1 / 3

 世界が僕の恋を肯定してくれている。  双子の兄、日向(ひなた)がΩで。  弟である僕、優弦(ゆづる)がα。  兄が初めてヒートを起こした夜にそんな真実を両親から聞いたとき、僕はそう思ってしまった。  だって、そうとしか思えない。  βの両親から生まれながら、Ωとαで。  同性であるという壁も、兄弟であるという壁も、『番だから』という一言で一瞬にして消えてしまう。  どれだけ確率の低い奇跡でも、重なれば必然の運命というものだ。  けれど、一番肯定してほしかった人は、それを否定した。  ヒートが収まり、落ち着きを戻した兄は暴れに暴れた。今までβとして平和に過ごしてきたのに、Ωだったと突きつけられて、今までΩのヒートとは無縁だった両親から「はしたない、恥さらし」と突き放されて。当時住んでいた区域はΩへの差別が強かったせいもあるかもしれない。とにかくそのときの兄さんは、優しかった昔の兄さんではなくなっていた。  すさんだ兄の心を落ち着かせようと手を伸ばしても、兄自身がそれを拒否した。「オレに触るな、α野郎」と。  そのとき、分かってしまったのだ。僕の恋は、どれだけ肯定されたものでも、叶うものではなかったのだと。  だから僕はその日から、決めたのだ。この想いはしまい込んでしまおう、と。  例え何があっても、日向兄さんを襲わない。手を出さない。絶対に。  ――そう、決意したのだ。 □■□ □■□  その決意から五年後。僕は21歳となり、兄さんと二人暮らしをしていた。親が仕送りにも限界があるから二人で暮らしてくれと、個々が一人暮らしをすることを認めてくれなかったのだ。兄さんはあまり家に帰っては来ないが、それでも二人暮らしが決まったときに、大して抵抗しなかったのは、かろうじてまだ僕を弟と認めてくれているからかもしれない。  兄さんの初めてのヒートが起きた一件から、まともに会話をしていないように思う。目があっても、ふっと目をそらされる。そうすると、気まずくなって僕は次の言葉を失う。結局ろくな会話にはならないのだ。  未だに番がいない兄さんにとっては、同じくフリーであるαなんて脅威でしかないのだろう。僕も誰か番を見つければ兄も多少安心するのかもしれないが、兄以外に番になりたい人などいなかった。  兄さんへの想いはしまい込むことは出来ても、捨て去ることは出来なくて。悟られぬよう表に出さないが、それでも心の片隅で確かな存在感を放っていた。 「はあ……」  リビングのソファでソシャゲをしていた僕は、キャラのスタミナが切れると、スマホの電源を落として袖をまくりながら台所へと立つ。  夕飯を作らねばならない。  一応、親から二人分の食費をもらっている以上、兄さんの分も作らないと、といつも二人分作るのだが、兄さんと一緒に食べることはまずない。二人暮らしを始めた頃、兄さんの帰りを待って一緒にご飯を食べたことはあったが、酷く重い沈黙に耐えられず、それ以降は先にご飯を食べるようにしている。  今夜は大学のサークル仲間と飲み会と言っていたし、軽くつまめるようなものがあればいいかな、とおにぎりを作ることに。中身の具材は、兄さんの好きなものにしよう。  眼鏡のブリッジを押し上げ、さあ作るぞ、と意気込む。  しかしタイミング悪くインターフォンがなる。僕は準備した具材をそのままに、玄関へと向かった。 「はいはい、どちらさ……っ!?」  扉を開けた瞬間、にゅっと腕がこちらへとのびてくる。相手を確認せずにそのまま玄関を開けたの不用心が過ぎたか、と焦ったのもつかの間。腕を首に回してきたのは兄さんだった。 「兄さん? どうしたの?」  兄さんは腕を首に回した勢いで、倒れこむようにこちらへと体重をかけて来る。  僕は兄さんを支えきれず、膝をつく。  ほんのりとアルコールの臭いがする兄さんを抱きかかえながら、内心の動揺を悟られないように少し茶化したように僕は言葉をかけた。 「ちょっと、おも――」  兄さんは、そのまま、僕に、キスをしてきた。  キス、という生易しいものではない。僕の口を食べるがごとく、唇に噛みついてきた。  頭が真っ白になって、状況に追いつけない。息をつく暇もなく、兄さんは角度を変えては、何度も僕に口づけた。いつの間にか扉は閉まっていて、くちゅくちゅと水っぽい音は、玄関だけに響く。途中で、眼鏡がずり落ちて、床に落ちる音がしたような気がするが、そんなものを気にしている余裕はない。  すっかりと玄関の床の上に座り込み、兄さんにされるがままだ。  がりっ、という音と共に、口の中に鉄臭さが広がる。勢い余った兄さんが、僕の唇の皮を噛みちぎったようだった。  その血の味と痛みに、少しだけ冷静さを取り戻す。 「兄さん、どうしたの」  僕は兄さんを引き離す様に押し除けた。  顔を上げた兄さんは恍惚と、とろけたような顔をしていた。 「ゆづるぅ……」  潤んだ瞳と舌が回っていないような甘ったるい声音に、僕は数年前の兄さんを思い出していた。  ヒートだ。  息を荒げた兄さんが呼吸をするたび、甘い匂いがじわじわと僕を誘惑してくる。これがフェロモン、というやつなのだろう。最初はアルコールの酒臭さのせいで分からなかったが、一度気が付くとせきを切ったかのように甘い匂いが襲ってくる。 「ゆづる、せっくすしようよぉ……。子供つくろ? パパになって」 「待って待って、兄さん、落ち着いて――ひぅっ!?」  兄さんが僕の肩口に頭をうずめ、ぐりぐりと額を押し付けてくる。べろり、と首筋を舐められれば、ただひたすらに理性が消えないように必死にかき集めることしか出来ない。  髪から香る匂いが。  僕の首に這う舌が。  まるで喘ぎ声のような吐息が。  兄さんの全てが、僕を誘っていた。  もはや僕自身も、何故こんなに耐えられているのかが不思議で仕方なかった。痛さを伴って熱くなる性器が、諦めろよと消えかかる理性に追い打ちをかけていく。  僕はありったけの力を込めて、玄関床のタイルの隙間へと爪を立てた。  抵抗して、兄さんを押さえつけるだけの力はもうない。けれど、絶対に、僕から手を出すわけにはいかなかった。  仮に今、兄さんに手を出して、明日から兄さんに軽蔑され無視され、相手にされなかったら、という恐怖が、かろうじて僕に理性を持たせてくれた。 「に、さん。薬……薬は?」  兄さんは確か抑制薬を、発情期が来るであろう時期以外でも、必ず常備していた。今も持っているはず、と兄さんのパーカーのポケットを探る。すると、それは簡単に見つかるが、錠剤シートを取り出すと、兄さんは僕の手からそれを奪い取り、遠くへと投げ去った。 「薬なんてどうでもいいだろ。優弦の精子ちょうだい。オレの、奥に、ね? ね?」  ぐりぐりと固くなったそれを押し付けながら言う兄さんの言葉に、僕の理性は崩壊寸前だった。いや、もう理性なんてとっくにない。あるのは、ほんの少し、兄に嫌われるかもしれないという恐怖だけ。

ともだちにシェアしよう!