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8.Acquaintance(ただの知り合いよ)

* 市内で有名な高級ホテルのプライベートフロアにあるホール。そこではビジネスパーティーが催されていた。 真っ赤な絨毯の上でスーツやドレスを纏う招待客がグラスを片手に賑やかに談笑している。 その会場前のロビーの一端。大きな観葉植物と廊下の壁の隙間に隠れるようにして、運び屋の二人は居た。 「さっさと届けてくるから。お前はここで大人しく待ってろ」 白島は普段とは違い真面目にスーツを着込み、前髪を全て後ろに撫でつけた正装だ。腰に差している刀は無い。テルは頷くと必要以上に息を潜め身を縮こませた。 会場の裏出口から出てきた1人のガードマンに連れられ、彼は灯りのついていない裏口へ続く通路の闇に消えて行く。 このパーティー会場で子どもが一人見つかれば厄介な事になるのはテル自身にもわかっていた。白島は今、武器を持って居ない。こういう時になると小さい体を忌々しく感じてしまうが、表情には出さずじっと堪えた。 会場を出入りする招待客の会話が静かなロビーにこだましホールへと続く開け放された大きな扉の中へ吸い込まれていく。 聞こえてくる話し声の中に時折英語が混ざっている。パーティーには外人も多く参加しているようだ。 重なる声が物陰に隠れるテルの耳を素通りする中、エレベーターから出てきたある一組の会話が頭にひっかかった。 「ええ、ですから今回は大きく貢献できるかと」 「まさかとは思いますが…」 「そのような事はありません。我々に全てお任せください」 彼等の中の、聴き覚えのある一つの声。懐かしく、そしてテル自身の身体の奥底で眠っていた恐怖を呼び起こすような低く落ち着いた口調。会話の内容は全て把握する事はできないが、彼の記憶を震撼させるのには充分だった。 少年はその場に片膝をつき、観葉植物の葉の隙間から目を凝らし三人の男の姿を確認する。男達はホールの扉に向かって歩き出している。その中の右端の男の横顔には見覚えがあった。 背が高く、ブラックコーヒーのような色のスーツを纏う白髪の男。 テルの記憶と寸分の狂いも無く一致する。視線を外せない。鼓動が早まる。指先が痺れているような感覚に陥りぎゅっと拳を握った。 (ここになぜあの男がいる?) ———いや、いてもおかしくはない。 男達が眩しいシャンデリアが輝くホールの奥の人混みに紛れていくまで、食い入るように凝視していたテルは背後から近づいてくる気配に気がつかなかった。 「おい、どうした?」 突然呼ばれ、肩が跳ねる。反射的に振り返れば仕事を終えてきたばかりの白島が不思議そうに見下ろしていた。 安堵の息を吐き出し、なんでもないと首をふる。今までテルが見ていた方角へ視線をやるが、一体何に興味があったのか見当がつかない。 「何か面白いモンでも見つけたのか?」 テルは答えなかった。真っ直ぐに地面を見下ろし青ざめ硬直している。少年の小さな異変に気づき彼の表情を覗き込もうとした。 「顔色悪ィな」 その時エレベーターの中から再び大勢の招待客がザワザワとまとまって出てきた。グループにいた人間が一人、運び屋たちの方へ歩み寄る。 硬いヒールの音が迫り2人同時に頭を上げた。裾の広がった黒いロングドレスを纏う女性が花束を片手に近寄づいてくる所だった。 カールした亜麻色の髪を両肩から流し、真っ赤に塗られた細い唇と細い目が印象的な女は落ち着いた声色で口を開く。 「あら?白島くん?」 女は白島をみて小首を傾げる。当人は、顔見知りの女性がすっかりめかしこんでいるのに目を丸くした。三秒程の沈黙。 「……お前、北条か?」 「久しぶり。こんな所で会うなんて奇遇ね」 薄らと微笑んだ女は男の隣りに潜む小さな影に一瞥を加えてから再び白島を見た。 「お仕事中だったかしら?」 「いや、もう済んだ」 「そう…」 微笑を浮かべる女、北条は花束に添える手を変え、もう一歩距離を詰めると声のトーンを落とした。 「あの中に入ったの?」 「ああ」 「…どう?このパーティーは」 相手の返事を待たないで北条はホールの扉を向いた。黒いドレスを着た彼女の背中は腰にまで届きそうな程大きく開いていた。 「米国のマフィアが日本の極小製薬会社と手を組んだの。…夢のある話でしょう?」 「ああ…」 「きっと世界の製薬会社が羨むわ…」 ふふ、と笑い声を漏らし白島を鋭い瞳で見上げる。 「わたし、開発責任者の秘書だからすごく忙しいの」 「…そう、みたいだな」 半ば無関心といった様子で相槌を打つ。相手を見ずホールの中を眺めていた白島は一人の招待客と目が合った。客は何かに気づいたようで、大股でこちらへやってくる。 男の客は白いスーツをきた背の高い金髪の外人で、北条に近寄り肩に手を添えると英語で声をかける。 白島は彼女に片手を挙げ軽く挨拶をしながらテルを連れ非常階段の方へ立ち去った。 「またね、白島くん」 その背中を見送る北条へ、白いスーツの男はホールの中へ戻ろうと促す。 「Are they your friends?」 「…Not a friend, only an acquaintance. 」

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