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第245話(sideアゼル)
背後でとつとつと声をかけていた男が静かになってから、しばらく後。
俺は音を立てないように、そっとベッドから抜け出す。
朧気な月が隠れてより薄暗くなった部屋の中を歩き、ソファーにゆっくりと腰を下ろし目を閉じた。
──今日、俺は目を覚ますと城の外にいて、わけもわからないままに記憶喪失になっているのだと言われた。
いつも微笑みを浮かべてサポートするだけだった筈のライゼンが、やたらに表情を崩して、なぜかとても親愛を持って接してくる。
俺が目が覚めた時。
混乱して黙っていてもわかっているとばかりに、見捨てたりせず根気強く覚えていることを聞いてくれた。
それはおかしいと思った。
十八年なんて、俺にとっては今までの十分の一程度の時間だ。なにが変わるとは思えない。
だって俺はその時間の何倍も魔王をしていて……なにも上手に、自分を変えられなかったのだから。
なのに終始そんな様子で、うまく傷つけないで言葉を選べないことも、考えて話すとぶっきらぼうで愛想がなくなることも。
そして他人との距離感に怯えることも、どうしてか知っていたのだ。
俺は、その記憶がないことよりも、知らない間に俺の弱い部分を知られていた現状に動揺していた。
突然「貴方の悩みごとはみんな知っているので大丈夫だから、好きなように振る舞ってもいいよ」なんて言われても、本当かどうか不安になってすぐには出せない。
だって、ライゼンも、同じく打ち解けているらしい他の連中も、俺の昨日までの記憶では特別に俺を好いてくれていたわけではないからだ。
俺からすれば一晩で人が変わるわけないって、思うに決まってるだろ?
だから正直、まだ少し戸惑っているし、怖い。
……でも。
『大丈夫です。私は貴方様を心底敬愛しています。仕事を休んでも、責めたりしません。居場所を失うことに、怯えることはないのです』
あれは、ほんのちょっと嬉しかった。
兎に角必死に魔王業をこなして、思ったことは殺して。
都合のいいものであれば、最低限ここでの居場所はあるからと。
そうでなければ失望されると怯えていたのを、知られた上で肯定してくれた。
俺の知っているライゼンも、そういえば俺を責めたりしなかったと繋がったんだ。
今日は、そんな既にあった優しさにも、気がつけた。
そしてそれは不本意ながら、降って湧いた俺の妃だと言う男の存在が大きかっただろう。
『大丈夫だよ』
『ここはあるがままのお前を受け入れ、共に笑ってくれる人がたくさんいる時間なんだ』
俺は微塵もコイツを知らないのに、コイツはなぜか記憶を失った俺すらも受け入れ、そう言って微笑んだのだ。
俺の泣きそうな気持ちを見透かして、ただただ微笑んだのだ。
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