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 本当に誰でもよかった。  夜のまちを、すり切れた革靴で歩く。会社をクビにされてから、外に出ること自体が久々で、あれ、こんなさむかったっけと秋アウターの上から腕を擦る。大昔の大学生時代以来のネオン街は、そういや昼の方が死んでるみたいに静かだった。夜の今の方が、ずっと生き生きしていて、まるで別の世界に来てしまったような気がしてしまう。  曲がり角を曲がる。広い肩幅が迫ってきて、気づいていたのに頭から当たってしまった。体がよろめく。その衝撃だけで、これは膝から崩れ落ちるな、とわかった。  ぐっと体が支えられる。しっかりした腕が、背中に回っていて、目の前から来た誰かに張り付いていた。 「……!」  栄養不足の体じゃ、謝るためのあ、さえ出てこない。顔を上げると、そこには思い描いたとおりの『夜の世界の住人』がいた。 「大丈夫?」  気の強い女の子みたいな真っ赤なグロスが、テカテカのネオンにつやつや光ってる。センタースリッドから覗く足はすらっとしていてきれいだけど、膝がしっかりしていて、そういえば、支えてくれた腕も、すらっとしているけど、しっかりしている。  血の気が引いて、そういえば寒かったと体が思い出したように震え出す。 「だい……あ………」  口がかさかさしてる。一言だけなのに、口から出てくれない。やっぱり怖いとここを去るのは簡単だけど、家に帰るための電車賃すら、今の俺は持っていない。  男の人だ。  身長こそ、俺と同じくらいだけれど、体が分厚い。安心感があって、女装さえしていなきゃめっちゃくちゃモテそうだ。  その人は、ちゃんと俺が立ったのを見届けると、頬を片手で包み込んだ。はみ出しのないつや消しのネイルが、この人の几帳面さと優しさを表しているようで、泣きそうになった。 「すっごい冷えてる。あー、あんた」  後ろを振り向いて、誰かに話しかけた。もう一人、いたんだ。もう一人は金髪の人で、高そうなバッグが所々ほつれてる。 「なによも~、そんなのほっときなさいよ」  言葉が鋭いとげみたいに感じる。怖い気がしてそばから離れようとした。足に力を込めても全然動かない。あれ、とおびえていると、男の人に抱き込まれていた。暖かいにおいがする。この人の腕の中は、暖かかった。 「さっさと次の店いかないと、ハルキ帰っちゃうわよ!」 「私ノンケに興味ないから。いいからその上着置いてきな」  え~いやだ~と腕をささすってぐずぐず言っている金髪の人に、男の人は俺を抱きかかえたままにらみをきかせていた。金髪の人は少しひるんだようにぐずぐず言わなくなって、暖かそうな大きめのジャケットをばっと投げた。俺を抱いている男の人が腕を伸ばしてキャッチする。ふわっと化粧品のにおいと、高そうな香水と、たばこのにおいがした。 「あんた!」  金髪の人は、俺を通り越しながら指さした。 「それ高いんだからね! 無傷で返さなきゃ、弁償させるわよ!」  センタースリッドの人が「待ちな!」と声をかけるのも無視して、金髪の人は足早に消えていった。ネオン街の方向だったから、あの何個もある店のうちのどこかへ行くんだろう。  男の人が、俺の頭の上でため息をついた。仕方ないなあというような、あきらめているような重いため息だ。 「あいつってば……ごめんね、ほんと」  そう言ってジャケットを着させてくれた。大きいかと思ったそれは、袖がぴったりだった。こういうデザインのもの、らしい。ここ数年、買いに行く暇なんてなくて、全く知らなかった。 「行こっか。歩ける?」  小さくうなずいた。隣を歩くように言われ、またうなずくと、痛ましげな顔をされた。なにか、やってしまったかもしれない。  どこに行くのかわからないけど、どこだっていい。どこに連れ込まれてもかまわない。気がつけば、粉雪が舞っていた。道理で寒いわけだ。

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