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よこにたつ

「あれー。木ノ下先輩お休みなんじゃなかったんですかー?」  学生の講義も終わった夕刻、いつものように研究室で遅い昼食をとっていると、騒がしい女の子のグループが顔を出した。  女子グループのメンバーは都度変わっていたけれど、大体筆頭にいるのは同じ子だ。  川端さん、だったと思う。  少し間延びしたイントネーションで喋る、所謂今風の子だった。先日までは緩くパーマがかかった鎖骨ミディアムだったのに、今はストレート気味にまとめられたボブだった。確かに最近、そういう髪型よく見るな、と思う。女の子の流行には疎いけれど、川端さんを見ていれば大体把握できそうな気がした。  普段は作業に集中しているため適当に流すのだけれど、寝不足と心霊現象の恐怖を引きずっていたおれには、どうにも人間という存在がありがたかった。  家に居るよりは……というか現実問題あの部屋には戻れないし、死ぬほど優しい隣人の桑名さんには『俺の家に居てもいいけど』って合鍵まで貸してもらっているけど、それもやっぱり怖いし、慣れ親しんだ研究室に居る方が幾分かマシだった。  怖い、とか、何考えてるかわからない、とか言われる普段のおれだけど、川端さんに高い声で質問を投げかけられ、思わず苦笑をこぼした。昨日から表情筋が大活躍で、少し壊れているかもしれない。 「あー……うん、ちょっと忘れ物っていうか、やらなきゃいけないことあって。でもまあ、夜になる前には帰るよ」  夜道を歩いて帰るなんてとんでもない。それならいっそ研究室に泊った方がマシだとさえ思える。あまり寝心地のよくない仮眠部屋には、大概誰かひとりは転がっているのが常だ。  いつものように他の学生にひっついてきて、適当におしゃべりをする女子達が、珍しくおれを取り囲む。化粧品らしき香りと、制汗剤の香りが混ざって、なんとも居心地が悪い。 「えーなんだぁ、今日木ノ下先輩居るなら、あっちゃん連れてきたのにー! 教授がお休みだよって言うからぁ」 「いや実際お休みの予定だし、別に作業してるわけでもないから……」 「じゃあ木ノ下先輩お暇なんです? お夕飯誘ったらOKしてもらえるくらいお暇なんです?」 「あー……ごめん、それは先約があるから、また今度にしてください」  先約なんか無かったけど、精神的に摩耗していて、オンナノコ達の会話についていける気がしない。  ただでさえ別の生き物だと思っているのに、今日は無理だ。人間と触れ合っていたいとは思うけど、できれば気を使わない男友達がいい。  おれがやんわり断ると、特に期待もしていなかったらしく、川端さんはすんなり諦めてくれた。じゃあ代わりにこれ差し入れなんで、と、小さな籠に入ったクッキーらしきものを差し出される。  いつも人の出入りが激しい研究室は、誰かしらの差し入れや土産のお菓子で溢れていた。大概はテーブルの上に乱雑に置かれていて、糖分が必要になると手を出す栄養源扱いされている。最近は手作り焼き菓子にハマっているという川端さんの差し入れが多かった。  ありがとうと受け取って、ちらりと時計を伺うと、もうそろそろ日が暮れる時間が迫っていた。  勝手に押しかける程仲のいい友人は近隣に住んでいないし、一晩ファミレスで明かすのも嫌だ。一人でホテルというのも、ちょっと怖い。やっぱり、桑名さんに頼るしかないのか。  今朝、情けなくも自分の部屋の惨状に完全に参ってしまったおれの為に、全然関係ないのに携帯と財布を取りに行ってくれて、その上落ち着きなさいとコーヒーを淹れてくれて、さらに鍵と携帯番号のメモをくれた桑名さんはどう考えても死ぬほどイイ人で頭が上がらない。 『これ、俺の携帯番号とアドレスと、部屋の鍵ね。遠慮せずに連絡していいし、部屋も別にたいしたもんないから、勝手に入ってもらってもいいからさ』  そう言った桑名さんは絶対モテると思った。  背高いし。顔もちょっとぼんやり系だけど、確実にイケメンの部類だ。むしろチャラい学生ばかりいる大学に身を置いていると、ああいう働くお兄さん的な落ち着いた雰囲気がやたらと格好よく感じてしまう。絶対モテる。桑名さん絶対モテる。  おれも、遠巻きにされている割に女の子達には受けがいいらしい。というのは、男子学生からの情報で、実際にモテているという実感はない。普段は服装とか関係なく白衣だし、大学ではノンフレームの眼鏡をつけているから、ちょっとガリ勉っぽいとは思う。  研究室の王子様とか言われているのを聞いたが、流石にネタだろう。この部屋に桑名さんつっこんだら、一気に人気者になってしまう筈だ。おれなんか、あの人のイケメンさの足元にも及ばない。  とりあえず、桑名さんに連絡してみるべきか。他に誰か捕まるまで、桑名さんの家に避難させてもらえないだろうか。  帰り支度を済ませて、女の子達と残っている学生に別れを告げて、歩きながら電話をかけてみた。  まだ仕事中かもしれない。通じなかったらメールにしよう、と思って通話ボタンを押すと、びっくりするくらいすぐに電話はつながった。ワンコールもしなかった、ような気がする。気の所為だろうか。 「あの、……すいません、木ノ下ですが」 「だれ」  帰ってきた言葉に、思わず足を止めて眉をひそめる。  いきなり電話したのはこちらだし、会って間もない自分の声を『おれおれ!』で聞き取れとは言わないが、名乗っているのにその返答はどうなの、と思ってから、違和感に気が付く。 「……ええと、隣の部屋の、」 「だれ」 「きの、した、と」 「だれ」  桑名さん、こんなに声低かったっけ。  そりゃ、俺よりも少し低い、かっこいい声だった記憶しかないし、まだ知り合って一晩しか経ってないし、基本的におれはパニック状態だったし。今桑名さんの声を思い出せって言われても、ちょっと難しい。  難しいけど。 「…………」 「だれ」 「…………くわな、さん?」 「だれ」 「…………、」 「だれ」  このでんわ、だれにつながってるの? (――……ッ、)  そう思った途端、ざぁぁぁっと血の気が引いた、気がした。  手が冷たい。震える。喉も冷たくて、息が詰まる。  誰ですか、とこちらから聞き返す勇気なんかない。こわい。なにこれ、こわい、やだ、どうしたらいいの。  いやもう、どうしたらいいも何も通話を切ればいい。そう思って、震える手で通話を切ろうとして、携帯を耳から離した瞬間、今度は左側の異変にやっと気が付いた。  いつの間にかおれの横には誰かが立っていて、腰を屈めておれの顔を覗き込んでいた。  今度は叫ばなかったのが奇跡だと思った。ほんの少し、確認しただけで顔は見ていない。女なのか男なのかもわからない。確認していない。それでも確かに、目の端に映るそれは、おれの方を伺うように腰を屈めている。それがわかる。  何分くらいそこで固まっていたのだろう。恐怖で、足が動かないし、心臓も止まるかもしれないと思った。意識を失えたら少しは楽だったかもしれない。でも、おれはまだ立ってるし、隣の何かも微動だにしない。  こわい。泣く。そうは思うが、声も出ない。  どうしようどうしよう、どうしよう、どうしたらいいの、これ。  じわりと涙が浮かんできた。呼吸がうまくできない。息が辛い。酸素が回っていない感じがする。頭が痛い。――…焦げたような、匂いがする。はきそう。  道路の真ん中で、浅い呼吸を繰り返した。それでも、隣の何かは動かない。じっと、おれの顔を伺っている。腰を曲げて、覗き込んでいる。おれは、そちらを確認できない。  倒れるかもしれない、と思い始めた時、切った記憶のない携帯が鳴った。  びっくりして、思わず反射で通話ボタンを押した。  ああこういう時って大体向こうから女の声とかが聞こえてくるアレじゃんと思って一瞬で後悔したけれど、電話口から聞こえてきたのは間違いなく桑名さんの声だった。  『もしもし、木ノ下くん?』  ちゃんと生きてる桑名さんの声だ。おれの知ってる桑名さんの声だ。  いやもしかしたらこれも幽霊的な何かの作戦とか偽装かもしれないけど、今はそんなのどうでもいい桑名さんタスケテ、っていう昨日から何度繰り返したかわからない迷惑な懇願が胸に溢れて、思わずマジで泣いてしまった。 「くわ、な、さ、……っ、いま、どこ……っ」 『今どこって、ええと家だけど、実は木ノ下くんを迎えに行こうと思ったんだけど、そういえば学校休みって言ってたし、どこにいるのかわかんなくて一回帰宅……ちょ、木ノ下くん泣いてる? 大丈夫? 何があっ……いや言わないでいいや、いまどこ。迎えに行く』 「だい、じょうぶです、声きいたらちょっと冷静になったけど、なんで消えないのもうやだ、もう近いんです大丈夫もうすぐ家なんです、だから、帰れ、ます」 『大丈夫、なら、いいけど。鍵開けとくし、本当に無理なら迎え、』 「だれ」  その時、桑名さんの声と被るように、さっきの声が聞こえた。  ヒッ、って、息を飲んだ。  ああ、さっきの、電話の通話口から聞こえてたんじゃないんだ。  ――…となりの、これの、声だ。  そう思ったら足が震えた。でも、桑名さん効果がまだ残っているうちに、震える足に力を込めて早足で歩き始めた。走ると、腕を掴まれそうな気がした。なんとなく。……なんとなくだけど。  でも、それなりに急いでいるおれに合わせ、ぴったりとそれは付いてくる。おなじ姿勢、同じ形のままで。左側を確認できないおれは、ひたすら前を見ていた、けれど。  時折、耳に、だれ、と聞こえてくる。  聞こえないふりをして、ひたすら前を向いて足を動かした。  あの角を曲がればアパートが見える。というところまで息をするのも忘れて必死に歩いて、頭がくらくらしておかしくなりそうだった。いっそ幻覚でもいい。横にぴったりくっついてくるこれが、幻覚だったらそれでもいい。  アパートが見えたところで一気に走った。  それで振り払えたのか、どうなのか。階段を駆け上がるおれの隣にアレは居なかったけれど、後ろを確認する勇気もなく一気に二〇一号室の扉を開いて靴脱いで部屋まで走って桑名さんに抱きついた。 「……っ、お、う、木ノ下、くん、……おかえり」 「ただい、ま、です、しぬ。しぬ、やだ、もうおれ外出できない、こわい」 「え、大丈夫じゃないじゃない、どうしたの。あー、いやまあ、とりあえず落ち着くまで喋らなくてもいいけど。……大丈夫だから。ほら、息吸って」  桑名さんにぽんぽん背中を叩かれて、その上ちょっと抱きしめられて、ようやく呼吸が戻ってくる。  何度か呼吸を繰り返して、アホみたいに速い動悸もどうにか落ち着いてきて、桑名さんの煙草の匂い超安心するとか、そういうちょっと気持ちの悪いことを考えていたら、急に横から声がかかった。 「すげー。ほんとにイケメンだ……」 「え? ……うわああっ!?」  びっくりして今度は本当に叫んでしまった。  座った状態の桑名さんに覆いかぶさるように抱きついていたおれは、びっくりして桑名さんから離れようと飛び退きそうになったところを、ぎゅっと抱きしめられて捕らえられてしまった。 「ちょ、桑名さん、何、え、お客さん、おれ、すいませ……っ」 「あーうん、気にしなくていいから、こいつのことは。それよりもキミが落ち着く事が優先。大丈夫? 膝に力入る?」 「……いやでもこの体勢ちょっと自分でやっておいてなんですけど、どうかと思うわけで……!」 「えーいいよう、俺のことは気にしないでいいようー、空気だと思ってちょうだい。本日の巻ちゃんは空気。でぃすいずざえあー」 「え、巻さん? あ。同僚さんの……」  ぎゅうっと桑名さんに抱きしめられたまま、巻さんとやらの方を向くと軽薄な笑顔の男が手を振っていた。どうやら、昨日桑名さんが電話してくれた寺の息子さんとやらは、彼の事らしい。 「いやさ、今日キミの携帯に一生懸命電話かけたんだけど全然繋がらなくてね。心配だしってことで巻としゃかりき仕事こなして定時にタイムカード切って、そんであれです、いろいろあって巻が一緒に来てくれるっていうから、じゃあメシでも食いながら木ノ下くんの話聞いたりなんだりしようかって話をしてたんだけど……その様子だとなんかもうやっぱり駄目だったみたいだね」 「……おれがなにしたっていうの……」  さっきの声とか、隣にぴったり寄り添う何かとかを思い出して、また涙が滲みそうになる。  こわい、なんて言葉で言い表せない。背筋がぞっとする。息がとまる程の恐怖だ。  とりあえず桑名さんの腕から解放してもらって、テーブル周りに座りなおした。たまに恐怖がぶり返して泣きそうになりながら、さっきの顛末を語ると、大人二人は真剣に青ざめて身震いしていた。  嘘だとか、幻覚だとか言われないのはありがたいが、いっそ気のせいだよと言われた方が安心したかもしれないと思うと、微妙な気分になる。 「ちょうこわい。やばい、思ってたより断然こわい。なんだよ髪の毛だけじゃないのかよお前らなんでそんないきなりホラー映画も真っ青な体験してんのやめてよね……」  巻さんは自分の二の腕をさすりながら、いやだいやだーと言っていたけれど。 「あの……巻さんって、見えたりするんですよね? なんか、そういうの感じたりとかは……」  恐る恐る聞いてみると、巻さんは曖昧な苦笑いを浮かべた。 「あーねー。たまにちらっちら見えたりはするんだけど、基本『ぞわっとする』とかそういうのないのよ俺ね。だから正直生きてるのか死んでるのか、判断つかないレベル。だって寒気とかしないから」 「……なんか、それも怖いですね」 「まったくだよー。墓の周りに居る人間とかまじ酔っ払いかそーゆーのかわっかんないんだよね! だから別にこの部屋も怖いとか思わないし、木ノ下ちゃんの部屋も禍々しい気配が……! とか思わないんだよね、すまんー。あーでも、臭いってのちょっとやばい気がするなー。だから、まあ、あれだ、今日はホテルかなんかに泊まった方がいいんじゃないかなって巻ちゃんは思います」  今日はもう恐怖体験しちゃってしんどいだろうし、明日明るいうちに家探ししようよと、提案された。まったくその通りだ。でも今からひとりでビジネスホテルっていうのも怖い、と若干ビビっていたら、隣の桑名さんがちょっと笑った。  やめてくださいちょっとかっこいい笑い方するの。 「……なんですか」 「いや、びびってるなって思ったら、ごめん、ちょっとかわいくて。あー……俺もここで寝るの勇気居るし、もし木ノ下くんさえよろしければ、一緒にホテル取りませんか」 「ぜひともおねがいします」 「……即答だね」 「こわいもんはこわいです。おれ、桑名さんにお世話になってばっかりでほんっと申し訳ないし、お礼に何さしあげても全然足りないって思ってますけど、ごめんなさい全力で桑名さんを頼りにしてます」 「俺も別に霊感とかないし、まあ、一緒にビビるくらいしかできないけどね?」  まあ二人居た方が安心するよね、と微笑まれて、うっかり桑名さんの笑顔かっこいい安心する、って心酔してたら、向かいの巻さんがにやにやしてることに気が付いた。  桑名さんもそれに気が付いて、呆れたような顔で巻さんを小突いていた。 「ほら、お前もう帰れ。帰って床正座しろ」 「なんだよー。桑名っちが木ノ下ちゃんに連絡つかないって動揺してたから一緒に来てあげたのに、ひどいわぁ。いいですよー邪魔ものは帰りますよー。桑名、イケメンに優しくな!」 「……あれ、そういえば壁叩く音、今日はしないですね」 「…………あー」  思い立って口走ると、残りの二人が微妙な返事をする。  何か思い当たる節があるのか、問い詰めたけれど、やっぱり聞かなきゃよかったなと思った。 「それさ、さっき桑名っちと気が付いて討論したんだけどさ」 「……はい、」 「あのーほら。その音って何かを探してたんでしょ? 何かっていうか木ノ下ちゃんの可能性高いけど。そんで、ほら……もう、見つけたから、探す必要ないんじゃないか、って」  …………やだもう。泣く。  そう思ったのがたぶんばれていて、苦笑した桑名さんが手を握ってくれた。おれはもう、本当はさっきみたいに思い切り抱きつきたかったけれど。巻さんは微妙に凍りかけた空気を無理矢理誤魔化すようにからりと笑って靴を履いた。 「ゆうれいさんとかそういうのって、下品なものとか嫌いっていう話聞いたことあるし、案外AV祭りでもしたら出てこないんじゃね?」 「……微妙なアドバイスをありがとう。気をつけて帰れよ」  二人で手を振って、じゃあ俺たちも出ようかというところで、またさっきの恐怖がよみがえって足が震える。  外に出て、また、ぴったり横につけられたらどうしよう。今度は失神してしまうかもしれない。  ビビっているおれに対し、靴を履いて上着羽織った桑名さんは、ふわっと笑って手を差し伸べてくれた。 「手、繋いで行こうか」 「……いいんですか。恥ずかしくないですか。男ですよおれ」 「別に、俺はあんまり気にしないかな。ていうか俺も怖い。手繋いで行きましょう」  やっぱり優しい。絶対モテる。桑名さんに惚れてる女の子絶対に居る。  そう確信して、安心する手を握りしめて、ていうかおれが惚れるって思った。

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