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中
「やめてよ……今更……兄さん、僕は兄さんには手を出さないって決めて……」
絞り出すように、僕は言った。
本当に今更だ。
もう、二度と日の光を当てるこがない、当てさせるわけにはいかないこの想いを、無理やり引き出すのはやめてくれ。
「兄さんは、僕のことなんか、嫌いなんだろ……!」
僕は、認めたくなかった、ずっと目をそらしていたかったはずの現実を、自分から言葉にしてしまっていた。
いつの間にか、僕の頬を涙が伝う。
――ぼやけた僕の視界をぬぐったのは、兄さんの手だった。
「すきだよ」
ぽつり、と。
兄さんはその言葉をささやいた。
普段は眼鏡で矯正されているはずの、少しだけ歪んだ視界には、酷く傷ついたような顔をした兄さんがいた。
「ずっと、優弦が好きだったよ」
「……うそだ」
だって、言ったじゃないか。
触るなって。
僕を、拒絶して、拒否して。壁を作って。
認められた僕の恋を、叶わないものにしたのは兄さんなのに。
「……ずっと、ずっとだ。オレが、オレとお前をβと信じて疑っていなかった頃から。ずっと好きだった」
兄さんの手は、震えていた。
その震えは、ヒートからくる興奮のためじゃなく、怯えが原因であることは、かすれるような声が物語っていた。
「世界で一番信用していた両親に、裏切られたんだ。世界で一番愛したお前にも見捨てられたら……生きていけないと思った」
荒れる息を押さえるような、舌足らずな声音で兄さんは話す。
ヒートの欲情を押さえながら話すのは相当辛いようで、ゆったりと僕にもたれかかってくる。それでも兄さんは、僕への謝罪を止めることはなかった。
「怖かったんだ。実家の辺りがΩへの風当たりが強いのはお前も知ってるだろ。当時のオレの友達や先輩後輩にも、Ωへの差別意識が強いやつらばっかりだった。実際、Ωバレして何人にも縁切られたしな……。お前がそっち側に行ったらどうしようって。それしか考えてなかった」
兄さんがもたれかかった辺りが、ほんのりと冷たかった。
服が濡れている感触が、じんわりと広がっていく。
「っ……、ずっと、謝らなきゃとは思ってたんだ。心にもないことを言ってごめん、って。でもなかなか言葉に出来なくて、目を合わせられなかった」
本当に好きなんだ、と兄さんは言った。
嘘だ、嘘だ。
嘘だ。
兄さんが、そんな風に、僕のことを言っていたなんて。
僕が口を開こうとしたとき、兄さんは僕の言葉を食べるかのように、口を啄んだ。先程とは打って変わって、優しく、それでいてねっとりとしたキス。
「オレが悪いのは分かってるけど……、っ、想いを否定されるのは、振られるよりも傷つくな」
無理やり、と言ったように悪戯っぽい笑みを浮かべた兄さんの瞳は、どこか焦点が合っていない。荒い呼吸が戻ってきていて、まるで全力疾走の後のように、肩で息をしている。ヒートの熱を押さえつけるのも限界が近いのだろう。かく言う僕も、これだけ発情しきったΩ――もとい兄さんが密着していて、こらえるのがつらい。
「ゆ、づる……っ、オレ、も……ぅ、う。オレのこと、嫌いでいいから。オ、レのこと、軽蔑していいから。今回、こんかいだけ、抱いて。ね、ゆづる、ごめ……っ、おねが、ぃ……っ」
はあはあと、甘い香りのする息を吐きながら、兄さんは、僕の胸元辺りを甘噛みしてくる。
うわごとのように僕の名前を呼ぶ兄さんのあごを軽く持ち上げる。ごくり、と唾を飲み込んで覚悟を決めると、目をつむり、兄さんへ口づけた。うっすらと目を開けると、驚いたように見開かれた兄さんの目と、ちょうど視線がかち合った。
唇を離すと、僕は感情を吐露していた。
「……もう、兄さんへの想いは隠さなくてもいい? 見ないふりを、しなくてもいいの?」
情けないくらいかすれて、震えた声は、まぎれもない自分のものだった。
兄さんは笑う。今にも泣きそうな笑顔で。
「隠されたら困るな……っ。オレだけに、教えて?」
誰にも悟らせまいと、気が付かれまいと、ずっと奥底にしまい込んできた、兄さんへの好意。それを今、僕は、さらけ出した。永遠に報われないと思っていたはずの、この想いを。
「兄さんが……日向兄さんが、ずっと、好きだった。今も、これからだって、好きなんだ」
「……っ、優弦」
兄さんが、少し僕から離れ、もたついた手つきで服を脱ぎ始めた。力が上手く入らないようで、ボタンに手間取っていたが、上着を脱ぎ、上半身の肌をさらけ出す。
そして、僕に首筋を差し出すと、小さな声で、かんで、と言ってきた。
「オレを、ゆづるのものにして」
その意味を、分からない僕じゃない。
今、兄さんのうなじを噛めば、番は成立する。
僕は兄さんを抱き寄せ、襟首の辺りに口を寄せた。
「本当に、いい? 後悔しない?」
たいして大口を開いているわけでもないのに、僕のあごの震えは止まらない。
僕は最後の確認を兄さんにとった。
噛んでしまえば、もう後戻りは出来ない。
けれど、兄さんは、はやく、と僕をせかすだけだった。
「一生、優弦が好きだから。噛んでくれよ」
その言葉に、終ぞ僕を押さえるものはなくなった。
兄さんの、やや角ばったうなじを噛んだこの瞬間を、僕は一生忘れないだろう。
□■□ □■□
「ン……っ、はぁ、ゆじゅ、ゆづる……ぅ、あっ」
廊下にあぐらをかいて座り込み、その上に、兄さんが向き合う形で腰を落とす。本当なら僕か兄さんの部屋のベッドの上にまで行きたかったけれど、そんな余裕は全くなかった。僕も兄さんも、早く繋がりたくて、仕方がなかった。何せ、五年分のすれ違いが解消されて、ようやく番になれたのだから。何も考えず、あるのはただ、互いをむさぼりたいという欲求だけ。
「く、ふ……ゆづるっ」
兄さんは、僕の名前を何度も呼び、時折、男の声とは思えないような上擦った嬌声を上げながら、ゆっくりと腰を落としていった。僕の欲をその腹に収め切ると、折り曲げていた白い足を僕の腰にからめてくる。そして抱き着いて、頬ずりをした。
「ゆづるが中にいるよ……。うれし、っう、んあっ」
その行為に、こみあげてくるものが。思わず、僕は兄さんを抱きしめる。抱きしめられただけで、兄さんは短く嬌声をあげた。
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