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第72話

ふるふると弱々しく首を横に振り、一歩前に出てテーブルの破片を踏む。 パキッ、と欠片が足の裏で砕けた。 「違う……違う、違うッ!違うんだ…ッ!」 「じゃあどう違うんだ、言えよッ!」 「あれは体が動かなかった(何もなかった)ッ!本当は殴りたかった(本当に俺にはお前だけだ)ッ!嫌だった(信じてくれ)ッ!ッ、クソッ、クソ…ッ!なんなんだ…ッ!!」 「なんなんだは、お前だろ…ッ!信じたい、信じたい、信じたいんだ俺はッ!」 お互いに酷い顔で、叫ぶ。 嫌だ嫌だ嫌だ、なんで俺の言葉を奪うんだ。口を開けば傷つける、何も言わなくても傷つける、もう嫌だ。 俺だって信じて欲しいに決まってる、でも言葉が全部俺のじゃなくなるんだ…ッ! 違うのに、あんなの、したくなかったッ! 悔しくて悔しくて、足元の大きな破片をバキッと踏み潰す。 握りすぎた拳に爪が食い込んで痛い。 「なら、信じてくれ…ッ!俺が愛してるのはお前だ!お前だけだ!」 「っ!ふっ、ウ、ゥゥ…ッ!アァぁ…ッもう、辛い……苦しい…ッ!お前を愛して、俺は初めてこんなに、痛い…ッ!」 「ぁ……ご、ごめ、アゼル……っ」 滅茶苦茶な事を言う俺の言葉を聞いて、アゼルは俺の近づいた一歩分を後ずさり、よろめいた。苦しそうに呻いて、胸を押さえている。 俺は辛そうなアゼルを見て、ハッとした。──だが伸ばした手は、パシッと弾かれる。 「他を愛したなら、俺をまた愛してくれるように、閉じ込めようとした……でも、俺を愛してる…?なら、なんでだ…?なんでそんなに、俺を惑わせる…?それじゃあ俺は、どうしたらいいんだ…?」 「アゼル、アゼル……ごめん、ごめん…っ泣くな……アゼル……ごめん…っ泣かないで…っ」 「酷い男だな、お前は。何も答えてくれねぇのに、俺に馬鹿みたいに信じろって?残酷にも程がある、愛してるから目を瞑れって。俺がそう言われたら何でも許すって?心の中で、馬鹿な男だと嘲笑ってるのか?ハッ……舐めたもんだ」 ポタ、ポタ、と絨毯に落ちる雫。 恨みがましく責める声が掠れていく。 弾かれた手をもう一度伸ばして、よろりとよろめきながらも前に出る。 俯きながらもアゼルは俺の手を弾き、それでも尚追いすがると両手の手首を捕らえられた。 ゆっくりとあげられた顔の、白い頬を流れ落ちる涙。 息が、止まりそうだった。 俺はどれだけ馬鹿げた事をコイツに言っていたのか、今すぐ舌を切りとってしまいたくなった。 泣きたくてたまらない。 たまらないのに、そんな資格はない。 この世で誰よりも幸せでいて欲しいのに、どうして、こんなに傷つけたのか。 どうして俺は、無力なんだ。 たかだか絵画の制約に縛られ、抗う事もできず、やるせなさに憤って、一番大切な人のたった一つの大事な気持ちを都合よく頼る。 信じて欲しいなんて軽々しく聞こえる言葉を言って、それを信じる事が今の彼にはどれだけ苦痛な事か。 どこまでも透明に愛し続ける事がこんなに難しいとは、思わなかった。 俺が今まで日々積み上げてきた愛の言葉は、盲目的に愛する事しかしていなかった。 一つ、間違っただけであっけなくすれ違うような心。 綺麗なだけじゃすまない、痛くて苦しくて、不安で恐ろしい。それが愛すると言う事なのか。 呼吸を忘れて震えながら自分を見つめる俺を、表情を無くして泣きながら見つめ返すアゼル。 それから自嘲気味に笑って、掴んだ手首の、左手をそっと自分の口元に寄せる。 結婚指輪に落とされた唇は、すぐに離れて歪んだ弧を描いた。 「ここまでされても、俺はお前を、愛してる……お前の言葉は、ちゃんと……信じる……これでいいか…?」 「は…っぁ……ぁぁ…っ」 「これで、まだそばにいてくれるだろ?」 『──無理だな』 突然響くいるはずのない他者の声。 途端ビクッ、と身体が大きく跳ねて、俺はアゼルの腕を振り払って声のする方に飛び退いた。

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