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あしをつかむ
駅前まで歩いて、比較的新しそうなビジネスホテルを選んで入った。
何も考えて無かったが、そういえば金曜日だった。ということにフロントで気が付き、ツインは空いてませんがダブルなら、と言われて流石に若干戸惑った。
いや別に、今更同じベッドで寝ることに抵抗はないし、俺は全く構わないけれど、躊躇なくそれでいいですよと、フロントのお姉さんに言うのもどうなのかな、とか、一応相談らしきものはしておくべきかな、とか。
そう思って、少し後ろにいる筈の木ノ下くんに、どうしようかキミが平気なら別にダブルでもいいかな、と、白々しい言葉を投げかけようとしたのに、うっかり言葉に詰まってしまった。
なんて顔してるの木ノ下くん。その反応、完全にアウトだよ。
「木ノ下くん、あのー……まあ、いいや、うん。まあどうせ寝て起きるだけが目的だし、どこでもいいか」
「え、は、はい。……どこでも」
「うん、どこでも」
まったくもって白々しくなってしまった。木ノ下くんがやたら赤くなって動揺しているもんだから、ついうっかり俺もつられて動揺してしまった。
まあでも、心霊現象さえなければ、年上の知人とホテル泊まりなんていうイベントは珍しいのかもしれない。出張やら懇親会やらが多い会社員と違い、普段は研究室から出ることも稀だという話だし、ベッド云々の話以前にこういうところが珍しいのかもしれない。そう思うことにした。
フロントのお姉さんにカードキーを預かり、自動清算を済ませてエレベーターに乗り込んだ。
家を出た時はお互いびくびくしていたが、どうやら、二人で居る限りはある程度は無事らしい。木ノ下くんは昨日から大変な目にあっているが、俺は直接的な被害にはあっていない。
一緒に居るだけでも安心するらしく、すっかりべったりと頼られている。
実際どういう対処ができるのか、霊感なんてものも無ければ除霊能力もない俺は、軽率に大丈夫だよとか、安心しろとか言えない。ただ、まあ、手を繋いであげることくらいはできる。
他の人間の目が無くなったエレベーターの中で、大丈夫? と声をかけるとこくんと頷く。
どうもこの子は、見た目に反して仕草がかわいい。背も高いし、細いし、格好いいのに。その外見でその素直さなら、女の子が放っておかないだろう。幽霊に理不尽に付きまとわれて男と二人ホテル泊まりなんて、本当に可哀そうだ。
「なんかごめんね。俺がせめてかわいい女の子だったら、もうちょいうきうきしたイベントにでもなったのに」
部屋のキーを開けて、電気をつけて中に入るように促すと、多少緊張した面持ちの木ノ下くんが目をぱちくりと瞬いた。うん、その顔かわいいからやめたほうがいいよ俺がどきどきしちゃうからね。
「え。いやおれ、隣の部屋の住人が桑名さんで本当に良かったって昨日から十回くらい神様に感謝してますし。ていうかあのー、……こんあとこまで一緒に来てもらって、その上こんなこと言うの、アレなんですけど……滅茶苦茶困ってるっていうか、悩んでいることがあって」
「ん? うん、どうした?」
「風呂にひとりで入れる気がしないんですが」
「…………あー」
言われてみれば、それもそうかと思う。
普段は何気なく入っている風呂場というものは、意識するとなかなか怖い。目をつぶる、そして開ける、という動作も怖いし、狭い個室で逃げ場がないのも怖い。さらに水というホラー要素もふんだんに盛り込まれている。日常生活の最恐スポットは、間違いなく風呂だ。
木ノ下くんは昨日風呂どころじゃなかったらしく、丸二日風呂に入っていないらしい。その割に不快なにおいもしないが、だからと言って今日もそのまま寝るというのは勇気の居る選択だろう。
でっかいダブルベッドに腰を下ろし、さてどうしようかと首をひねる。
一緒に入る程広くは無い。大衆浴場に行くのも選択肢の一つだが、また外を歩くのも彼には酷だろう。恐ろしい体験をしたばかりだ。できれば早く寝かせてあげたい。
キミが入浴している最中は俺が見ていてあげる、というのも、どうなのかなーと思うし。
そんな下らなくも大切な事を考えて唸っていたら、隣に座った木ノ下くんにシャツの袖を引っ張られた。
「うん? どうし、」
「……あ、……あし、手が、あし……掴ん、で」
「あし?」
足が一体どうした、と、視線を下げ、結構本気で悲鳴をあげそうになった。
床におろした木ノ下くんの両足首は、ベッドの下から這うように伸びた青白い手に、しっかりと握られていた。
細くて、節くれだった手だ。女の手よりは大きい気がするが、男の手にも見えない。妙に指が長い。おかしなバランスなのが、気持ち悪い。
悲鳴をなんとか呑み込んで、完全に顔面蒼白状態の木ノ下くんをどうにか落ち着かせようと手を握るも、もうそんなことくらいでは、彼の呼吸は整わなかった。
ぎゅっと、俺の腕を掴む木ノ下くんの唇が青ざめて震える。
それがどうにも痛々しくて、あのね、と俺は口を開いた。あえて、何も気が付かないような明るい声で。
「ほら、思い出してごらん、木ノ下くん。さっき巻が言ってたこと。ああいうモノって、下品なものが嫌いっていうやつ。下品なことしてる時の人間ってさ、結構ハイじゃない? つまりは気の持ちようっていうやつが、結構大切なんじゃないかなって、俺は思うわけです」
「…………気の、持ち……?」
「そう。だから下品なことしましょう」
「……え?」
何言われたかなんかさっぱり理解できてない、可哀そうな青年の震える顎に手をかけると、真っ青な唇に自分の唇をゆっくり合わせた。
想像していたよりも柔らかい唇は、想像していた通りに冷たい。何が起こっているのか分からないらしく、半開きになったままだった口の中にぬるりと舌を割り込ませると、やっと我に返った木ノ下くんに弱々しく抵抗された。
力が入っていないのは、足を掴まれている恐怖のせいだろうけど、か弱い感じがして、うん。ちょっと、萌えてしまう。
「………っ、ふ……!? ………っ、……くわな、さ……」
「うん? ……冷たいね、舌」
「ちょ、いや、その……何、…………っ」
「何ってキスだよ。喋ってると舌噛むから、ちょっとおとなしく、ね?」
触れる程近くで意図的に柔らかく笑うと、ぶわりと木ノ下くんの首筋が赤く染まる。
何考えてるか分からないと言われる。そう言っていたけれど、随分分かりやすい子じゃないかと思う。むしろこんなに分かりやすくて、その上勢いで押されているようなオトコノコ、心配になるレベルだ。
最初は弱々しく抵抗していたけれど、段々、舌が応えるようになってきた。
キスは初めてじゃないらしい。けっこううまい。……どうにもそれが少しだけ癪だと思ってしまうのは、俺のささやかな年上プライドか、それとも嫉妬かなぁと、ぼんやりと考えた。
キスなんか何年ぶりかな。こんなに、興奮する行為だったっけ?
「……ん、……ふ……ぅ、ぁ、……それ、やだ、」
「…………ん? どれ、……ああ、耳?」
「ひっ……!? ちょ、やだって、ぁ、ばっか……っ」
気が付けばベッドに押し倒していて、木ノ下くんの腕も俺の首の後ろに回っている。支える必要がなくなった手は手持無沙汰で、ゆるりと耳の後ろを引っ掻いたらどうも良かったらしく、とんでもない声を出していた。
まずい、これはかわいい。
かわいいし、嫌だとか言ってる割に舌を絡めて求めてくるのも、なかなかに興奮する。怖くて馬鹿になっちゃってるのか、気持ちよくて馬鹿になっちゃってるのか、どちらにしても駄目な子で、お兄さんはちょっとくらくらしてしまう。
他の人にこんなことしちゃだめだよ? とか、そんなエロ親父みたいなセリフが口から飛び出そうになった。
段々息苦しくなってきたのか、熱い息が乱れて大変えろい。イケメンは、興奮しててもイケメンだなぁと感心する。はぁはぁしてる男なんか気持ち悪いものの筆頭だろうに、かわいいと思えるのが不思議だ。
何度か舐めるようなキスを残して解放してあげると、とろんとした瞳で見上げてきた。……他の人にそんな顔しちゃだめだよ、ほんと。
押し倒した姿勢のまま床に目を走らせる。いつの間にか、あの指の長い手は消えていた。
「足首、離してもらえたね」
「あ」
ぼんやりと俺を見上げていた木ノ下くんだったけれど、解放された足首に気が付き、慌てたようにベッドの上に足をあげ、膝を抱える。
その仕草が少しというか正直かなりかわいくて、思わず笑ったら真っ赤な顔で睨まれた。
「桑名さん、あの、……もしかしてエロい人でした?」
「いや普通でしょう。普通にまあ、エロいです。たぶん。男を押し倒したのは初めてだけど」
「おれもおしたおされたのははじめてです……」
「押し倒したことはあるんだ?」
「……それ、あるって答えたら、桑名さん的にどうなの?」
「あー。そうだね、ちょっともやっとするかなぁ。あれ、これもしかして好きなのかな?」
「おれにきかないでください…………」
まったくその通りだと思う。
昨日出会ったばかりの年下男子に何してんだか、と思うし、こんなことしてる場合でもないんだろうなぁとも思うが、だからと言って真剣にベッドの上で二人並んで震えていてもどうしようもないだろう。
「ていうか桑名さん、あの、え、ゲイなの?」
「いや違いますけど。違うけど、木ノ下くんかわいいなーと思って。なんか、他人に対してかわいいなーって思うの、そう言えば数年ぶり単位な気がしてね。あ、別に襲おうとかそういうゲスい気持ちは無いんで、容赦なく抱きついてきても平気だから。ただちょっと俺は勝手にどきどきしてるかもしれない」
「……タチ悪い宣言しないでください……」
へなへなっと膝の上に顔を埋める仕草がやっぱりかわいいので、うーん恋かなぁと、思う。
「まあ俺の事は気にしなくていいから、木ノ下くんはとにかく自分優先で、全力で俺とか巻とか他の人間頼ってどうにか、このええと、心霊現象? 乗り越えようか。明日巻も来てくれるしさ。戦力になるのかわからないけど」
「……はい、そうします」
「ところで風呂どうする? 別に俺は一緒に入ってもいいけど」
「…………キスしない?」
「なんか出てきたらするかも」
だって今のところキミを正気に戻せるのって、そういう『恐怖以外のびっくり』しかないじゃないの、って素直に告げると、一生懸命悩んだ後にいっしょにはいってくださいと赤い顔で呟くのがまあ、うん、ほら、かわいくておでこにキスしたら怒られた。
白い指と手の衝撃は、結構なもので、実は俺も中々のトラウマになりそうなくらい怖い。今も怖い。奇麗なホテルとか二人一緒とか結局意味無いじゃんと思うと、本当に何が原因か分からないし怖いんだけど。
気まずそうにする割に嫌がらない木ノ下くんがかわいいから、どうにか精神を保っていられた気がした。
「でもこういうところの風呂って異常にせまいし、シャワーと浴槽一緒だよね。女の子二人ならともかく、俺と木ノ下くんじゃ、身動き取れるかどうか、微妙かな。見ててあげるから入りなよっていうのも、ちょっと、アレだよな?」
「でも怖いです。ガチで怖いです。桑名さんが居ない間にまたあの手が出てきたら、おれ失神する自信しかない」
そんなわけで俺は、木ノ下くんの入浴中。浴室のカーテン越しに待機することになった。少々荒業だが仕方がない。
よくあるタイプのビジネスホテルのユニットバスだ。奥が浴槽とシャワーになっていて、カーテンで区切って手前が洗面台とトイレになっている。
服が湿気るのも嫌なので、備えつけの寝巻に着替えた。流石に全裸で眺めるのもどうかと思う。そもそも入浴過程を眺めるというのがもう、おかしいんだけど、特例だということにして恐る恐る服を脱ぐ木ノ下くんを眺めた。
「……もっとこう、ばっと脱いじゃった方が、恥ずかしくないんじゃない?」
どうも俺の方を意識しているみたいでかわいいんだけど、そういう照れ全開な空気を出されると、正直盛り上がってきてしまう。本当に、久しぶりに一挙一動がかわいいなーと思ってしまう人材だ。
「…………だって桑名さんこっち見てるから」
「え、あっち向いてたほうがいい?」
「嫌です今なんかあったらどうすんですか」
「……我儘だなーもう」
腹筋が割れているわけでもないが、しっかりと男子の骨格だし勿論胸もない。真っ平らだ。俺もあまり人の事は言えないが、日に当たらない生活なんだろう。真っ白いけど、柔らかそうには見えない。
どうみても女子じゃないのに、なんでこんなに触りたいと思ってしまうのか。やっぱり好きなのかな。かわいい、だけの感情は、性欲には結びつかない気がする。
耳の後ろ如きで声をあげていた青年の、脇腹のラインをなぞったらどんなことになるのだろう。そんな欲望全開の妄想を繰り広げているうちに、どうにか服を脱いで腰にタオルを巻いた木ノ下くんは、さくさくと浴槽に逃げ込んだ。
怖い、と言う割に羞恥も大きいらしい。
本当に逃げるような仕草もかわいい。半分引いたカーテンから顔を出して、そこに居てくださいねと念を押す。勿論居るけど、そういうかわいいことすると俺がちょっと調子に乗ってしまうからよくないと思う。
でも本気で怖がっている子に、いたずらするのも大人気ない、と。思っていたんだけど。
「……………」
ぼーっとカーテンを見つつ、それでも勝手にどきどきしてるだけにとどめていたが、ふと、視界の隅に違和感を覚えた。
……カーテンの下に、青白い手が伸びていた。
どこから伸びているのか、元を探したがわからない。唐突に床から生えている、としか思えない。その上その手はやはり指が異常に長くて、良く見れば薬指が特に長く、おかしなバランスに輪をかけていた。指の長さがバラバラな青い長い手が、カーテンに伸びる。
あ、まずい、めくらせちゃいけない。
そう思ってとっさに逆側のカーテンを引き、『ギャッ』と声をあげる木ノ下くんの腕を引いた。
「ヒッ、ちょ……びっくり、した、どうしたの桑名さん、」
「……いやー、ちょっと。やっぱりさっきの宣言、撤回していいかな」
「え、撤回? 何を」
「何も出てこなくてもキスがしたいなと思って」
怖がらせるのもどうかと思った結果、ちょっとどうしようもない口説き文句みたいな言葉になってしまった。俺はあまり普段表情が変わらない方だし、今も、あの手にビビっている恐怖感は顔に出ていないと思う。
なるべく木ノ下くんの裸に集中するようにして、手の存在を記憶から振り落とす。気の持ちようというのはたぶん、本当に大切だ。
俺の突然の発言に、木ノ下くんは一回絶句した後に、ぶわっと赤くなった。首筋まで赤い。……普通に恐怖を忘れる程かわいい。
「く、わな、さん、いやあの、そういうの、ええと……おれどう反応したらいいのかわっかんない……」
「うん? うん、あー、ごめん? ていうか木ノ下くんは普通に嫌がってもいいよ。男にキスしたいとか言われて気持ち悪いでしょ?」
「……気持ち悪くは無いですけど。でもなんか、あー……嫌じゃないから、怖いっていうか」
「そういうこと言うと俺は調子に乗っちゃうね。……こっちおいで」
お湯に濡れた身体を引きよせて、バスタブ越しに唇を寄せた。その時にはもう、半分くらいカーテンにかかった手のことは忘れていた、かもしれない。
濡れて熱い唇は柔らかい。震える唇に舌を這わせると、さっきとは打って変わって積極的に口が開いた。ぬめっとした温かい舌が絡み合うのは、気持ちがいい。
調子に乗って腰を抱いて肩甲骨あたりに指を這わせると、びくんと身体が揺れた。
「……っ、ん、……ふ、くわな、さ、……あんま、そういうの……っ」
「んー? 気持ち良くない? こっちのほうがいい?」
「ひっ……!?」
いたずらに乳首をひっかくと、耳に心地のいい声が上がる。ああ、俺、キミのその裏返った声好きだな、すごく興奮する。意地悪な気分になって、摘まんで捻る。弱々しく抵抗してくるのが、やっぱりかわいい。
「桑名さ、やだ、それ……じんじんする」
「……感じてるってことじゃないかな。気持ち悪い?」
「気持ち悪い、ことはない、けど、恥ずかしい」
「まあ、えろいことは恥ずかしいものだから。ていうか、恥ずかしいのがイイよね。……勃ってるし」
「え、は、……うわ!?」
自分の変化に気がつかなかったらしい。浴室に膝をついた状態の木ノ下くんのソレは、上から覗き込んでもわかる程に反応していた。あまり他人の物をみる機会もないが、特別気持ち悪いとか、汚いとか思わない。むしろちょっとかわいいなーと思ったから俺は病気かもしれなかった。
素直に反応する器官はかわいい。本人の弱々しい抵抗など物ともせず、快感を主張するのが良い。
「……ちょ、もう、あの、離し、て……もらえると、嬉しいんですけど」
「んー……でも、だって、かわいいから、嫌です。一回抜かない? だってそれ、結局我慢するか抜くしかないでしょう。どうせやるなら俺が手伝っても一緒――…」
「いやいやいやいや一緒じゃないです全然一緒じゃないですなにそれやだ無理桑名さんのえっち変態!」
「えっちかもしれないけど変態じゃないでしょう。好きかもっていう子に触りたいのは、普通だし。だめ? 気持ちよくしてあげられるっていう確証はないけど、でも俺触りたいな」
「…………………くわなさんのえっち……」
「うん、えっちだね。だって、木ノ下くんかわいいから」
「おれのせいみたいに言うのよくない……」
まったくその通りだなぁと思いながら、腰の骨を引っ掻くと、またびくんと震えていて正直とんでもなくかわいかった。
ちらりと、横目に見たカーテンには、もう青白い手は掛かっていなかった。消えたのか、それとも俺の幻覚だったのか、わからないけれど。
「…………も、やだ……。っぁ、それ、だめ、」
乳首を引っ掻くたびに上がる声が色っぽすぎて、段々、幽霊などどうでもよくなった。
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