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第39話 閑話:オッサンが落ちるのは恋か、罠か(1)

 組長に連絡を取りたいと、政人から声をかけて来た時には驚いた。  たぶん、あいつの精一杯の勇気をもって声をかけたのだろう。青ざめながらも俺の傍に来て、こそっと「あ、あのっ、『武原組の藤崎さん』で合ってます?」と声をかけてきたのだ。  俺の名前など教えた記憶はない。訝しく思い、つい睨みつけてしまったのは、職業病のようなものだろう。  親父に頼まれて牛丼屋に通うようになり、密かに見守るようになってしばらく経っていた。これといって、特別危険な場所というわけでもなし、ただ、牛丼を食って帰る、それだけのことだ。夜の遅い時間とはいえ、政人も大学生、親父が気にかけるほどでもない、と思っていた。  牛丼屋で働いている政人の様子は、男にしては小柄な体で、いつも一生懸命に動き回っていて、微笑ましいくらいだった。笑顔を絶やさずに働く姿に、常連客や仕事仲間にも当然のように可愛がられていた。親父が気に入るのも無理はないと思った。  あくまでも、密かに見守るだけの俺も、自然と政人に愛着を感じ始めていた。しかし、俺のような者が、笑みを浮かべても不審がられるだけ。だから、できるだけ感情を表に出さないようにしてきていた。それが他人から見ると、不機嫌に見えるのはわかっていたし、意図もしていた。  それにも関わらず、俺に声をかけてきたということは、よっぽど追い詰められていたのだろう。  俺はその夜のうちに、組長である武原政二に連絡をつけようとしたのは言うまでもない。暗い自分の部屋のソファに座り、電話が繋がるのを待つ。 『どうした。珍しい』  こんな時間に組長のプライベートの携帯がすぐに繋がることのほうが珍しい。 「すみません。高橋政人の件なんですが」 『……政人がどうした』  電話越しでも機嫌が悪くなったのがわかる。 「組長と連絡をとりたいそうで、携帯の番号を聞いてるんですが」 『……わかった』  感情を抑えた声に、組長が抑え込んだのが苛立ちなのか、悦びなのか、判断しかねたが、俺は政人の携帯番号を伝える。 『政人は元気か』 「ええ、いつも店の中をちょこまかと動き回ってますよ」  つい、口元に笑みが浮かぶ。 『……そうか』  組長のいつになく優し気な声に、俺の方が驚いた。普段、組長の息子や娘の話など、まともにしたことはなかった。身内の話であれば少しは変わるのか、とも思ったが、息子である若頭について言えば、まったくそんな気配はない。むしろ、厳しすぎるとすら感じることがある。だからこそ、あの人も、反発心で色々とやらかしてしまうのだろうけれど。 「よろしくお願いします」 『わかった。……剣、政人を頼む』  組長の言葉に、俺は改めて気を引き締めた。親父から聞いた話以上に、政人は組長に気にかけられている、そう感じた。

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