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第358話

「ざっ、ざけんな……」 辛うじて幼稚な悪態をついてみたけど、そんな事しかできない自分に心の底からうんざりした。 たしかに、俺は景の気持ちを分かってなかったのかもしれない。 趣味の事だって、分かり切ってた事だ。 俺に合わせてくれていたけど、景は本当は身体を動かすのが好きだっていう事。 仕事の事だって、同業者じゃない俺には、話しは聞いてあげられるけど、景の大変さは完全には分かってあげられない事。 ――詩音くんだったら分かってくれてるから、景は、自分の秘密を詩音くんにだけ話したの? 詩音くんの方が、俺よりも信頼出来ているから? 手が震えていた。 もし、景が、俺と会わない間に心変わりしていたら? だから、俺からの電話に出なかったのか? この後されるであろう詩音くんからの告白を、景は受け入れてしまったら? そんな事ばかり考えた。 だって、俺は詩音くんに何か一つでも(まさ)ってるところなんてある? 景の為に俳優になったような男なのに。 俺は、俺は......何もない。 俺はたまらずにそこから逃げ出した。 マンションから出て、走って、走って。 胸のぐちゃぐちゃな気持ちは、いくら走っても取れることは無かった。 景に会いに来たのに、何やってんだろう俺。 「――おい、修介!」 パラパラとすれ違う人々の中で、俺の腕を掴んだ人がいた。 驚いて振り向くと、サングラスを掛けたタケさんだった。 「何こいつ走ってんだよと思ったらお前かよ。偶然じゃん。もしかして景ちゃん家行ってた?」 タケさんの隣には知らない男の人がいた。 タケさんは「俺のダチ」と笑いながら話した。 どうしよう。うまく笑えない。言葉が発せない。 視線を合わせたまま何も言わない俺にタケさんはキョトンとして、気遣わしげに俺の顔を覗き込んだ。 「どうしたの?元気ねーじゃん。あ、就活?すげー大変なんだろ?何社も落ちちゃったりして、落ち込んでんの?」 「あ、いえ、すいません、何でもないです」 何でもないと言いながら、俯いてしまった。 三人の中で微妙に重い空気が流れる。 タケさんはしばらく俺の顔をジッと見つめた後、切り出した。 「俺ん家来る? コーヒーでも飲んでけよ」 ふと顔を上げると、タケさんは何も聞かない代わりに微笑んでくれて、俺は少しだけ救われた。 誰かにこの気持ちを聞いて欲しかった。 吐き出さないと、俺が俺でなくなっちゃうような気がした。 タケさんの好意に甘えて何も言わずにゆっくり頷くと、タケさんは連れていた男の人に何かを言った。その人は「またな」とタケさんに手を上げて、俺にはお辞儀をして帰っていった。 しばらくしてからタケさんはタクシーを捕まえてくれたから、俺は一緒にそれに乗り込んだ。

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