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第258話(sideアゼル)
イライラして仕方がない。
記憶をなくす前の俺は知らないが、ガドには普通に接しているらしい。ふざけてる。
──だが、それは仕方のないことだと囁く自分も、確かにいた。
アイツは俺じゃなくて、記憶を失う前の素直な俺が好きだったんだ。
だから取り敢えず取り入ってみるものの、やっぱり感情は元の通りなんて行かないんじゃないか。
もしかして……それを繕うために、演技を?
そう考えると、なんだかアイツをめちゃくちゃにしてやりたくなる。
俺が先にその愛情は無駄だから、あきらめろと言ったんだ。
俺はアイツを愛しているわけじゃない。
なのになんでこんなことを気にするのかわからない。わからないが、気分は最悪だ。
アイツが突然の出来事に戸惑う俺に、勝手に今まで貰えなかったものを与えてきたんだ。
そんなことをされたら、俺はアイツに気を許してしまう。
そうなれば、アイツにありのままを曝け出しつつある俺が、アイツに仮面を被られているなんて、そんな馬鹿なことになんとも思わないわけがない。
勝手に踏み入ってきて、それが嘘っぱちなんて、嫌だ。苛つく。消してやりたい。……悲しい。
人を弾くのは防御だ。人の言葉は内側を引き裂く。
そして俺の言葉も同じ。人を引き裂く。
なら誰にも内側を晒さないのがお互いのためにいいと思って、俺は一人で耐えていた。
それをイタズラに引き剥がそうって、どうしてそんなこと。
そう思っていたら、アイツが随分遅くに帰ってきた。
帰ってきたアイツはいつも通りにニコニコと話しかけてくるし、いつも通りにお菓子を差し出す。アイツはいつも笑っている。
だけど俺はもう、それがムカついて仕方ない。
──本心が知りたい。
ガドに触れられて話していたから遅くなったと笑うアイツに、俺はどうしてかカッとなって、感情のまま強く腕を掴んでしまった。
恐ろしい言い方をして、苛立ちを乗せた冷たい表情をする。
乱暴に扱って、やめろと怒ればいいと思った。
そうすればなりふり構わず本心を叫ぶだろうと。そんな本心でもいいから、本当が見たくて必死の俺。
なのにアイツは、とびきり嬉しそうに受け入れたのだ。
自分の血だ。
加減ができず大量になくなれば死ぬ、俺はそれができる。
それをどうしてそんなに笑顔で受け入れるのか。
それも演技なのか、本当に怖くないのか。
俺にはわからなかった。イライラが収まらない。
だからお望み通り酷く腕に噛み付いてやろうと服をまくると、布の下の白い腕には、うっ血した痣があった。
それを見て、ようやく我にかえる。
自分のために誰かを傷つけてばかり。ちょっと感情を出すと、不器用な俺では迷惑をかけるのだ。
アイツの傷は……とても、痛そうだった。
見た目よりずっと、痛そうだった。
魔族はあんな痣、たいてい瞬きすれば自己治癒で治る。人間はそんなことできないし、回復魔法もあまり使い手がいないらしい。
ほんの少し間違えた力を込めてしまっただけで、肌の色が変わって痛ましい痕になる、か弱く情けない生き物。
「それが、俺の……選んだ人か」
自分の手のひらで目元を覆う。
同じ俺ならわかっていただろうに。
一番強い俺が一番弱い生き物を愛したなら、揺らぐ心で壊してしまうことを。
それでもアイツを選んだ。
それが人を愛するという、わけか。
唯一無二の、最期までそばにいたい人か。
そんな複雑なことはわからない。今の俺がアイツに抱く気持ちの名前は俺の知らないものだ。
だけど、仮にも俺とアイツは番。
なら俺の知らないアイツは、いてはいけないと思う。他の奴に抱き寄せられるなんて、以ての外だろう。
だって、息が苦しくなる。
やっぱり、もとの俺じゃないなら本当は愛していないんだろうか。
愛していないなら、いつか去ってしまうのだろうか。
「演技で俺を好きだなんて、言ってるなら……なるほど、魔界の王の妃らしいじゃねぇか」
嘘で愛するなら、せめて最後まで騙しきってくれればいいのに、どうして異常を悟らせるんだよ。持っていたかもしれないこの答えが、今の俺にはわからない。
俺が持っているのは、間違いすぎて殺された記憶。
おかげで人の本心を察することが下手くそな俺は、もう見えているアイツの本当がよくわからなくなった。
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