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第249話

 ♢  変化がないまま、アゼルが記憶を失ってから一週間が経った。  軍部は理由を聞いている長官と補佐官以外は、なにも知らない。  それでも未だに日々、誰一人の通過も許さない厳戒態勢に努めている。  それは、各長官達の頑張りが大きい。  けれどそれを嘲笑うかのように、記憶を奪うなんてことを仕掛けた天族からのアクションは、なにもないらしい。  書簡を送っても、今のところは無視。  アゼルを抜いた魔王城での会議では、もしかするとターゲットをミスしたのではないかと話しているそうだ。  多少の記憶を抜いても魔力は変わらないし、戦闘力も落ちない。  そりゃあ相当の記憶を抜かれれば鍛錬の動きを忘れるので困るが、魔族の寿命は長いのだ。  十八年なんて痒いだろう。  それによって本来俺に贈られるはずの贈り物だったことから、ターゲットは俺だったのでは、と言うのが有力な説だ。  俺の記憶を奪って、返してほしければと脅すつもりだったのだ、と。  だがライゼンさん曰く、アゼルなら天族の城へ向かって王子を人質に取り返すぐらいのことはできるらしい。  今代の天王は少しイカれているがそれがわからない愚か者ではないので、そうだとしても杜撰過ぎる作戦だと言っていた。  結果としてもアゼルは恩人と俺やリューオを忘れただけになるが、その記憶はアゼルをまともにしていたのだ。  恩人によって歩み寄ることを知った。それを忘れたら、拒絶するだけ。  むしろ弱みがなく難攻不落になっただけである。  天族の計画は破綻している。  だから手を出せないのではないか。  現状はそんなところだ。  天界は音信不通なので、困るのはこのまま一生アゼルの記憶が戻らないことくらいだろう。  そして記憶が戻らなくて困るのも、俺だけなのだ。  そんな話を聞いたもので、俺はその時クッキー生地を一つだめにした。  あんなしょっぱいものは、売り物にならない。  望みをかけてマメに魔導研究所に通い、解析の進捗を確認しているが、そっちもままならないようで解決策は浮かばずだ。  俺は今日も進展がないか尋ねるために、魔導研究所に向かう。  吐き出した息が辛気臭くて、頭を振ってネガティブな思考を振り払った。  駄目だ駄目だ。  俺が弱気でどうする。  大丈夫、まだたった一週間なんだぞ。みんな必死に頑張っているのに、根性なしめ。  どうせ俺は、一生記憶が戻らなくたって、未来でアゼルが別の誰かを愛したって、忘れることは出来ない。  アゼルを恋しがってしかたがないのだから、腹を括って顔を上げ、生きてみろと言うんだ。  そうだ。悲しむことなんかこれっぽっちもありはしないじゃないか。人生まだ長い。  だって今日は挨拶を返してくれたぞ。  ぼうっとしていたから行ってきます、と笑いかけると、無意識に行ってらっしゃい、と返して口元を押さえていた。  それに俺のいない間に、元々知っている人達であるライゼンさんやガド、ゼオまでやってきていたようだ。  おかげでアゼルは日に日に少しずつだが、自分を出していくようになった。  迷い悩み、疑いながら、アゼルも頑張っている。  俺のことも騒がしくて面倒だが、嫌いなわけではないらしい。  妃だと言うから扱いに困っているだけで、同居自体は悪くないと言っていたことを、ゼオがこっそり教えてくれた。  どうだ。  とてもいいことだろう?  つまり知らない人間から、五月蝿い同居人くらいの認識にレベルアップしたのだ。  ふふん、この成果は大きい。  大丈夫だ。この調子なら頑張れば、もっと早く友人関係ぐらいにはなれるかもしれない。  そうしたら、俺の名前を呼んでくれるかもしれない。 「…………シャルー……、なんて、自分じゃ意味がないんだがな……」  廊下を歩いていると、城の魔族たちがせわしなく仕事をしたり、行き来している。  けれど俺には、その喧騒が耳に入って来ない。  まったく自分の弱さに反吐が出る。  ホームシック、いやアゼルシック……、ううん、よくわからない。 「アゼル……、ふふ、なんだよシャル? って、いつもは……あぁクソ、ひとり芝居は流石に不気味だ。大丈夫、焦ることはないんだ、大丈夫だ」  なんだか恥ずかしくなって、わざとらしく笑ってしまう。これが愛の禁断症状か、初めてだ。  俺はアゼルにこうならないよう、たくさん愛されて生かされていたのだな。  なんだか自分が、魔界に来る前のガラクタロボットに戻ったような気がして、意気地なしな自分を頭の中で何度も壊した。

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