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第212話
黙って強く引っ張られながら困惑する俺を、アゼルは店の外で素早く横向きに抱き上げ、トンッと地面を蹴った。
フワッ
「う……っ」
一瞬、内臓がせり上がる感覚。
アゼルは俺を抱いたまま器用に建物のせり出た部分に足をかけて、落ちることなく空へ駆け上がっていく。
何度か跳躍した後、ひときわ大きな建物の影になった天蓋付きのテラスに滑り込んで、アゼルはようやく俺をおろした。
──トン。
「っと……どうしたんだ、アゼル……?」
「ここなら空からも街からも見えねぇ」
恐る恐るといった様子で伺いながらそんなことを言われ、俺はキョトンとしてしまう。
たしかにここは天蓋で空を飛ぶ魔族からも見えず、下を歩く魔族にも見えないだろう。
影になっていて建物自体にも人気はない。
そんな人気のない場所で、アゼルはそっと俺を正面から抱きしめた。
「ん……触れたかったのか、」
力強く、温かい体。
腕を回しながらその熱を堪能すると、首を振って否定される。
それから大きな手のひらが、俺の頭を優しくなでた。
相変わらず緊張した、微かななで方。
初めてデートした時に俺の頭をなでた時と同じだ。
「……寂しそうに、見えた。俺といるのにそんな顔するってことは、何か変なこと考えただろ」
「う、」
「こういう時、俺だってな、話を聞けるんだぜ。なでられると落ち着くことも、知ってる」
「あぁ……」
「俺が変な時、お前はいつもこうしてくれるだろうが。……俺もしてやりたいと思うのは、おかしなことか?」
耳元でとつとつと語り、髪にキスをするアゼル。
俺はギュッと抱きしめる腕の力を強くして、たまらない気持ちをどうにか耐える。
よく見ているな。いつだって、コイツは俺をよく見ている。たった数秒すら、寂しがらせてくれないんだ。
頬をすり寄せて甘えながら、何を考えたのか言えと訴えてくるアゼルが愛しくて笑ってしまう。
俺が悲しんだからあんなにも焦っていたのか。困っていたのか。
「アゼルが好きすぎて、自分の残酷さに呆れていただけだ。お前はなにも心配することはない」
くっと顔を上げて、すりよってくる頬に自分のを当て、柔らかさを感じ合う。
弱気になってごめんな。
他の何に邪魔されても俺は胸を張ってお前を愛するが、お前の問題なら、俺は少し臆病になってしまうんだ。
迂闊に先を見た自分を反省して、もう心配ないという気持ちを込めて寄り添う。
だがアゼルは俺の言葉に一瞬身を固めて、すぐに抗議するように耳たぶに噛み付いてきた。
「俺を愛しすぎることをそんなふうに捉えることが、俺にとっては残酷だ。俺は言われないとわからねぇ。でもわかりたい。どうしてそう思った? お前は俺のものだろ? だからお前の悲しみも寂しさも全部俺のものだ。俺のものを教えろ。全部教えろ」
「ン、っん」
「言えよ、でなきゃ噛みちぎるぜ……お前の弱いところも俺のだろ?」
カリ、と耳の付け根に牙をたてられ、ビクリと体が震える。
言ってもどうしようもないことだと理解していても、俺は食い締めた歯を解いて、懺悔してしまう。
お前の足枷になる弱い人間であることを悔いた時も、そんなことはないと受け入れてくれた。
アゼルが俺のことを否定するわけがないからだ。
ないから──お前を愛しすぎる俺はふとした瞬間、自分に殺意を抱くのだ。
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