満があるらしい。
「俺はデートがしたいのに!」
「あっそ」
ライの素っ気ない返事に、むぅ、と唇を尖らせる。
すげえ喧しい。そんなに元気ならもっとヤっとけば良かった。
首筋の噛み跡や白い肌に散らされた花びらのような赤い跡を付けたまま、よくそんな子供のような態度が取れるものだとライは変に感心した。
「行きたいところないんですか? 俺とデートしたくない?」
「興味ない」
そう言ってライが希望に背を向けて煙草に火を付ける。するとそれまで元気に喚いていた希望が、しゅん、と静かになった。
「……そっか」
ライが少し振り向いて見ると、希望は諦めたように少し微笑んで、俯いている。
なんでそこで退くんだこいつ。情緒どうなってんだ。急に萎れんな。
希望の態度の変化に呆れて、もう一度背を向けて、煙と共にため息をつく。
ライには希望が諦める理由が理解できなかった。何故ライが行きたいところに行こうとするのだろうか、と。
「……お前の好きなとこ行けばいいだろ」
そう呟くと、背後で希望がゆっくり起き上がる気配がした。振り向いてみると、希望が目を丸くしている。希望の肩から、はらり、と掛けていたシーツが落ちる。
「……デートですよ?」
「聞いてたよ」
「ライさんも一緒に行ってくれるってこと?」
「それがデートだろ」
「ライさんはデート興味ないのに俺の行きたいとこに付き合ってくれるの?」
「そうだって言ってんだろ」
希望の瞳がきらきらと輝く。たっぷりと潤んだ瞳が薄暗い部屋で、僅かな明かりを反射して、丁寧に磨き上げられた黄金のように煌めく。希望が瞬きする度に星が散るのを、ライは鬱陶しそうに睨みつけた。
じわじわと溢れる喜びに、希望がふにゃり、と微笑みかけたが、咄嗟にベッドの中に潜り込んで逃げてしまった。
ライが何も言わずに眺めていると、ちらりと顔を覗かせる。
「そんなこと言って」
ぐぐっ、と表情筋を押さえ込んだ希望が、時々耐えきれずにふにゃふにゃと口元を緩ませている。
けれどぎゅっと眉に力を込めて、キッとライを睨みつけた。
「俺を喜ばせて、浮かれさせて、油断したところを叩き落とす気なんでしょ! そうはいかないからな!」
「は? 喜んでんの? なんで?」
ライが首を傾げると、希望はまた勢いがなくなる。
「だって、……デート……してくれるって……言うから……」
希望が恥ずかしそうに、小さな声でもにょもにょと囁くと、ライが眉を寄せた。
「……お前、ほんっ……とにくそチョロいな」
「うるさいッ! もう悪魔の誘惑には屈しないぞ! 悪霊退散!」
「悪霊なのか悪魔なのかはっきりしとけよ」
「悪魔!」
「決めんの早ぇな。誰が悪魔だ」
俯せに転がったまま希望がシーツを被って顔だけ出して、キャンキャンッと吠える。
「誘惑反対! 誘惑するなら責任とれ! 優しくしろ! 甘やかせ!」等と不平不満を訴える姿は、必死に威嚇する小型犬のようだ。ライの前では動物たちが皆一様にひれ伏すので、生まれてこのかた威嚇されたことも吠えられたことも経験はないが、きっとこんな感じだろう。
喧しい、踏み潰すぞ。と思いつつ、ライは黙って希望を眺める。
ゆっくりと煙草の煙を吸い込んで肺を満たし、吸い込んだ時と同じようにゆっくりと煙を吐き出した。
「で?」
「え?」
希望を見下ろしながら、ライは希望の訴えを遮った。
「デート、しないの?」
それだけ言って、ライがもう一度煙草を咥える。希望はそれをじぃっと見つめていたが、一度目を逸らして、俯いた。
またなんかゴチャゴチャ考えてるな、とライが眺めていると、希望がゆっくり起き上がる。身体はシーツで包まって、ライに訝しげな眼差しを向けて、腑に落ちないとでもいうような顔をしていた。けれど、ライを見つめる瞳は潤んで、揺らめいている。
「……いきたいです」
「最初からそう言えばいいだろ」
「だって、ライさんが……、……ふへへ……」
ライにまた文句を言おうと唇を尖らせていた希望が、ふにゃりと表情を緩ませて笑う。堪えきれないというように、時折包まっているシーツを口元に寄せて隠しながら笑っている。希望の不可思議な行動に、ライが眉を寄せて睨む。
「気持ち悪ぃんだけど」
「……だって……」
顔を上げた希望が目を細めて、口元を綻ばせ、はにかむように笑った。
「デートの約束するって、なんか、恋人みたいだね」
それが、この上なく幸せであるように笑うのだ。
「……」
「?」
「……はぁ――……」
「……??」
ライが眉を寄せて希望を見つめていたが、煙草の煙を吐きながら溜め息をついた。呆れ果てたような、疲れたような、苛立っているような。そんな感情が色々と込められた、長くて重い溜め息は、ライにしてはとても珍しくて、希望が首を傾げている。
「……恋人みたい、ね」
ライが呟くと、希望はますます不思議そうな顔をした。
希望とライの関係は、恋人ではない。恋人ごっこだと希望は理解しているし納得している。
希望がライを好きになって、ライはそれに付き合ってくれているだけのことだ。どういう気まぐれか希望にはわからないが、一緒にいられるならそれでも良いと納得してこういう関係になった。セックスもするし、希望の身体と顔と声は好みとライは言っているけど、それだけだ。
時々、ライからの扱いに特別なものを感じるけれどきっと気のせいだと希望は思っている。
今まで何度も『もしかして』と淡い期待をして、その度にライ自身によって掻き消されてきた。だから希望は、なるべく勘違いしないように努めている。
ライが、自分を愛してくれることはない、と。
悲しいけれど、仕方がない。最初から好きになってはいけない相手だと思っていたし、一緒にいれるのもライの気まぐれが続く間だけだ。
だけど、だからこそ今のうちに恋人ごっこを楽しければ! と最近の希望は開き直っている。
ライも送り迎えしてくれたり、スキンシップが結構あったり、何でもない日にプレゼントくれたり、たまにはデートとかしてくれたり、恋人みたいなことをしてくれるから、結構楽しい。本当に恐ろしい男だと思う。そりゃあモテるだろう、女にも男にも不自由しないだろうと希望はとても納得した。
好きでもない自分にさえ、もしかしたら愛されているかも、と勘違いさせてしまうほどに色々なことをしてくれるんだから、好きになった相手にはもっとすごいのだろう。そりゃもう、なんかこう、すごいに違いない。
俺の本命はライさんだけど、ライさんの本命は誰だろう。
やっぱり、元カレのユキさんかな。幼馴染みで前は仕事で組んでたとか言ってた。ユキさんは美人で優しくて、ちょっとエッチで面白い。やっぱりユキさんが本命かな。二人が並ぶとフェロモンの暴力って感じなのに、何故かよく喧嘩している。元恋人なのに何でそんなに仲が悪いんだろうと思っていたけど、愛情の裏返しなのかもしれない。
なるほど、ユキさんか。ライさんの本命はユキさんな気がする。
でもユキさんは今、希美の恋人で、ラブラブなのだ。バレンタインデーもラブラブ甘々で過ごしたに違いない。何て羨ましい。二人の未来に光あらんことを。
そう考えて、希望はふと気づく。
自分がデートの約束に浮かれて、「恋人みたい」と言った後のライの反応は少し変だった。珍しく長く重いため息と共に、「恋人みたい、ね」と、確認するように繰り返したあの態度。
今もなんか黙っている。
もしかしたら。
恋人ごっことは言え、浮かれて「恋人みたい」と言ってしまったことが不快だったのでは。
希望はハッとしてライを見つめる。気が付いてみると、その発言から急にライが不機嫌になった気がする。
ここ数日ずっと不機嫌だったが、希望がシャワーを浴びて戻ってからはいつものように、楽しそうに意地悪そうな笑い方してたのに。
大変だ。このままだと、せっかくのデートの約束が消えてなくなってしまう。
希望は慌てた様子でライに微笑みかけた。
「恋人みたいって言ったけど、恋人じゃないのちゃんとわかってますからね?」
だから安心して、と。
希望はニコニコ笑っている。
「……」
「?」
ライが忌々しげに希望を睨んでいたが、ふっと目を逸らす。
「……まあいいけどさ」
煙草を灰皿に強めに押し付けながら、ライが呟くと、そのまま希望を押し倒して、覆い被さった。
「え?」
「お前、まだ元気だろ。そんだけ喚いてんなら」
希望は呆けた顔をしてライを見上げていたが、腰から脇、腹から胸へとライの掌に撫でられて、「ひぅっ…!」と小さく悲鳴を上げた。
「げ、げんきじゃな……っ、ん、ぅん……!」
キスしてじっくり絡み合い、身体を愛撫する。抵抗が弱まった頃に離れて、希望を見ると瞳が潤んで、蜂蜜みたいに甘くとろけていた。希望は抵抗を諦めているのか、力を抜いて、ぽやん、とした眼差しでライを見つめている。その従順な態度がライの癪に障った。
同時に、もとはと言えば、ここ数日苛立ちが治まらなかったのは希望のせいだったのも思い出す。今日だって、他人から受け取った愛の証を、平気な顔してライに見せる神経も分からない。
それなのに、なんで『何されても好きです受け入れます』って顔してるんだこいつむかつく。
ライは希望の顔の横に手をついた。
ライの逞しくて太い腕に囚われて、希望は思わず胸をときめかせてライを見上げた。しかし、暗い瞳の奥に、轟轟と荒れ狂う怒りを感じ取って、ときめきは吹っ飛んでいく。
「あ、あの、ライさん……」
「あ?」
戸惑う希望の白い首筋にライががぶりと噛みつくとぴゃっ、と悲鳴を上げて固まった。
「なに?」
「……お、お手柔らかに……」
「どうだろうな」
「……あの、あした、がっこうが……」
「あっそ」
ふるふる震える希望に、追い討ちをかけるように囁いた。
「そういう余計なこと考えられなくしてやるから安心しろ」
「ひぇ……」
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