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第80話 牛丼よりも愛を大盛、お願いします(4)

 昨夜のことは夢だったんじゃないかって思うくらい、あの後のことを覚えていない。気がついたら、自分の布団で寝てた。  好きな子はいたことがあっても、付き合ったことはない俺にしてみれば、あれがファーストキスだった。まさか、おっさんが、あんな風にキスするなんて予想もしてなかった。  思い出しただけで、にへらっと顔が緩む。頭の中がほわんとしたまま身体を起こして、ぼんやりと目覚まし時計に目を向ける。 「……やべっ!」  遅刻しそうな時間だってことに気付いて、一気に現実に戻る俺。 「みわ子、起こしてよっ」 「あら、起きた? 何度も声かけたけど、起きないんだもの」  洗面所で化粧をしてたみわ子の吞気な声を聞きながら、俺は慌てて身支度をして家を飛び出した。  汗だくで大学に着くと、ギリギリセーフ。後ろの方の空いている席に座って息を整えていると、少し前の席にいた黒髪サラサラの天童の姿が目に入った。背後の出入り口の方を何度も気にして振り返っているところを見ると、誰かを探しているみたいだ。俺は片手を小さく振ろうとしたけれど、天童のほうは探すのに必死っぽくて、俺に気付かない。  いつもクールっぽい雰囲気を醸しているだけに珍しいな、と思っているうちに、教授が入って来て、一気に教室が静かになる。それと同時に天童の表情は一気に落ち込んだように見えた。  どうしたのかと気にして見続けていると、ガラリと教室のドアが勢いよく開いた。 「あちゃぁ、間に合わなかったか」  静かになっていた教室に響いたのは海老沢の声。 「エビちゃん、声、大きいっ」  その後から現れたのは、海老沢のこの前別れたって言ってた元カノだった。 「ほら、さっさと席つけ、まだ出欠取ってないから」 「やりぃ」 「もうっ」  二人の仲の良さそうな様子に、いつの間にヨリを戻したんだろう? と視線だけ向ける。そして、もしかして海老沢を待ってたのかな、と思い、もう一度天童へと目を向けると、真っ青な顔になって目を見開いて海老沢の方を見ていた。  海老沢は空いている席を探しているようで、天童のことに気付いていない。元カノも海老沢の後をくっついて歩いてる。  結局、二人は並んで座れそうな場所を見つけると、そのまま一緒に席についた。  ずっと二人を目で追っていた天童。振り払うように視線をはずすと、ただでさえ小さい身体を、誰でも見られたくないというように、隠すように背を丸めて前を向いた。  俺は一瞬見えた、その時の天童の泣きそうな顔が頭から離れなかった。

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