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第1話

――運命のつがい ――それは、出会ってしまったら最後、燃え上がる本能に支配されて欲望のままに相手を欲してしまう。 ---------------------- 「わぁああ、本物だ!」 「でっかいねぇ」 「乗りたい乗りたい!!」   目の前の光景に興奮して、子供たちは歓声を上げた。 「みんな静かに。さぁ、署長さんにあいさつをしましょうね」  その声を制するようにベテラン保育士、カーラの声が大きく周囲に響き渡り、さらに元気な声がその声をかき消した。 「「「はーい!よーろーしーくーおーねーがーいーしーます!」」」  冬の間に降った雪はほとんど溶けて澄んだ空からは柔らかな太陽の日差しが降り注いでいる。  まだ肌寒くはあるが、その寒さを吹き飛ばすかのような声に消防署内の空気が震えた。  ここに来るまでの道中、子供のやんちゃぶりに冷や汗を何度もかいていた新人保育士のエイトはその声を聞きながら、無事に到着したことに胸をなでおろす。  今日はカーラ先生が率いる、こもれび保育園の年長児の消防署見学である。エイトはその引率の一人として同行していた。   「はい、こんにちは。みなさんよく来てくれましたのぉ。今日は街で見かける消防車や救急車がどんな仕組みか、乗っている人がどんなお仕事をしているか、みんなによーく知ってもらうためのお話をします」  ニコニコしながら話しかける大柄な署長の頭には丸くて茶色い耳がついていて、時折ぴょこぴょこと動く。  話を聞きながらも署長の背後に停めてある大きなはしご車を目にして、何人かの子供たちの尻尾もユラユラと揺れている。  ここイスティーランドの住人は多くが半人半獣として生を受ける。  神々の記憶によると、はるか昔に『人間』と呼ばれる、毛に覆われた耳も、フサフサの尻尾も持たない者たちがこの星で大規模な争いを起こした。長く続いた争いは、最終的に現代では想像もつかないような残酷な『AI兵器』と呼ばれるものでの応酬を繰り広げ、世界はAI兵器の放った化学物質ですべての生命が息絶えた。  星に生きる生命だけではなく、土も自然も空気も死んだ。  『地球』と呼ばれていたその星の美しさに魅せられていたイスティー神がその様に嘆き悲しみ、数千年ののち、星に再び命の息吹を吹き込んだそうだ。   そうして再生したのがこのイスティーランドだ。  神は二度と同じ過ちを繰り返さないために、人を創るのを少しばかりためらった。 が、音楽や絵画などの芸術から、土着して自分たちで食べ物を始め様々なモノを生み出し流通させる経済活動、果てはITを駆使したネットワークの構築まで、他の獣にはない知性の高さをどうしても捨てきれなかった。  そこで神は迷いながらも心優しき獣たちの魂と混ぜ合わせれば何とかなるだろう、と空中に漂う魂をコネコネした結果、人の身体に耳や尻尾が生えている獣人が出来上がった、と言われている。 (だったら全部獣人にしてくれればよかったのに……)  よく子供に絵本で読み聞かせる創世記のお話を思い出しながら、エイトはため息をついた。  エイトはゴリラ族である。  その見た目は、身長こそ成人ゴリラの平均より少し低いぐらいではあるが、浅黒い肌に広い肩幅、発達した大胸筋と、この世に存在する半人半獣の中では体格の良い部類に入る。その顔だちは、彫りの深い二重の瞼にツンと上向いた鼻、分厚い唇は下の方が少しばかり突き出ていた。  毛むくじゃらではないものの、ゴリラ族にはほかの種族と明らかに違う特徴がある。それは、常に半獣の姿だということだ。  他種族は成長するにつれて耳や尻尾を隠して完璧に『ヒト』化することや、全身を体毛に追われて完璧な獣の姿になることが出来る。  だが、エイトたちゴリラ族はどちらも完璧に変化することはできず常に半人半ゴリラ姿で生活しているのだ。  なんでも、まだこの地が地球と呼ばれていたころにイスティー神がたまたま見かけたゴリラが超絶イケメンかつ絶滅の危機に瀕していた。このままこの世から消すわけにはいかない、と魂をかき混ぜながら思い出してしまったので、そこから別枠でゴリラを復活させた結果、こうなったそうだ。 『神に愛された特別な存在』なんて言われるが、子供の頃は容赦ない同級生の言葉に傷ついたこともある。でも大人になるにつれて、元来平和を愛す穏やかな獣人たちは、当たり前に受け入れて、エイト自身も不自由なく普通に生活を送っている。    それよりも、問題なのはめちゃくちゃな神の創世によってできたもう一つの副作用のほうだ。 「はい、では緊急出動のアラームが鳴った時、隊員はどれぐらいの速さで準備して・・・・・・ おや、出動していた隊員たちが帰ってきたようじゃの。みんな、危ないからこっちの方へ寄るんじゃ」  熊獣人の署長が、通報があった時の対応方法をクイズを混ぜながら子供たちに説明をしていると、ちょうど出動していた消防車が車庫へと戻って来た。  停車した消防車から、普段目にすることのない特殊な防護服を着た大人たちが降りてくる姿に、再び子供たちの歓声が上がる。 「君たち、お疲れのところすまんが、子供たちにその服をよくみせてやってくれんなの」 「お安い御用で」  歓声に振り向いた5人の大柄な隊員たちは、それぞれゾウ、キリン、カバ、カンガルーの獣人、それにこもれび保育園に子供が通園している、大アナコンダのヘビロフさんだ。彼らは署長からのお願いににこやかに対応した。  返事を聞くや否や子供たちはワッと駆け寄って、それぞれの隊員を取り囲み、質問を浴びせながら遠慮なく衣服をぺらぺらとめくる。その様子に保育士たちは焦ったが、隊員たちは終始にこにこと子供たちの相手をしてくれている。 「消防士さんって男前揃いよねぇ」 「命を懸ける仕事ってかっこいいし、子供への接し方も優しいなんて、これを機にお近づきになりたいところだわ」 「ヘビロフさんにそれとなく合コンのセッティングお願いしちゃう?」    子供たちの様子を見ながらハラハラしているエイトの横で他の保育士たちはのんきに隊員の品定めを始めている。 (あ、またこの流れか・・・) 「それに消防士って何気にアルファがいたりするって聞くわよ」 「えー!そうなの?それはお近づきになりたーい!」  そのやりとりにエイトは内心、はじまった……とガクリと肩を落した。 「ね、エイト先生もそう思うでしょ?」  キラキラいや、若干ギラついた目で猫族の保育士、サラがエイトに同意を求める。 「いや、僕はそういうのは……」 「もう~ホント、エイト先生ノリが悪いわねぇ」 「まぁエイト先生はベータの男性だから同性の消防士には興味ないわよ」 「そうね、でもカーラ先生! 私たちはベータだろうがアルファだろうがいい男はとにかく捕まえに行かなきゃ!!」  そう、神の創世による副作用とは、男女性の他に|α《アルファ》、|β《ベータ》、|Ω《オメガ》という第2性が存在することだ。  アルファは頭脳明晰、運動神経抜群、コミュニケーション能力にも優れ、指揮官としても非常に有能なのでここイスティーランドにおいて国の重要な役職や大会社のトップについているもののほとんどがアルファである。  そのアルファ性は全体の一割ほどにすぎない。  続くベータはイスティーランドにおける全人口の約8割を占めている。良くも悪くも汎用な性種であるが、その勤勉さは三種の性の中で群を抜いている。  昨今のイスティーランドが経済的に豊かなのは、アルファの与える指示を忠実に、丹念に遂行していったベータの努力あってこそ、ともいえる。  そしてオメガ。  単純計算で人口の1割はいるはずなのだが、公表されている統計でオメガと確定しているのは全人口の約3%に過ぎない。その特殊性から、機微情報として扱われ、存在を秘匿される場合が少なくないからだ。  オメガの一番の特徴は、一次性徴が男性の場合でも妊娠可能である、という点だ。  そして男女性関係なく、三か月に一度、強烈なフェロモンを発する。|発情期《ヒート》と呼ばれるそれは、その場にいるアルファ、時にベータですらも性衝動を引き起され、強制的に性行為に及んでしまう。  少ない性種ではあるが、その性質が一部の生物学研究者の興味対象になり、様々な研究や実験がなされ、今では発情期の状態を抑える抑制剤が開発されている。  そんな厄介な性だが、アルファにとっては非常に重要であった。なぜなら、稀少種であるアルファの子孫を産めるのはオメガのみといわれているからだ。    ただ、カーラ先生やサラ先生などの肉食系女子ベータが優秀な遺伝子を持つアルファをみすみす見逃すわけがない。自身の「いい男レーダー」にひっかかった者には容赦なくアタックしていく。  それは仕事中だろうが遺憾なく発揮され、こうして課外学習に出るたびに獲物をハントしている。  毎回玉砕しているのにめげないメンタルの強さはいったいどこからやってくるのか。 「先生トイレ~」 「僕も!」 「私も~」  若干呆れながら他の先生たちの話を聞き流していると、消防士への質問と飛びつき攻撃が落ちついた一人の子供からトイレコールがあがったので、カーラ先生が休憩時間にした。  みんなでぞろぞろとトイレへ向かい、サラ先生が女子トイレ、エイトが男子トイレへと子供たちを誘導する。  用を足し終わった子から人数確認しながらカーラ先生の元へ全員返し、飛び散った子供たちの尿をティッシュペーパーで拭っているとさっきの隊員たちがわらわらとトイレへ入ってきた。  大きい獣人が5人もきて、エイトは狭くなったトイレに慌てて外に出ようとしたが、なぜだか隊員たちに囲まれてしまった。 「エイト先生、いつもお迎えの時思ってたんだけど、いい体幹してるね」 「どれくらいの頻度で鍛えてるの?」 「飲んでるプロテイン教えて」 「今夜ご飯行かない?」 「パンツはボクサー派?ブリーフ派?ジョックストラップは男のたしなみだよね」 「え?え……その……」  矢継ぎ早に放たれる質問はその迫力に気圧されて理解できない。  確かにエイトはゴリラ族なので筋肉は発達している方だ。だが特に鍛えているわけでもないし、しいていえば子供たちと外で思い切り遊ぶくらいで、頻度とかプロテインとかは返答に困る。  それに何だか後半の質問は口説かれているようで、頭に疑問符しか浮かばない。ジョックストラップとは一体なんぞや。 大きな体に追い詰められて背中に冷や汗を流しながら後退すると、隊員たちは先程の子供たちのようなきらきらの瞳で取り囲んでくる。じりじりと壁際に追いやられて混乱したエイトは目尻に涙を滲ませた。  そもそも、過去のトラウマからエイトは大柄な男性がダメなのだ。  保育士という職業を選んだのも、子供が好きというのももちろんあったが、それ以上にあまり大きな男の人と接することもないだろう、という側面もあったからだ。  それがこうして屈強な男達に取り囲まれることになるなんて……。 「こら、お前ら勤務時間中に何をしているんだ」  獣人たちの圧で膝が震えてしゃがみこみそうになったとき、トイレの入口から、澄みわたるバリトンが響いた。  大声だったわけでもないのに、その声に隊員達は一瞬にして振り返り、直立不動になる。 「しっ司令長!!いや、これは…」 「体格のいい獣人がいたので……」 「つい……」 「ついじゃないだろう、さっさと持ち場に戻れ!」  一括すると隊員たちは一目散にトイレを出ていった。 「まったく、あいつらは……すまないな、どうもあいつらは鍛えてる獣人をみると過剰に声をかけたがる。どこか怪我は……」  近づいてくる声に、エイトが顔を上げた。声の主は思いの外背が高くて、視線は広い胸板までしか届かなかった。  更に顎を上げて上方を仰ぐと、健康的な褐色の色をした首元、引き締まった口、高い鼻梁、そして長いまつ毛に縁取られた切れ長の瞳もじっとこちらを見つめ返してて、エイトはピキンと固まった。ダークブラウンの髪色と相まって、超絶美形がそこにいのだ。 「あぁ、あいつらも声をかけたくなるわけだ。私はこの署内で司令長をしている、ブレッドだ」  ブレッドはエイトの顔を見つめながら、フッと柔らかな笑みを浮かべて、トイレの壁に背を張りつけて今にも膝を折りそうなエイトの手を取った。 瞬間、2人の手のひらの間で強い稲妻の様な痺れが走り、弾かれたように同時に手を引っ込めた。 「えっ、なに……?」  その時、エイトの心臓が大きく高鳴り体温が急激に上昇した。 全身の血管をどくどくとものすごい速さで血液が通り過ぎ、下腹に熱が集中した。頭には霞がかかりはじめる。 「やば……なんで今、急にこんな……」  突然の己の異変に焦る。 「君は……もしかして」  ブレッドが驚愕の目を向けて再び手を伸ばし、肩で呼吸をしながらも体の急激な変化を押さえ込もうとするエイトの腕を掴んだ。 「っ……あぅっ」  触れたところが燃えるように熱くなり、呻き声を零すと、ブレッドは反対の手でエイトの顎を上向かせた。 「なんで、こんな所で……」  覗き込むブレッドの黒い瞳に、焦りと情欲が拡がりだす。 (お互いに、このままじゃ……やばい!!)  本能に飲み込まれそうになる理性をなんとか稼働させて、エイトは羽織っていたパーカーの隠しポケットから非常用に、と持ち歩いている発情抑制剤を取り出した。 だが、震える指では上手く開封できない。 「貸せ、私がやる」 「んっんぐっ」  焦って取りこぼしそうになった薬を横から掬いとると、ブレッドは素早い手つきで錠剤を取り出し、エイトの口に押し込んだ。  水なし3錠一気飲みはちょっとキツかったが、流石は非常用、すぐに効果が現れた。  激しく波打っていた脈も火照っていた体も平常を取り戻す。  だが、同時に世界がぐるりと一転して、ものすごい目眩と吐き気に襲われた。 「副作用か?休憩室に運ぶからちょっとだけ辛抱してくれ」  背中をさすられたかと思うと、次には体が宙に浮いていた。ブレッドは決して軽くないエイトを簡単に持ち上げて、危なげない足取りで『仮眠室』と書かれた部屋に辿り着き、 そっとベッドへとエイトを横たえる。 「子供たちの所内の見学が終わるまでゆっくり休んでいなさい。ほかの先生には伝えておく」  言うと同時に手のひらで瞼を軽く覆われ、エイトはなぜだかとてつもない安心感に包まれて、呆気なく意識を手放した。

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