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第232話(sideアゼル)
♢
「ナイルゴウン、これを持ち帰れ」
食事会が終わった後。
帰ろうと支度を整えた俺にメンリヴァーはそう言って、手土産を差し出した。
華やかにラッピングされた両手ほどの大きさの箱。
今まで天界から友好の証だなんだと献上品を送りつけ合うことはあったが、それを直接手渡されたのは初めてだ。
俺は訝しんでいらねぇと突き返そうと思ったが、メンリヴァーはツンと澄まして綽々と話す。
「天界から結婚祝いだ。貴様が報告を怠ったから、僕らが知るのが遅くなった。怠慢だぞ? これだから蛮族は」
「いらねぇ」
「……人間の妃は、菓子作りが好きなのだろう? 我が天界の技術を持ってした菓子作りの道具だ、貴様の妃は喜ぶのではないか? ん?」
「…………」
欠片も興味のなかった俺は、そのセリフでピタリと動きを止め、箱をじっと見つめた。
天界の技術は魔導具と違い、聖導具だ。
聖法を使えない魔界では手に入らないレアな代物で、そういう技術だからこそ、あの忌々しい絵画のようなものが出来上がることもある。
シャルが喜ぶレアな道具。
もしこれを逃せば、手に入らないかもしれない。
そっと触れて箱を受けとると、メンリヴァーは「はじめからそうしておけ、浅ましい愚鈍め」と悪態を吐いて腐した。
だが俺にはそんなことはどうでもいい。
どうでもいいやつから自分に対して何を言われても、どうでもいい。
俺の恩人はそうすればいいと教えてくれた。
永遠の恩人だ。だから大切なのは大事な人のこと。
……これをあげればシャルは喜ぶのか。
「魔王様、お顔が崩れてらっしゃいます」
「う、」
ライゼンがこそこそと横から注意してくる。
条件反射だ、仕方ねぇだろ。
俺は自然に芋づる式でシャルが喜び、笑い、俺にありがとうと言い、俺と結婚してよかったなんて甘えてくるまでを想像してしまい、ニヤニヤした。
そんな俺を機嫌の悪そうな顔で見ていたメンリヴァーは、自分の宰相と共に身支度を整えながら、ギロリと睨んでくる。
「それは精密なものだ。召喚魔法なる魔族の愚法に落とせば、壊れる。丁寧に持ち帰れよ?」
「あぁ」
浮かれた俺はその言葉に返事を返して、ちゃんとそのままで持ち帰ることにした。
塔の中のメンリヴァー達に目もくれず、ライゼンと連だって先のない扉を開き、青空が広がる外へ飛び出す。
途端ブワッ、と形態を変化させ、俺は巨狼の姿に、ライゼンは夕焼け色の美しいフェニックスへ姿を変えて、悠々と空を駆ける。
プレゼントは抜かりなく背に乗せているぜ。
俺の毛皮は風圧を感じないよう守るからな。
『ライゼン、急ぐぞ』
『心得ておりますとも』
流石は俺の優秀な腹心。
俺達は風を切って魔界への帰路を急いだ。
「……そう、丁寧に、な。」
歪んだ笑みを浮かべてそうつぶやいた天使の姿は、彼らに届くことはない。
保険として睡眠薬や麻痺薬を混ぜ混んだ食事を用意したが、やはり手を付けなかったか。
しかし本命は彼の手に。
魔族が道具も使わずに聖法を嗅ぎとることはできない。その逆もしかりだが。
数時間後に時限式の結界が弾けた時、魔王の記憶は遥か昔の神遺物によって、百年分が奪われるだろう。
「ウィシュキス、頃合いを見て追え。魔王が記憶を失ったかどうか確認するのだ。その後は、……わかるな?」
「はい」
自分に心酔してやまない無口な腹心に向かい命令を出し、天使は空を見上げて楽しくてたまらない、無邪気な笑みを浮かべる。
あぁ、憎くて憎くてたまらない男。
誰の手にも落ちなかったはずの、孤独で、愚かで、強く、美しい、魔界の王。
天界の手に落ちたならば、跪く彼に足でも舐めさせてやろうか。
それとも犬のように飼ってやろうか。
憎い、憎いぞ。
貴様に会った日は夜も眠れないほど昂ぶって、一晩中血が騒ぐくらいだ。
寂しそうに目を伏せる癖に、愚かな選択をするあの日の貴様が憎らしい。
──妃を思って、笑った貴様が憎らしい。
「寂しくて寂しくてたまらない貴様を、今度は僕がはじめに抱き寄せてやろう」
自らの身を抱きしめ、メンリヴァーは恍惚と瞳を閉じた。
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