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第73話

俺が飛び退いたのと、アゼルが攻撃したのは殆ど同時だった。 それぞれ違う方向から襲いかかった鎌は、声の主……リシャールの前に出た俺の直前で全てが止まる。 「絵画の亡霊、てめぇのせいで…」 俺の背中に守られるリシャールを睨みつけるアゼルは、ほんの一瞬風に吹かれた瞬間、闇夜のような黒い瞳が血の色に染まっていた。 それを見て、なんの恐怖もなくリシャールを庇って立つように見える俺は、血の気が失せ冷や汗が止まらない。 あれは、一度俺を血溜まりに沈めた本気だ。 一見瞳の色以外何も変わっていないのに、操られても尚俺の意識を刈り取りそうな殺気。 アゼルは攻撃してこないが、こちらだって指先一本手が出せない。 だが背後のリシャールは意にも介さず、自分の前に両手を広げて立つ俺の腰に、後ろから親密に腕を回す。 『ダメだろう?攻撃したら、こんなに私と密着している姫が死んでしまうよ。それに物理攻撃は効かない』 「リシャール、挑発したらだめだよ。アゼルは最終形態だ。俺じゃ勝てない。お前を守れない。あぁ、なんて悲しいんだ」 『それは困ったね、私も悲しいよ』 指先一本自分じゃ動かせない。 抱きしめられ、耳元で悲しそうな声をかけられながら体をなでられる。 振り払う事もできずに、アゼルが握りしめた拳から、血を流しているのを見ている事しかできない。 流した血は絨毯に溢れる前にアゼルの手へ戻るが、突き刺さった爪に阻まれひたすらに零すだけ。 信じると、言ってくれたのに。 アゼルは何も言わないくせに矛盾した行動ばかりする俺を、それでも嫌いになれずに泣きながら信じたのに。 『動かないでくれよ』 「……返せ」 鎌がダメならと、ふわりと霧状の魔力を忍ばせようとしたアゼルの動きに、リシャールはすぐに微笑んで待ったをかけた。 ドスのきいた、冷たい要望。 リシャールは呆れたようにため息を吐いて、諦めていないアゼルに困り果てて首を傾げた。 『姫はもう今や、殆ど姫だ。最高難易度の天使の聖法で作られた私の選んだ、姫なんだ。であればさっさと捨てて、違う人間を愛したらどうだ?そしたら君はこんな事をしなくていい。お互いの為だろう?この部屋の結界を解いてくれ、姫を私の世界につれていけない』 「そのふざけた事を抜かす口を今すぐ削ぎ落としてやろうか?物理が効かないなら、闇の世界へ落としてやるよ。入ったら二度と出られない、永遠に暗闇の世界へ。俺はシャルを避けてお前だけを狙えるぜ」 『ふむ……やっぱり魔王は、怖いね。姫、そんなこと可能なのか?』 「わからない。でもアゼルは本当は魔法が一番得意で、剣も鎌も手っ取り早いから使うだけだ。やれると言うならきっとやれる」 『ほうほう……そうしたら姫はどうする?』 「リシャールを追いかける。お前が死んだら俺も死ぬんだからな」 「ッ!」 『ふふふ……当然の理、王子と姫が死する時は共にだ』 死ぬ、というと、アゼルは目に見えて動揺し、展開していた闇の魔力をゆっくりと自分の中に戻す。 心の中で、俺は必死にそんな事を気にするなと願うが、届かない。足手まといは嫌なのに、またお前の邪魔になっている。 あんなに傷つけて泣かせた俺なんて、もう捨ててしまえと叫んでも、呼吸一つ自分じゃできない。 どうして俺なんだ…? もう、開放してくれ…! 俺は、今すぐアイツの元へ帰りたい。 涙を拭って、謝って、事情を話して、全てを伝えて、裏切りの罰をいくらでも受ける。 最早、この気持ちだけが俺のモノ。 ──アゼル(リシャール)を愛するこの気持ちだけが、唯一俺を俺たらしめている真実。 愛してる、リシャール。

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