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バレンタインデー当日

 二月一四日、バレンタインデー当日。  希望は三日前の宣言通り、クラスの友人たちと共にチョコフォンデュと期間限定オープンのチョコフェスを満喫した。 「ライさーん! お待たせ!」  友人たちと、遠巻きながらファンであろう人々の囲まれた希望が、迎えに来たライに向かって大きく手を振っている。  友人たちやファンらしき通行人がライを見てざわめいた。   『あれが希望の……』『怖い……けどかっこいい……』『怖いけど、希望の好きな人ってことは……』『いい人……』『……いい人……??』    そんな動揺と疑問、そして好奇の視線に晒されても、ライは眉ひとつ動かさないで希望を見つめている。  希望の両手には大小一つずつの紙袋がぶら下がっていた。紙袋は何故か、口がしっかりと密封できるようになっているビニール製の袋に入れられている。  希望は車の前で待っていたライの近くまで来ると、友人たちに別れの挨拶をし始めた。 「じゃあみんなまた明日ね。チョコありがと♡」  希望が大きな袋を少し上げてにっこりと微笑んだ。  ライは「狂ったように買い漁ったんだな」と思っていたが、どうやら大きい袋に入っている、甘くて可愛らしい色とりどり品物は、すべて贈り物らしいと気付く。  希望が受け取った大量の愛の証を目の前に、ライはそれらを睨むつけた。  ライが何も言わずに運転席側へと回り、ドアを開ける。それに合わせて、希望も助手席のドアを開けた。 「希望くん!」  一人の女子が声をかけて、希望が振り向いて止まる。女子は力強い眼差しで、希望を見つめていた。約数名、同じような眼差しを希望に向けている。 「頑張ってね!」 「頑張れ!!」 「ファイトだよ!」 「希望くんなら大丈夫!」  何がだよ。  ライは希望に向けられる謎の熱く力強い眼差しが鬱陶しくて仕方がない。向けられている希望はどうなのだろうか、と希望に目を向ける。 「うん! みんな、ありがとー!」  しかし、希望はそれをあっさり受け止めるとにっこり笑った。  その明るい笑顔を見て、友人たちはチラチラと、ライに視線を向ける。祈るような眼差しを向けて、両手を顔の前に手を組んでいる者さえいる。希望の友人たちの前にライが現れると、よく彼らはこうして祈ってくる。   『希望の恋が成就しますように!』    そんな願いを込めて、ライを見ながら祈る。鬱陶しい視線を無視しながら、ライは車に乗り込んだ。    神にでも祈ってろよ。本人に祈るな、バカなのか?    しかし、そんな愚かな祈りさえ、希望が愛されている証でしかない。  ライにはそれが無性に腹立たしかった。    *** 「やっぱり気になる?」 「あ?」 「あれ……」  希望が示した先には、ぴっちりと口が閉じられたビニール製の袋。その中の小さい紙袋には希望が買ったバレンタインデー限定のチョコやお菓子。大きな紙袋には希望へのバレンタインデーの贈り物。  それらは部屋の隅に置かれていて、時折ライが睨んでいた。 「密封できる袋は用意したんだけど……。やっぱり苦手な人には匂いも気になるのかなって……」 「……別に」 「ほんとに? 大丈夫?」  希望はソファにいるライの隣に座ると、じっと見つめた。希望はライが忌々しげにチョコを睨む理由が、彼の嫌いな甘い匂いにあると思っているようだ。 「最近機嫌悪いんだもん。バレンタインデーでどこでもチョコいっぱいだからでしょ?  そりゃあ、苦手な人には辛いだろうけど……」  ライの様子を窺って、希望が返事を待つような間を空ける。けれど、ライからの答えはない。希望は諦めて、ライから視線を外して、笑みの形を作る。 「まあでも、今日で終わるし、よかったね」 「終わんねぇだろ」 「?」  希望がライを見上げると、鋭い視線にぶつかった。苛立たしげに眉を寄せて、希望を見下ろす眼差しには怒りが滲む。希望は目を丸くして、首を傾げた。  今日はまだ怒られるようなことした覚えがない。いや、ライの怒りはいつも突然で不可解なので、いつものことと言えばいつものことかもしれないが。  どこで地雷を踏んだんだろうと、希望は考える。 「アレ、全部返す気なんだろ?」  ライが顎で示す先には、今日の自分へのお土産と贈り物がある。  希望はライの怒りの理由が、ますますわからなくなった。 「返す……? ……あ、ホワイトデー? そうですね」  希望が頷くと、ライが僅かに表情を歪ませた。 「お前本当にあれ全部義理だと思ってんの?」 「? ……うん」  ライが呆れたように、それでいて苛立たしげにハッ、と吐き捨てるように笑う。 「誰かがお前に渡すものに、愛が込められてないわけねぇだろ」  希望がぽかん、と口を開けたまま固まった。ライからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。 「愛が込められている」なんて。  確かに、義理と言えど、希望が受け取ったバレンタイン関係の物は、少なくとも世間で言うような、「慣習上、上司や同僚等の会社関係者に配らなければならないので仕方なく渡す」というような義理チョコではないだろう。希望に向けられた、何かしらの愛はちゃんと感じている。 「……でも、本命は受け取ってないよ?」  今の希望の本命はライただ一人だ。  バレンタインデーの贈り物に込められた愛は、友愛や親愛だったり、ファンの贈り物なら応援の気持ちだったりと、そういうものだ。恋愛の意味での愛は受け取っていない。希望は来るもの拒まず愛を受け入れているように見えて、応えられない愛の証は受け取らない主義だ。 「関係ないだろ」 「え?」 「愛は愛だろ。本命かどうかなんて関係ない。俺にはどうでもいい」  ライが希望の方に身体を向ける。眉を寄せ、僅かに表情を歪めて、希望の瞳を覗き込むように見つめる。ライの瞳の奥に、暗い光が揺らめいている気がして、希望はギクリと震えた。 「誰からでも簡単に受け取ってんじゃねぇよ。誰にでも簡単に応えようとしてんじゃねぇよ」  希望が目を見開いてライを見つめて、少し怯えたような表情をしている。その表情が、ますますライを苛立たせた。 「甘ったるい匂い染みつけられてんのに、俺の前に現れるな」  低い声には嫌悪と憎悪が滲み、呪いの言葉を吐き出さずにはいられない。   「気持ち悪い」    希望の幸福を願う誰にも届かない愚かな祈りも、愛情をたっぷり込められ渡されたであろう甘ったるいチョコの香りも。  そんな愛の証を希望があっさりと受け取って応えることも。  全てが腹立たしくて仕方がない。    この数日の苛立ちすべてを希望に吐き捨てて、ライは希望から離れ、ソファに座り直す。乱暴に動いたので、隣の希望がびくんと震えた。俯いて、ぎゅうっと唇を結び、眉を寄せている。 「っ……!」  希望は急に立ち上がると、そのまま逃げるように部屋を出ていってしまった。  ライは希望が廊下を走る音を途中まで聞いていたが、すぐに興味を失って、意識を逸らす。    楽しそうに喋って、黙っていてもにこにこして、キラキラと輝かせた眼差しを向ける希望がいなくなると、室内には静寂が訪れた。そのことにライは寂しさなどは微塵も感じなかった。希望がいるとライはやたらと神経が逆撫でされるし、思い通りにならない。煩わしいことの方が多い。だから、むしろ清々するとさえ思った。    ライは希望が置いていった荷物を一瞥する。  取りに戻るだろうか。  希望のことだから、自分が買った物はともかく、他人から貰った物をこのままにはしておかないだろう。  そう考えるとまた腹立たしくなる。希望が戻る前に処分すれば、多少怒り狂うかもしれないけれど、諦めるだろうか。  そこまで考えたが、ライはその自分の考えを否定する。  希望なら、怒りよりも先にごみ捨て場でもどこでも行って、捨てられた愛の証を探し始めるのだろう。  結局のところ、希望が他人やその想いを蔑ろにすることはない。そのことは、どうにもできないのだ。    ライはしばらくの間、暗澹とした気持ちで希望の置いていった物を眺めていた。  すると、突然リビングの扉が開く。  ライが振り返ると、希望が立っていた。  下はショートパンツで、上はTシャツ。いつもはふわふわ跳ねている髪の毛が、しっとりと濡れている。頬や太股、露出している肌は全体的にうっすらピンク色に染まって、潤っていた。  室内は温度管理が徹底されて温かく、適温になっているとはいえ、今は二月中旬の冬である。明日には雪も降るらしいというそんな時期にしてはあまりにも防寒意識の低い姿だ。  そもそもなぜ、服が変わっているのかと、疑問を抱きながらも、ライは黙ったまま希望を眺める。  そんな視線などお構いなしに、希望はペタペタと裸足でライの元に駆け寄ってきて、目の前に立った。 「よい、しょ」  希望は黙ったまま自分を見上げるライに何の許可も取らずに、ライと対面する形で上に跨がって座る。ライの肩に両手を添えると、にっこり笑った。 「お風呂入ってきた!」  希望はそう言うと、ぎゅうっとライの首に腕を回して抱きついた。  いつもよりもさらにしっとりとした肌がくっついて、風呂上がり特有の高い体温を感じられる。希望の髪や肌からはシャンプーとボディソープの香りが微かに香る。  希望の行動が理解できず、抱き付かれたままライはしばらく考えた。  一応考えたが、よくわからない。 「……あ?」 「ほら!」  希望が顔を上げた。 「これでもうチョコの匂いしないでしょ?」  にこにこ、と希望が笑う。  これで何もかも解決したね、と言うような顔をして、笑っている。  なぜか誇らしげな、そして無邪気な笑顔を前にして、ライは心底呆れてため息をついた。 「……そういう意味じゃねぇよ」 「? 甘い匂い、嫌だったんでしょう?」 「……」  ライがもう一度ため息をついて、黙る。これ以上何を言っても無駄なような気がしたし、もはや苛立つことさえ馬鹿馬鹿しくなってしまった。  そんなライを見つめて、希望は首を傾げる。そして、少し考えてから口を開いた。 「……もらったチョコは捨てないで食べるし、ホワイトデーにはお返しもするよ。  でもそれは友達との交流って言うか、イベントの盛り上がりに乗っかって楽しく美味しく過ごす為のもので……えーっと」  希望は少し言葉に迷って、ライから視線を外して考え込んでいる。けれど、すぐにライを見つめて、少し目を細め、困ったように笑った。 「本当はライさんにもチョコあげたいし、遊びにも行きたいけど、チョコみたいに甘いものも人がいっぱいで騒がしいのも嫌いでしょ? そんなとこに俺と一緒に行っても、ライさんは楽しくないじゃん。それなのに付き合わせるのも悪いし」  希望はもう一度ライの首に両腕を回した。潤んだ瞳が揺らめいて、じぃっとライを見つめる。 「だから、今度は楽しいデートしましょうね。ふたりで♡」  ぎゅっと抱きつく希望を好きなようにさせて、ライはしばらく考える。  希望にとっての『楽しくない』とは、つまり。    ……ああ。  考えて、ライは突然納得した。    楽しくないって、そっちかよ。    馬鹿馬鹿しい、とライがため息をついた。それに気付いて、希望は不思議そうに首を傾げた。そんな無防備な姿の希望に、ライがふっ、と悪そうな笑みを見せる。 「楽しい、ってどんなこと考えてんの?」 「え?」  きょとん、と希望が目を丸くした。 「えーっと……買い物して食事して」 「いつものパターンだな」  デートプランをあっさりバッサリ切り捨てられて、希望はむむむ、と唇を尖らせた。  うーん、と唸って、パッと顔を上げる。 「映画は? 俺見たい映画があります!」 「またアニメだろ。何であれ、興味ない」 「え、じゃあ……あっ! オーケストラのコンサートチケットもらったんですけどどうですか? 東京スカイスターオーケストラっていう」 「二ヶ月前にお前が共演したとこか? 興味ない」 「じゃあ、ミュージカル! 劇団喜々の『歌う一等星とブルーホール』は関係者席で見れるよ! 母さんが」 「お前の母親が出資してるのは知ってるが、興味ない」 「……あぅぅ……あ、国立総合美術館のミューサ・エレガンの作品展! 三月までやってるから」 「お前がそいつの画集持ってるのは知ってる。でも俺は興味ない」 「なんで知って……、いや、うん……」  なぜライが希望に関する様々な情報を持っているのか分からなくて、希望は少し怖くなる。  けれど、それよりも、悉くデートプランを却下されていくこの状況の方が問題だ。悔しいし、悲しい。 「……水族館は? 海見に行ったりとか……」 「興味ない」 「プラネタリウム……星空観賞キャンプ……」 「興味ない」 「……」  デートプランがバッサバッサと切り捨てられて、希望はすっかり自信を失ってしまった。  困り果てたように眉を下げ、少し俯いて、上目遣いでライを見つめる。 「……ライさんの楽しいことって何ですか?」 「んー?」  希望は素直に尋ねた。困っている希望の表情とは対照的に、ライは楽しそうに薄ら笑っている。  ライは希望の質問には答えずに、希望の腰を抱き寄せ、首筋に鼻を擦り寄せた。 「え、え?」  すりすりと、なんだか甘えられているような仕草があまりにも珍しくて、希望はドキドキしてしまう。少しくすぐったいけれど、好きな人に甘えられるのは嬉しい。だが同時に、ライが何か、希望にとって良くないことを企んでいるような気がして不安はぬぐえない。二重の意味でドキドキしてしまう。  戸惑う希望が大人しくしていると、ライの大きな手が、ゆっくり腰を撫でて、尻を掴んだ。 「ひっ……!」  希望は驚いて悲鳴を上げる。  それを合図に、ライが希望の首筋にキスして、Tシャツの裾から手が入り込んできた。 「あ……っ、ラ、ライさ……っ! ……んん……」  ライの熱い掌に撫でられると、じっくりと熱が伝わって、希望の全身が熱をもって応えていく。  今までの経験から、これから何をされるのか察して、身体が悦んで準備を始めていた。甘く痺れるような刺激がじわじわと希望の感覚を狂わせる。抱かれるための身体にしてしまう。ライの触れるところすべてから、自分の身体が卑しくも快感を拾い上げていくのがわかった。 「……ほ、ほかに、ないんですかぁ?」 「なにが?」 「たのしいこと……」 「楽しくないの?」 「……んっ!」  ライが希望の耳元で、唇を這わせながら声をかけると希望の背筋に快感が走って、びくんと身体が震える。  ライは構わず、ちゅ、ちゅ、と音を立てて希望の首筋にキスをして、吸い上げて跡を残していく。  ライの手が希望の太股を撫で上げ、ショーパンツの裾から指が入り込んでいく。希望のむっちりとした尻をくにくにと擽った。  希望はやんわりと与え続けられる快感に震えながら、流されてしまいそうな自分を繋ぎ止めるため、ライの両肩を必死に押し返す。 「こういうのはぁ……っ、た、たのしいとか、たのしくないとかじゃ……」  ライが少し離れて希望の顔を覗き混む。 「じゃあ、しないの?」 「~~~~っ……!!」  希望は何も言えずにライを睨んだ。しかしライは、そんな希望を笑って眺めながら、服の中で希望の身体を撫で回していた手を前へと移動する。希望の胸をやんわり掴んで、その中心の突起に指を掠めた。 「ぁっ……!」  そんな僅かな刺激で、希望の身体はビクビク震えてしまった。けれど、それだけでライの手があっさりと離れて、希望は目を丸くした。  それまでぴったりとくっついていた熱くて逞しい身体を急に失って、なぜか心細くなってしまう。  離れようとするライに、希望はぎゅっとしがみついた。 「ん?」  ライが首を傾げる。  ライは薄く笑っていて、希望はきゅぅんと胸をときめかせた。試すような、意地悪そうな、希望の何もかもを見透かしているような、その瞳と笑い方が、希望の心をぐわんぐわんと揺らす。  愛撫で煽られて熱を持ってしまった身体とぐらぐらと揺れる心では、もうこの男の魅力に抗えそうにないと、希望は悟った。 「……するぅ……しますぅ……っ」  とろんと蕩けるように潤んだ瞳で見つめてくる希望を見て、ライが笑っている。 「ベッドいく?」 「いく……」  すっかり素直になった希望を抱えて、ライは寝室へと歩き出した。 「ライさん……っ」 「ん?」 「きす、きすして……」  ふにゃふにゃとろとろ。  そんな状態の希望が縋るように見つめるので、ライは少し考える。例の愛の証が視界の端に移り、目を向けた。  先程までの苛立たしさはもう感じない。ただそこに置いてあるだけで何もできない、何でもないものだ。もうどうでもいい。 「……いいよ」 「えへへ……うれしい」  ライが答えると、希望が笑った。キスを求めて腕を伸ばしてしがみつく。そんな希望の視界にも、今はあの愛の証は映っていないだろう。  だから、どうでも良い、けれど。    ライは『彼ら』に見せつけるように、希望にキスをした。

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