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別れの時 side Y
後から考えれば、その日、冬真君と絹枝さんの様子は最初から変だった。だけど...それっきり15年も会えなくなってしまうなんて...夢にも思わなかった...
いつものように学校から帰ると、宿題だけを持って冬真君のいる病室まで足を運ぶ。そこまでは普段と変わりなかった。
「今日は宿題がドッサリ出てさぁ~もう嫌になっちゃうよ~」
「何の宿題?」
「算数と音読。」
「持ってきた?」
「うん。」
「音読...聞かせて?」
「えーっ!恥ずかしいよ~」
「聞きたい...ダメ?」
「ダメじゃないけど...」
「じゃあ...聞かせて...お願い...覚えておきたいから...」
「何を?」
「あ...学校で...どんなことしているのか...」
冬真君にそう言われると、俺はとても弱かった。入院生活が長い分、冬真君が俺の話を聞いて、沢山のことを疑似体験している気持ちになっているのを知っていたから...
「読むけどさぁ…後で絶対笑わないでよ?」
「うん。」
俺は教科書を読み始めた。8ページ程度の物語だったが、冬真君は目を閉じて聞いていた。読み終えて冬真君を見ると、冬真君は泣いていた。
「どうした?どこか痛い?」
「大丈夫...ありがとう...素敵なお話だね...」
「そぉか?」
「うん。僕...このお話...一生忘れない...」
「冬真君、オーバーだなぁ...ちょっと恥ずかしいけど、こんなので良ければいつでも読むよ!」
「うん...ありがとう...」
「葉祐さん。カードは持ってきました?」
絹枝さんが俺に言ったカードとは、『音読カード』のことで、音読の宿題が出た時は、このカードに聞いた人(大概は保護者)のサインや印鑑が必要だった。
「うん。」
「今日は冬真さんが聞いたのですから、サインは冬真さんにしてもらったらどうです?」
「うん!冬真君にしてもらいたい!」
「でも...大丈夫かな...子供の字で...」
「大丈夫ですよ!心配なら、冬真さんのサインの横に、私の印鑑を押印しましょう!」
「うん...」
俺の音読カードに冬真君がサインを書き、絹枝さんが押印した。『海野』の印鑑ばかりが続くカードに『岩崎冬真』の文字と『里中』の印鑑が加えられ、カードがちょっと格好良くなった気がした。
「記念に写真でも撮りましょうか?」
絹枝さんが突然言い出した。
「もう...絹枝さんもオーバーだなぁ!」
「冬真さんが、初めて『音読カード』に名前を連ねた記念ですもの。いいじゃありませんか?」
「変なの。」
「変でも良いんです。さぁ、撮りますよ!」
絹枝さんがこちらにカメラを向けたので、二人で並んで写真を撮った。
その後、冬真君に少し教えてもらいながら、算数の宿題を終わらせ、いつものように、二人でたわいもない話をしていると、宿題が終わる間際に部屋を出ていった絹枝さんが、アイスクリームを二つ持って帰って来た。
「宿題は終わりましたね?おやつにしましょう!」
「えっ?」
俺は驚いて絹枝さんを見た。普段、冬真君はおやつを食べない。理由は、小食の冬真君がおやつを食べると、夕食があまり食べられなくなってしまうから。
「今日ぐらい大丈夫ですよ。葉祐さんは、いつも学校から帰ると、すぐに病院に来るのでしょう?」
「うん。」
「葉祐さん、いつもおやつなしだったのね...ごめんなさいね。」
「ううん。だって、冬真君と話している方が楽しいしさっ。」
冬真君を見ると、何だか泣きそうな顔をしていた。
「どうした?大丈夫?」
「うん...葉祐君...?...ありがとう...」
「何か冬真君も今日は変だそ!さっきから『ありがとう』ばっかり言ってさっ。」
「......」
「さぁさぁ、アイスクリーム、溶けちゃいますよ。早く食べないと。」
絹枝さんに促され、二人でアイスクリーム食べた。そして、また二人で話をする。しばらくすると、外から子供に帰宅を促すチャイムが流れてきた。そのチャイムが聴こえてくると、俺はいつも家に帰る。
「あっ、もう5時かぁ...早いなぁ...絹枝さん、今日はアイスクリームをありがとう!冬真君、また明日来るね!」
「......」
冬真君は涙を堪えていた。冬真君が帰り間際に涙を見せるのは久々だった。
「大丈夫だよ!また明日来るからさっ!ちょっと間、バイバイするだけだよ!」
「そうだね...」
冬真君はちょっとだけ微笑んだ。病室の扉の前に来ると、絹枝さんが俺に白い封筒を差し出した。
「これは大事なお手紙です...絶対になくさないで、お父様かお母様に渡してください...」
普段、優しい絹枝さんが、ちょっと緊張しているように震えた声で言った。俺はその気迫に圧倒されて、
「うん...」
としか言えなかった。絹枝さんから封筒を受け取り、扉を開けて廊下を出ると、もう一度、
「じゃあ、また明日!」
と言って手を振った。扉を閉めようとした時、冬真君がベットから出てきて、俺に抱きついた。俺は驚いてその場に立ち尽くした。
「ありがとう......葉祐君......本当にありがとう......本当に本当に楽しかった......」
「もう......今日は本当にオーバーなんだから...」
そう言って、冬真君の背中をポンポンと叩いた。冬真君が俺から離れると、
「本当にまた明日!」
そう言って、扉を閉めた。
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