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第86話 牛丼よりも愛を大盛、お願いします(10)
バイトが終わって出口のドアを開けると、いつも通り、煙草を咥えたおっさんが待っている。
「お、お待たせして、すみません」
おっさんは、そんな俺にニヤリと笑うと携帯灰皿に吸いかけの煙草を押し込んで、無言で先を歩き出す。
……まったく、悔しいくらいにカッコいいな。
大きな背中を追いかけながら、俺はおっさんのことばっかり考えてる。こんなに想ってるなんて、おっさんは気付いてないだろう。
悶々と考えながらついていくうちに、おっさんの車の停まっている駐車場に辿り着く。
車のオートロックの解除の音が聞こえると、おっさんに断りもなく、自然と自分で助手席のドアを開けるようになった。それが当たり前になってる。助手席に乗り込みながら、それに気付いて、ふと考えた。
俺たちって、どういう関係なんだろう。
もともと、おっさんがこうして家に送ってくれてるのって、俺が連れ去られた事件がキッカケで、でも、その問題も解決してるっぽいし。
それなのに、バイトの日には必ず、女の子でもない、大学生とはいえ一応成人してる男の俺を、家まで送ってくれる。
けして嫌々なんかじゃないのは、時々こぼれるおっさんの笑みを見ればわかる。
むしろ、けっこう気に入られてるよね? とか思う。それは、あのおっさんに懐いてた金髪ロン毛のちょっと怖そうなお兄さんに対するのとはちょっと違う……と、思いたい。
正直、俺が想ってることと違ったら、と思ったら理由を聞くのが怖くて、今までは言葉にする勇気がなかった。
チラリと運転席に座るおっさんの横顔を見る。真剣に前を向いてハンドルを握る姿は、何度見ても、見惚れてしまう。そんな俺の視線に気付いてるはずなのに、おっさんはいつもと変わらずに無言のまま、前だけを見ている。
二人しかいない密室状態の車内。
バイト中に天童のエロ話を思い出しちゃったせいもあって、いつもより意識してしまう。
青春まっさかりの俺は、所謂エロいことに関して興味だけは人一倍溢れてる。
そう。
モヤモヤの悶々。頑張って真面目な顔してるけど、頭ん中は、妄想でぐちゃぐちゃだ。
俺がこの人に突っ込むなんて、想像できない。むしろ、体格的に言ったって俺が突っ込まれる方だよな、と素直に考える。童貞卒業より先に、処女卒業のほうが先なのか。
いやいや、そもそも、おっさんにその気はあるのか?
というか、おっさんは、俺のことをどう思ってるんだろう?
ちょっとキスしたくらいで、舞い上がってた俺だけど、おっさんにしてみたら、ちょっと揶揄う程度のことなのかも。
でも、でも、でも!
……結局、帰り道中、そんなことばかりが堂々巡りしていたら、見慣れた町の風景に気がついた。もう、家の近くまで戻ってきていたなんて。どんだけ考え込んでるんだよ、と、内心、自分に突っ込んでいるうちに、おっさんがアパートのある横道に入るためにハンドルをきった。
「あっ」
無意識に小さな声が出る。
「……どうかしたか」
おっさんが訝し気に声をかけてきた。
「え、いや、なんでもない……です」
なんでもないなんて嘘だ。
本当は、もうちょっと、一緒にいたい、って思った。胸の中がギュンッと痛くなる。
車が静かにアパートの前に止まる。
俺はどうしても、いつものように助手席のドアに手を伸ばせなかった。
「政人?」
「あ、あの、俺っ」
正直、色々覚悟とか、全然決まってもいなかったけど、自分でも、焦ってるって自覚はあった。
それでも。
駄目だったとしても、俺の気持ちが泣きだしそうなくらいに、もう、限界だった。
想いは勝手に吐き出された。
「す、好きですっ」
「……」
おっさんの顔を見る勇気はなかった。俯いて、膝の上に置かれた握りしめた両手に向かって言葉がポロポロ落ちていく。
「あの、えと、ふ、藤崎さんのこと、す、好きになっちゃったんですっ」
「政人」
「ご、ごめんなさいっ、お、俺、男なのにっ」
「政人」
「で、でも、なんか、もう、色々、いっぱいいっぱいっていうかっ」
不意に、大きな手が俺の頭を掴んで、おっさんの胸に抱き寄せられた。
「えっ」
力強いその腕に抱きこまれ、煙草とウッディな香水が混じった匂いが、俺の言葉を止める。
「……ウチに来るか」
おっさんの抑えたような低い声に、ギュッと目を瞑った俺は素直に頷いた。
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