311 / 454
第311話 side景
マンションのエレベーターの中で、詩音から貰った花束とライターを眺めていた。
すごく嬉しかった。
僕の事を考えて選んでくれたのかと思うと、胸がじんわりと温かくなる感じだ。
でも、これからもっと嬉しい事が待っている。
やっと、やっと会えるんだ。
修介と、甘いひと時を過ごせるんだ。
こんなに心が弾んでいるだなんて子供みたいだけど、気持ちが抑えられなかった。
エレベーターから降りて、小走りで自分の部屋へ向かい、カードキーをかざしてドアを開ける。
「修介、ただいま!」
中を覗くと、修介はいなかった。
電気もついておらず真っ暗で、朝出て来た状態とまるで変わらない。
「修介?」
もしかして、驚かそうとして隠れているのか?
そう思ってもう一度名前を呼んでみる。
でも靴も置いてないし、中からは何も反応は無く、耳鳴りがしそうなくらいシンと静まり返っている。
僕はポケットからスマホを取り出した。
特に修介からの連絡は無い。
何かあったのかな。あぁでも、買い物でもしに出かけているのかもしれない。
そのまま修介の番号に電話を掛けてみた。
耳にスマホを当てていると、七回ほどコール音が鳴ってから電話に出てくれた。
『もしもし……』
なんだか様子が変だった。
心なしか元気がないような気がする。
「あ、今、どこにいるの? 遅くなっちゃってごめんね。マンションに着いたんだけど」
僕はあえて明るい調子で話しかけたけど、修介はしばらく何も言わなかった。
ここで、嫌な予感がした。
まさか今日、彼と会えないんじゃないだろうか。
『景、ごめん。今日おれ、そっち行けなくなった……』
「え?」
嫌な予感は見事に的中した。
行けなくなったって……やっぱりここには来てなかったのか。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
『あ、いや、ちょっと事情があって……今度、ちゃんと話すから……あの、ホンマごめん』
「事情って、何?」
『ううん、別に!ちょっと、いろいろと。あ、景、お誕生日おめでとう!一緒に過ごせなくて、ホンマにごめん』
「……」
修介はそれ以上何も言ってこなかった。
僕もそのまま何も言えずにしばらく沈黙が続く。
”別に”
修介がこう口にする時といえば、僕に本当の事を言えない時とか、嘘を吐いている時とかだ。
重村くんとの事で隠し事はないかと問いただした時も、僕の事を好きなのか問いただした時も、修介は『別に』と言った。
……怪しい。
修介、何かあったのか?
最近様子が変だ。
僕と会うの、楽しみにしてくれてたんじゃないの?
――僕はずっとずっと、この日を楽しみに仕事をしてきたよ。
今日会いたいって修介の方から言ってくれて、本当に嬉しかったんだ。
修介の声が聞けなくて、話が出来なくて、ちょっと寂しかったんだよ。
今からでも、来れないの?――
全部、心の中で呟いた後、僕は花の爽やかな香りを吸い込んで笑顔を作った。
「ありがとう。いいよ、もともと僕がゆっくり時間取れないのが悪いんだし。今度一日オフの時にまたおいでよ。たぶん、ちょっと先になっちゃうけどさ」
『あ、うん!そん時は、絶対行く!ホンマごめんな?』
「もういいよ、謝らなくて。じゃあ、またね」
電話を切ってから、リビングへ続く廊下を眺めた。
パタパタと駆け寄ってきて、無邪気におかえりーって言ってくれる修介を勝手に想像していた。
僕は自嘲気味にクスリと笑う。
馬鹿だなぁ。期待しすぎなきゃいいのに。
でもきっと、修介もいろいろあるんだよね。
もしかしたら、とても大事な用事があって、やむを得ずなのかもしれない。
今度、ちゃんと話すって言ってくれたんだ。
それを信じて待っていよう。
気持ちを切り替えてスマホをポケットに仕舞おうとしたら、詩音からプレゼントされたライターが指先に当たった。
ふと思い立って、もう一度スマホを取り出し、詩音の番号に電話を掛けてみた。
ともだちにシェアしよう!