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1花
花喰い鬼と、花の涙を零す人が、
時を超えて契りを果たす物語。
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昔々ある小さな集落では、古の時から続いている風習があった。
それは【花喰い鬼】に【生贄】を捧げるという風習だった。
【花喰い鬼】というのは、この集落で遠い昔から恐れ奉られている【鬼】であった。花喰い鬼は、主に茨を自由自在に操ると言われていた。集落をありとあらゆる災厄から守る代償として【生贄】を要求した。ただし、生贄となる人間には条件があった。花喰い鬼に「呪い」をかけられた一族の人間だけしか生贄にはなれない。花喰い鬼に呪いをかけられた人間は、零れ落ちる涙が白薔薇の花びらに変わり、滴り落ちる血が赤薔薇の花びらに変わった。花の涙や花の血を零す人間を喰らう鬼という意味で【花喰い鬼】と呼ばれていた。数年に一度、花喰い鬼は生贄を要求して、集落の村人達は生贄を捧げ続けてきた。
けれど、数年経ったある年に、旅を続けてたまたま集落に立ち寄った一人の僧侶がいた。花喰い鬼を恐れていた集落の村人達は、僧侶に【鬼】を封印する術を教わった。僧侶は集落の村人達に鬼を封じる為の【水晶玉】を与えた。集落の村人達は、昔から恐れ続けていた花喰い鬼を、水晶玉を使用して森の奥深くにある小さな社に、封印したのだった。小さな社の周りには、鋭い棘のついた茨が生え渡った。
こうして、花喰い鬼を封印した集落の村人達は、子供達に対して「小さな社には、決して遊び半分で近付いてはならない」と遠ざけた。時が流れるのと共に、小さな集落の森の奥深くに封印された【花喰い鬼】の存在も、いつしか人々に忘れ去られてしまったのだった。
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ゆらゆらと電車に揺られながら、のんびりと窓の外を見ると、澄み切った青空が広がっていた。けれど、澄み切った青空とは裏腹に、青年の顔は暗く沈んでいた。柔らかい黒色の髪に、瑠璃色の瞳。白色のパーカーを着込み、黒色のズボンを履いている童顔の青年。名前を花咲廻(はなさきめぐる)と言った。廻は、自分の生まれた故郷に帰郷する為に、時間をかけて電車に揺られていた。
幼い頃、廻は祖父母と一緒に暮らしていたが父親の仕事の都合で、祖父母を残して都会へと出て行った。都会を出てからも、何回も両親と弟と引っ越しを繰り返した。廻も大きく育ち、独り立ちをする頃には、すっかり自分の生まれ故郷の事を忘れていた。
いつもの様に暮らしていた廻の元に、一通の手紙が届いた。それは、祖父母が亡くなったという知らせだった。後から聞いた話だと、祖父母は病気で亡くなったそうだ。その時の廻は都合がつかなくて、葬式に出る事が出来なかった。ようやく落ち着いて時間が出来たので、久しぶりに祖父母の家に帰ろうとしていた。電車から降りて、近くにあるバス停まで歩いていく。バスに乗り込んでは、ゆらゆらと揺られていた。外の景色を見てみると、都会のコンクリートジャングルとは違い、自然豊かで大きな森が広がっていた。
(そういえば……)
ふと、廻は祖母から聞いた昔話を思い出した。廻が住んでいた故郷では、遠い昔に【花喰い鬼】という鬼の化け物がいたそうだ。その鬼を封じた小さな社が、森の奥深くにあるから、絶対に近付いてはいけないと、強く言い聞かされていた。どうして、近付いていけないのか、その理由は結局、分からなかった。それでも、祖母が話す時の表情は真剣そのもので、幼心に廻は花喰い鬼が封じられている小さな社に、遊び半分で近付いてはいけないと思ったほどだった。
それから、程なくして廻は父親に連れられて、生まれ故郷を去った。どうして、今頃になって祖母から聞かされた昔話を思い出したのかは分からない。けれども、廻は妙な胸騒ぎを覚えて仕方が無かった。ざわざわと風が吹き荒れて、緑色に染まった木々を揺らすのだった。
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『廻』
眠りに落ちている中で、ふと、廻は自分の名前を呼ばれた事に気付いた。その低い声音は、まるで愛しい人の名前を呼ぶかの様に優しくて、ひどく懐かしい気持ちにさせた。知っている様で、知らない様で、声の主が誰なのかは思い出せない。廻は、その声に誘われる様に、意識を覚醒させた。
「……えっ?」
ゆっくりと目を開けた瞬間、廻の視界に入って来たのは、たくさんの木々が生い茂っている森の中だった。生暖かい風が吹いて、廻の頬を撫でる。恐る恐る見上げると、満月が浮かぶ夜空が見えた。満月の冷たい光が、廻の姿を照らし出していた。けれど、その光が薄暗く何処か不気味に感じた。
「ここは……、何処……?」
自分の格好を確認すると、寝間着を着込んでいるだけで持ち物は何も無かった。目を瞬かせても、自分の頬を抓っても、夢では無く現実である事を実感した。
確かに廻は、バスから降りて祖父母の家に着いて、仏壇にお参りをしてから、いろいろと済ませてから眠りに着いたはずだった。祖父母の家で眠りに着いたはずなのに、一体どうして森の中にいるのだろうか。真夜中に、森の中で一人だけでいるという状況が、怖くなり身体を震え上がらせる。自分で自分の身体を抱きしめる様にして、このまま突っ立っていても仕方が無いと思い、足を一歩踏み出したのだった。
満月の光が照らしてくれるおかげで、歩く事に支障は無かったが心許なかった。辺りは不気味なくらいに静まり返っていて、梟の鳴き声すらも聞こえない。一刻も早く暗い森の中から抜け出したくて、廻の足は自然と早足になった。
急いで、急いで、急いで。
まるで、何かに追われている様な強迫観念を持ちながら、自然と廻の呼吸は荒くなってしまう。もともと、怖いものが苦手な廻にとって、今の状況は不安になるばかりだ。
祖父母の家に早く帰りたいと強く願いながら、歩き続けていると森の中で開けた場所に出た。けれど、先ほどの森と違って、辺り一面に棘のついた茨の植物が生え渡り、不気味に張り巡らされていた。
「何で、茨が……?」
廻は首を傾げながらも、茨の棘に気を付けながら足を進めた。すると、茨に覆われた先で何か見えた。目を凝らしてよくよく見てみると、それは小さな社だった。茨の植物で覆われた古びた木製で出来た小さな社。
(あっ……)
その社を見た瞬間、廻は幼い頃に聞いた祖母の話を思い出した。
『決して、小さな社には近付いてはいけない、小さな社の中には【花喰い鬼】が封印されているから』
廻が今いる場所は、鬼が封印された森の中にいるのだと気付いてしまった。その瞬間、小さな社が突然、強く閃光を放った。眩しさのあまり思わず目を瞑る。強い風が吹き荒れたかと思うと、その風にのって仄かに薔薇の匂いが香った。
「廻」
眠りに落ちていた時に呼ばれた同じ低い声音が、耳に入る。恐る恐る廻は目を開けると、小さな社の前には青年が悠然と立っていた。艶やかな黒髪に、切れ長の血の様に紅い色の瞳。恐ろしいほどに端正な顔立ちで、雪の様に真っ白な着流しを着込んでいた。けれど、人間には似つかわしくない鋭い爪と、頭の上には二本の角が生えていた。突然、現れた異形の存在に、廻の身体は恐怖から震えあがった。目の前に立っているのは、【花喰い鬼】なのだろうと、廻は確信してしまった。
「……ああ、この時をどれほど待ちわびた事か」
花喰い鬼は、三日月の様に口角を上げる。その笑みは美しくも妖しく魅せて、廻はどきりと心臓の鼓動が脈打つのを感じた。けれど、ここにいては危ないと本能が警鐘を鳴らす。廻は後退りをして逃げ出そうとした時だった。
「逃がさんぞ」
紅色の瞳が鋭く細められたかと思うと、廻の腕や足に、しゅるり、しゅるりと、茨が絡みついていく。
「や、やめっ……!」
廻は顔を青褪めさせながら、必死に身体を動かして逃れようとした。けれども、茨の力が強いせいか身体を拘束されてしまい、その場を動けなくなってしまった。ざり、ざりと花喰い鬼が地面を踏みながら、ゆっくりとした足取りで、廻の方に向かい歩いてくる。
「やだ……やだっ、離して……っ!」
身動ぎしながら茨の拘束を解こうとするが、解けずにさらに強い力で巻き付かれてしまう。思わず茨に巻き付かれる苦しさに廻は喘いだ。
「……お前は、あの時みたいに、また『逃げる』のか」
その地を這う様な寂しさを滲ませた低い声音に、廻は驚いてびくりと身体を震わせる。目の前に立っている花喰い鬼の紅色の瞳を見て、さらにぞっとした。明らかに、廻に対して憎悪と言った負の感情を抱いた冷たい紅色の瞳をしていた。廻が怯えて声が出せないでいるのにも関わらず、花喰い鬼は「まぁいい」と短く告げると、廻の頬をするりと撫でる。花喰い鬼の手はひんやりとして冷たくて、廻の身体をさらに震え上がらせる。まるで、愛しいものに触れるかの様になぞってくるので、廻は理解が追い付かず混乱していた。そうして、廻の事を強く抱きしめると、花喰い鬼は三日月の様に弧を描きながら歪に笑んだ。
「あの時の恨み、忘れんぞ」
そう告げると同時に、強い風が花喰い鬼と廻の周りに吹き荒れる。強い風が止むと、辺りには誰一人もいなかったのであった。
不気味なくらいに冷たい光を放つ満月が浮かぶ夜空の下、花喰い鬼と邂逅してしまった生贄の話が始まろうとしていた。
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