「クリスマスイブは家族とか親しい友人とか、とにかく少人数でおごそかに楽しむもんよ！」 　閉店後のカフェで片付けをしていたら、アンドーさんが急に大きな声を出した。 　店長が今年のクリスマスイブはカフェの常連客を呼んで賑やかに過ごしたいと言った直後。 「えー。学生時代みたいな馬鹿騒ぎがしたいのに。」 　口を尖らす店長。（← かわいい） 「じゃあ多数決で決めましょうよ！ヒミズはアタシに賛成してくれるわよね？常連客のためにわざわざパーティ料理用意したり片付けしたりずっと裏方仕事ばっかりして、しかもどうせアンタは姿を見せないんでしょう！？クリスマスイブなのにそんなのイヤじゃない！アタシだってヒミズちゃんに、イブの夜くらいゆっくりさせたげたいもの。」 　アンドーさんはゲイだ。スタイルも顔も良くて、女装しても似合いそうだけど女装はしないゲイ。でもオネエ言葉で、きれいな顔からマシンガンみたいに流暢に言葉を放つ。 　カフェを開くずっと前からの店長たちの知り合いで、店長にもヒミズさんにも対等に（いやそれ以上に）ものを言う。 「…別に、私は苦には」 「ハイ賛成票、１票かくとーく！」 　あ、ヒミズさんの意見は無視なんだ。勝手に『賛成票』にされている。 「ヒミズは賛成じゃないよ、アンドー…　「春川ちゃん、アンタも嫌よね？イブにカフェでバイトなんか。」 　店長の言葉を遮って、アンドーさんは俺に話を振ってきた。 「…えっ」 　店長も部屋の隅でモップをかけていた俺を見る。 　店長に見つめられると、今でも少し緊張する。 「そうかー。せっかくのイブにハルにバイトさせるのなんか、ちょっとかわいそうか。」 　店長が残念そうな声を出す。 「…いえ…、イブにバイトなんか普通ですし…俺は店長の、やりたい、ほう…で…わわ」 　アンドーさんが俺の言葉を遮るようにずんずん近づいてきたので、最後はしりすぼみになった。 「いでででで！！」 　アンドーさんの長い腕が伸びてきて、鼻を思いきりつかまれた。 「アンドー！」 　ヒミズさんの怒った声。ヒミズさんは騒音を嫌う。 「アンタをイブに働かせなんかしないわよ！」 「むぐ…」 　アンドーさんの胸板に顔を押し付けられる。 「アンタって、本っ当に幸せ貧乏根性が染み付いちゃってんだから！」 　裏声まじりのアンドーさんの声。顔中に振動しながら伝わる。 　息がっ息がっ 「よせアンドー！」 　ヒミズさんがキレそうだ。 「はははっ！わかったよアンドー。イブはうちで、４人だけでやろう。」 　え。 『４人』って。 （やった♪） 　アンドーさんが俺にささやく。 （ヒミズの特製クリスマスディナーを、４人占めよう♪） 　アンドーさんはぬいぐるみにするみたいに俺を一度きつく締めて、それからやっと解放してくれた。 　４人、ということは、店長とヒミズさんとアンドーさんと…俺？ 　話の流れでは、俺も店長の実家でのヒミズさん特製ディナー付きクリスマスパーティに招待される感じになっている。 (ええ。) 　いいの？ 　クリスマスイブの予定なんかないけど、というか、もともとクリスマスにそんな楽しい思い出なんかなかった俺はクリスマスなんかに興味はなく、フツーに過ごすくらいに思ってたのに。 　それが、今年は。 　 　 　 　今年の始めにこのカフェ（そのころはカフェじゃなかったけど）でバイトを始めてから、俺の人生はなんだかやたらと『いいこと』に恵まれるようになったような気がする。 　 　まず、店長にこのカフェの壁の絵を注文された。 　俺は芸術家でもなんでもなく、ただ絵を描くのが好きな美大の中退生だった。それなのに、あることがきっかけで俺が書き散らしたスケッチブックを店長に見られ、店長は、その場でカフェの壁の絵を俺にオファーしてくれたのだ。 　俺は壁に、店長の実家の中庭にあるきれいな３本の木の絵を描いた。 　枝を大きく伸ばすのびのびとした木々を描きたくて、最後はハシゴと板を駆使して天井まで枝を伸ばした。 　店長はすごく喜んでくれて、あの無口で冷血漢のヒミズさんも珍しく俺を褒めてくれた。 　カフェに来るお客さんが褒めてくれるのも、うれしい。 　 　ふたつ目のいいことは、店長の計らいで絵を描き終わったあともこのカフェでバイトさせてもらえるようになったこと。 　しかも、宿舎完備。 　このカフェの入ったビルの最上階の一室を、タダ同然で借りられることになったのだ。(店長はこのビルのオーナーらしい。) 　なんと食事も３食ついている。だから、『宿舎』というよりは『下宿』といったほうが正しい。 　朝はすぐ隣の店長の家で、ヒミズさんの作った朝ごはんを食べる。 　お昼と晩ご飯は、このカフェで、同じくヒミズさんの作ったまかないを食べる。 　これは宿舎をタダ同然で借りることになったときの、俺への条件なのだ。 　他に類を見ない恵まれた好条件。 　しかも、ヒミズさんの手料理はめちゃくちゃ美味しい。 　 　ヒミズさんはこのカフェ自慢のお抱えシェフで、専門はフレンチらしいが、イタリアンの評判もすごくいい。特にデザートには定評があり、カフェの女性客の心をガッチリ掴んでいる。 　でもヒミズさんは、実はただの“シェフ”じゃない。 　“シェフ” 兼 “経理担当” 兼 “その他カフェ経営に関する諸々の総合事務職” 兼、“店長の優秀なる執事”。 …まあとにかく、ヒミズさんは、さまざまないろいろを完璧にやりこなす非の打ち所の無い完全無欠な、店長の友人。 (…や、もしかしたら、恋人。) 　背が高くて顔立ちも整っていて、物腰も静かでいつでも落ち着いていて、店長にぴったりだ。 　店長も『ヒミズ、ヒミズ』 と、ヒミズさんをすごく頼りにする…というか、甘えてる。 　ヒミズさんにかまって欲しくて仕方がないみたいだ。(そういうときの店長の呼びかけは、ヒミズさんにはたいがい無視されてるけど。) 　 　俺はというと、残念ながら、ヒミズさんはちょっと苦手。 　自分にも他人にも厳しいので、人当たりが強くて冷たい印象があるから。 　店長に言わせると極度の人見知りだかららしい。ということは、俺にもまだたぶん慣れてくれてないんだろう。 　ヒミズさんも俺が苦手。 　俺はときどき、ヒミズさんの完璧すぎる外見につい目が行って、そのままぼーっと見とれてしまうことがある。 　ヒミズさんは、人から見られるのが俺以上に得意じゃないらしく、そんなときに俺とちょっとでも目が合うとすごく不機嫌になる。すぐに目をそらされるし、イライラするのか耳まで赤くなって、最悪、舌打ちしてどこかに行ってしまう。 　外見は完璧なんだけど、中身はちょっと頑固で強持てで、そしてかなりの人見知り。 　だから、カフェでもお客さんがいるフロアには時間内には絶対入ってこない。 …でも、実はそれが、俺の密かな自慢でもあったりする。 　うちのカフェはヒミズさんの手料理を目当てに来る人が多いが、なんだかんだ言っても女性客のお目当ては店長だ。店長の気さくで人懐っこい笑顔にみんなほだされる。おまけに長身でかっこいい。 　これで、実は裏方にはもっとスゴいモデル並みの美形がいると知れたら…。 　それを思うと、優越感にひたった俺の顔はついついニヤけてしまうのだ。 　 　つまり、総合すれば、カフェでのバイトは俺にとってすごく『いいこと』だ。 ======------→