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35.November(11月)

* 白島が涼葉組の本社ビルへと到着すると、監視役の案内のもと厳重な警備が施してあるフロアに通された。その階の一室にナルが監禁されているのだ。 あの日捕らえられた彼は、八熊の手によって拘束されている。 部屋は監視カメラが設置されただけの何も無い空間で、片脚を鎖に繋がれたナルが床の上に寝転がっていた。面会者に気付くと此方を向いて薄ら笑む。 白島は部屋を区切るクリアガラスの前に立って話しかけた。 「元気そうで安心したぜ」 「…そっちもね」 ゆっくりと体を起こしたナルの左手脚はもぎ取られていた。 「お前…腕と脚、どうした」 「持って行かれたよ」 元々、ナルの左半身は義手と義足で補われていたのだ。義足はテルの銃弾により損傷してしまったが、自力での脱出を警戒され、手脚を奪われている。 彼は自嘲しながら続けた。 「俺の手足がない理由、話したことあったかな」 「いや…」 「あの薬のせいだよ、俺も飲まされてたんだ。…対抗薬を手に入れたはいいものの完全に副作用を打ち消すことができなくて、こちら側だけ成長せずに腐り落ちてしまった」 ナルの視線につられて再び彼の左半身を見た。左肩の付け根から下と、左膝下が無い。 「三年飲み続けただけでこのザマさ。響介が助かる見込みはないね」 面会者の周囲を見渡したナルは笑みを消した。 「あいつはどうしてる」 「…休ませてるよ」 白島は煙草を咥え火をつけた。煙は天井の通気口に吸い込まれていく。 「テルは生かすぜ、何があってもな」 「…相変わらずだね」 自信のあるニュアンスを含む言葉に、兄である男は小馬鹿にしたように鼻で笑った。その様子を見て白島はテルが成長を始めた事実を話せずにいた。 「それはそうと…八熊の旦那はお前をマフィアと交渉するダシに使うつもりだぜ。どうするよ?」 「どうするも何も…俺はネーロを潰して奴を殺すだけさ。何があっても」 口元は笑っているが、ナルの漆黒の瞳は執念と怒りの色を映し鋭く前を見据えている。 その目は運び屋になる前に初めて彼と会った時と変わらない。 「…旦那に口添えしてやってもいいが」 「フッ、カラダ添えの間違いじゃないのか」 「うるせえよ」 舌打ちをして短くなったタバコを床へ落とすとじり、と踏みつけて揉み消した。 その吸殻に一瞥をくわえたナルは冗談めいた口調で首を傾げる。 「協力してくれるんだったら俺の手脚を運んできてくれないかな?ここに」 「ほぉ、運び屋として俺を雇うか?報酬は」 「情報だ。前に拓人が知りたがってたことだ」 その言葉にピクリと眉をひそめた。ナルは表情を変えないまま一言付け加える。 「…お前の両親について」 思案の間、一瞬の沈黙があった。 「悪ィな、もう興味ねえんだ…」 白島は背を向けてドアの方へ向かう途中、一度歩みを止めると振り返らずにナルに話しかけた。 「なあ…今回のことは…罠だと分かってたんだろ。何で、来たんだ」 ガラスの向こうからチャリ、と鎖が鳴る金属音が小さく響いた。 「お前がいると思ったからだよ。拓人」 * テルに白島の過去を話していた景造は、徐に資料棚から一つのファイルを取り出して広げた。そこには生まれたばかりの赤ん坊の写真や資料が挟まっている。白島のものだと瞬時に理解した少年は目を丸くした。 「ワシも拓人も、一度は両親が関わっていそうなそれらしい情報を探しはしたんじゃが、手掛かりはまるで見つからんかったよ。今でこそ再生細胞の研究はあれど、26年前の当時は再生細胞の研究なぞ全く発表されておらんかったからのう…」 「再生細胞の、研究…」 「いずれにせよ、拓人が特別な事に変わりないが、ワシはもう詮索するつもりは無いんじゃ。それが闇医者が生き残る秘訣じゃからの」 パチリ、とウインクをして老人はお茶目な笑みを見せた。闇医者は金さえ手に入れば患者のプライベートやバックグラウンドに立ち入る事はしない。不可侵、そして平等だ。 実際、白島を育てる上で景造はあえて掘り下げることはしなかったのだろう。そして再生体質を公にせず、秘密を守ってきたのだ。 「…これからの事はあの子の好きにしたらいいと思っとる。しかしなぁ、ああ見えて小さい頃はわしの助手になる約束もしておったんだぞ?…まったく、誰の影響を受けたんじゃか…」 話し終えた横顔は寂しそうに溜息をついた。ちょうどその時、窓の外から車の走行音が近づいてくる。 「お、噂をすれば帰ってきたようじゃな」 処置も終わり、ファイルを閉まって後片付けを始めた医者へテルは率直に伝えた。 「景造が、白島の父親で良かったと思う」 彼は空になった輸血袋を引き取りながら小さく笑った。 「風呂沸いたぞーおい」 日が暮れて白島が居間の戸を開けるが、室内には誰も見当たらない。つい先程までいたはずの少年の姿を探す。 「テル…?いねえのか」 「ここだ」 問いかけるとコタツの中から相手が顔を出した。異様な光景に思わず失笑する。 「お前…、…猫みたいだな」 11月も終盤に差し掛かり、下がり続ける気温に備えて出した暖房器具をテルは気に入っていた。白島は近寄るとコタツ布団を捲り、中を覗き込んだ。 「起きてるうちに早く風呂入れよ」 促すと渋みのある表情をしてテルは更に奥へ引っ込もうとする。 そういえばいつも入浴を躊躇うよなと、服の襟首を掴んで引き摺り出した。 「なんだ風呂嫌いか」 「濡れるのは苦手だ…」 ぼそりと零した本音を聞き、猫だな、と確信する。 「面倒なら洗ってやるから。一緒に入るか?」 「!?」 からかうように提案するとテルは面食らって火照っていた頰が更にピンク色になる。 「断る…」 「な〜に恥ずかしがってんだクソガキ」 「ガキじゃない…!」 軽くあしらって笑いながら嫌がるテルを風呂場まで連行する。結局一緒に入る事になった。 入ってしまえば後は楽なもので、洗い終えて広い湯船に浸かりながら少年は男の体を横目に見る。筋骨隆々と言える程筋肉質ではないが、男らしく引き締まっており見劣りしない。こんな身体つきになれたら…と、テルは湯の中に掌を翳した。 「なぜ、お前は運び屋になったんだ」 ふとした問いかけを聞き、白島は隣を見る。 「景造が言っていた。本当は助手になる約束をしていたと」 テルが顔を上げるとお互いに目が合う。白島は途端に苦笑して浴槽の縁に肘を引っ掛けた。顔に滴る雫を掌で拭い、視線を遠くへ向ける。 「ったく、俺がいねえ間に爺さんに吹き込まれてやがる。…まあ、最初はそのつもりだったんだ。一応な」 そう言って伏せられた瞼は過去を懐かしんでいた。 「昔、爺さんに世話になった患者に運び屋をやってた人がいてな。怪我が良くなるまでこの街に留まってたんだ。その時に色々教わってさ。影響を受けたとしたら、そこだろうな」 「お前はどうしてなんだ」という白島の返しにテルは今までの経緯を話した。両親のこと、薬のこと、ナルのこと…彼を追いかけて10年間殺し屋として働き、国を渡り転々と放浪してきたこと。 「なるほどな…」 白島の表情は初めて顔を合わせた時、怪訝そうにテルのフードを払った時のそれと似ても似つかないほど優しいものだった。 (――けどなあ俺が完全にお前を信用した、とは思うなよ) あの日マンションで言われてからたった1ヶ月半だが、今ではこうして風呂まで共に入れられている始末だ。 テル自身も、この男に事情を話すことは無いと思っていた。 所詮、通過点の一つにすぎないのだと。 そのはずだった。 淀んだ社会の中で、甲斐甲斐しく知人の弟の面倒を見るような、こんなにもお節介な人物に会うのは生まれて初めてだと、相手にバレないように笑みを浮かべる。 「迷惑を、かけた」 謝罪すると、白島はぎょっと目を瞬かせたが、それも僅かな間のことだ。 「無愛想で可愛げがなくて生意気だが…お前と組んで後悔はしてないぜ」 投げやりな言葉でも安心と信頼を与えるには十分だった。 「…先に出るぞ」 照れ隠しの様に立ち上がって浴槽から出た白島を見送るが、テルは彼の腰に火傷したような古傷が残っているのを見つける。 再生体質をもっても痕が残る程の大怪我だったのだろうか、とぼんやりそう思った。

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