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第441話
父は景の顔を見て、驚きの表情をさせていた。
やっぱり藤澤 景がこの家にいるだなんて、到底信じられないのだろう。
「初めまして。藤澤 景といいます。お邪魔しています」
父は景をじろりと見渡してから、さっきみたいに直ぐに視線を逸らして頭を下げた。
「……どうも」
それだけ言って、おずおずと冷蔵庫の扉を開けて缶ビールや焼酎をテーブルの上に並べ始めた。
母みたいにうるさく騒がれても困るけど、折角景に会ったっていうのに、何でそんなにテンションが変わらないんだろうと呆れていると、オカンは父に声を掛けた。
「お父さん、何でそんなに冷静でおるんよ?藤澤 景くんやで?俳優の」
「ん?俳優?」
「え、まさか知らんの?たっくさんテレビとか雑誌に出てるやないの!私だって、好きで写真集買ったんやって前に言うたやんか」
「んー、そうやったかな」
父は曖昧に返事をして、母の手伝いをしている。
母は「ごめんなさいねぇ」と景に謝りながら、父に文句を言っていた。
なんだ。さっき驚いた表情をしてたから、てっきり景だって分かったのかと思ったのに、単にカッコイイから見蕩れてた、とかそんなのか。
確かに、自分の息子と同い年の俳優に興味がある四十代男性が多いのかといったら、そうでは無いだろう。
特に父が観るのは専ら海外の映画やドラマだし、景が出演していそうな若者向けの恋愛ドラマなんて見てたら逆に嫌かも。
でも、もう少し愛想よくしてくれてもいいのになぁ。
景のズボンをこっそり摘んで「ごめんなぁ」と小さく言うと、景は全く気にしてないような表情で明るく首を横に振った。
食卓に座って、景は父のお猪口に酒を注いだ。
テーブルの上には、いつも俺が帰省する時の夕飯のメニューが並べられていた。
天ぷらの他に漬物、玉ねぎと油揚げの入った味噌汁、水菜と鶏もも肉の塩焼き。
景は箸の持ち方や食べ方もとても綺麗で、オカンはいちいち褒めていた。
食事中は父はほとんど会話に参加せず、ただ俺達の話を静かに聞いているだけだった。
二、三度、景が父に話しかけたりしたけど、あぁとかうんばかりで、そこから会話が広がることが無かった。
ちょっと寂しくも思ったけど、安堵の気持ちもあった。
きっとこの後、景が俺と一緒に住むって事を二人に言ってくれる。
父のこの様子じゃ、直ぐに「そうか」と頷いてくれるだろう。
オカンはオカンで、嬉しがってくれると思うし。
今回は景の実家に比べて随分と気持ちが楽だな、と食後にもちびちびと酒を飲みながら思っていたら、早速景が二人に切り出してくれた。
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