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何もされていないのに呼ばれた気がした

雨の中自分の部屋の大きなビーズクッションに仰向けで寝て何度もスマホに返信が来ていないか確認する阿部。その度にため息をつく。 「(向こう側から連絡をしてくれることが無い。どうしても会いたい。)」 俺が中学生の頃、田舎に住んでいていて親からは「熊が出るから山には遊びに行くな」とよく言い聞かされていたんだ。 それでもそんな注意を無視して山へ遊びに行った。結局何もいなくて「なんだ出ないじゃないか」と軽々とした気持ちで更に奥へ入っていくと誰かが棄てていったのか子犬のぬいぐるみがあった。ここまで持ってくるのも謎なのだが、カラスとか何かが持ってきたのかもしれない。穴は空いて中の綿が出てきていて幾度となく雨にうたれて泥もこびりついており、子犬の表情は絶望的だった。しかし、そのぬいぐるみの俺を見る目には何かがあったんだ。助けを求める目ではない事は確かだ。こんな状況に及んで何故助けを求めていないのかは分からないのだが、あの目はこちら側へ一方的に訴える目ではなく俺を内側から動かす目をしていた。 俺は家へ帰った時なぜかその人形を持っていて、母は怒ってはいないが呆れた様子で 「中学生にもなって何してるの。はぁ…それはどこから持ってきたの?」 俺はあれだけ言い聞かされたのに山へ行ったなどとはどうしても言えなかった。怒られるのが怖いからじゃない。罰としてその子犬が二度棄てられると思ったんだ。 「ごみ捨て場に棄ててあった。」 学生時代の俺は無個性で冷めていたのでそれなりに声も落ち着いた声だった。おとなしいが成績は優秀でそれが案外モテたわけだが、まず人に興味が無かった。 俺には黒い線と真っ白な余白で構成された世界が広がってたんだ。 だが今日、母は驚いていた。なぜなら何にも興味が無い俺が物を手にして持ってきたのだ。 誰が棄てた物かは分からないが綿を抜き、自分の手で洗い、乾かし、綿を詰め直して裁縫道具を手に取り穴が開いた所は綺麗に縫い合わせた。 自分でも何故かは分からないがじっと集中していた。 作業をしている日は家へ帰ってから部屋に籠って勉強とぬいぐるみの修復作業に徹しており、一息つけば晩御飯を食べに行った。 階段から降りてくるといつも平然と食事をする父と母が私の顔を必ず一度見る。いつもと違うことは自分でも分かっている。 もちろん登下校中に落ちている物だってあるのだが、彼らは俺を動かさなかった。あの子犬のぬいぐるみだけが俺を動かした。 あの穴の空き方からするに、捨てる予定のぬいぐるみを子供が集団で投げたりつついたりして遊んだのではないかと思う。 そう考えると俺の心の中には初めて怒りという感情が現れていた。俺の場合は怒る理由は無いのに。 「お前ぬいぐるみ大事にしてんだって?」 どこから噂が流れたのかは知らない。 「大事というか一個もってるよ。うん。」 「男でこの年齢でかよ。」 「うん。」 俺は相変わらず白けていた。周りの女子はすぐに噂をし始めた。 結局俺は何を言われても特に気にすることもなく学校生活を送ったのだが。 無色な者で、普通が分からないんだな俺は。 人形好きな女がここぞとばかりに告白してきたこともあった。 「阿部君…ぬいぐるみが好きって聞いたんだけど意外だった…。私は人形が好きでさ、私のも…見る?その…だから…良かったら今日一緒に帰ら」 「ごめん。何の噂か知らないけど俺は別に人形が好きって訳じゃないんだ。ごめん。それじゃ。」 少しキツく言ってしまったのだがはっきり断った方がその人の為じゃないかと考えて早めに切り上げた。 因みに今もその人形は持っている。今は何も訴えてこないが。本当は助けを求めていた目だったのではないかと自分の感受性を疑っている。 俺は社会人になってから林くんと出会った。あのときの彼は目ではなく、言動越しに聞こえてくる感情というか心の大きさや形というような情報があの子犬と同じように俺を内側から動かした。子犬の時よりも強力で、感じたものは全く違った。 恋というものを活字で学ぶ人はいないだろう。分からない上に説明がしづらいし、人それぞれなのだから。俺は彼と出会って子犬とは違う初めての感覚を手に入れていた。仕事は平気でこなせるのだが、気を抜くと横顔が脳裏に現れる。 それだけでなく、彼の表情は分からなくても彼は俺を必要としている感情を持っている状態で俺の隣にいる。その状況が当たり前であるという勝手な判断が心のなかに生まれていて、意識的にこれが現実にならなかった場合を考えてみると、今まで経験したことのない様々な感情が襲いかかってきた。感じたことではないが活字に起こせた。何かを失う焦り、俺の物が誰かの物になる悔しさ、大事な運命を疎かにして変えてしまう苦しさ。とにかく自身にとって辛い感情が襲いかかってくる。 ーそうだこれが恋なんだ。ー お金があるから結婚する人はお金がなくなったらどうするのだろうか。顔が格好いいから結婚する人は顔が格好良くなくなったらどうするのだろうか。 世の中多くの人間がいるが、理由が具体的に分からない恋愛をした自分は幸せであると自身の中で断定した。

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