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第257話(sideアゼル)
バタン、と洗面所へ続く扉が閉じてアイツがいなくなってから、俺は握った手を見つめて行き場のない苛立ちを抱えていた。
力任せに自分の髪を掻きむしる。
それでもなにも収まらなくて、俺はまた元通りの場所に腰を下ろした。
──傷つけるつもりはなかった。
言い訳にしかならないそれは、心の中で一人でつぶやく。
ただの、八つ当たり。
心が乱された原因はわかってるんだ。
それは俺の様子を仕事の合間に見に来てくれた、ガドとのやり取りにあった。
相変わらず距離は近いが、成長したガドは俺がちょっと加減を間違っても傷付いたりしない。
気兼ねしないガドとの時間は、俺は楽しくて好きだ。
だからガドがアイツとの生活について触れた時も、なんの気なしにちゃんと思うままを答えられたと思う。
アイツはいつも馬鹿のように明るくて騒がしくて、俺が人見知って警戒する暇を与えない。
眠る前の一杯のティータイムに付き合ってやっただけで、その一杯をほんの少しずつ消費してこずるく話しかけてくる。
挨拶だって欠かさない。
挨拶は考えて返さなくてもいい分、俺はそれなりに返してしまう。そこを心得てにやりとドヤ顔晒すアイツが腹立たしい。
毎夜添い寝を自分から勧めてくる抱き枕なんかあるかよ。
俺は必ず背中を向けるのに、静かに後ろで話しかけてくるのが面倒くさい。
お菓子だって、毎日仕事から帰ると俺にご賞味あれ! とニコニコしながら差し出す。
魔界では見ない物珍しいお菓子だが、喜んで受け取ると馬鹿にされるかもしれないと思って断る。それでも渡してくる。
だから俺はゼオにも聞かれて話したように、ガドにも「アイツは嫌いじゃねぇけど、毎日五月蝿くてアレコレと世話を焼いてくるのが面倒くさい」と言った。
何を言っても聞かなくて、いつもニコニコとノーテンキに笑ってるんだよ。
一昨日なんて俺が黙っていてもアイツ、一時間も一人でずーっと話していたんだぜ。
下手くそな面白くもない話を、延々だ。
ギャグセンスが死んでるぞアレは。
そうガドに言って、俺は心の中で、まぁ悪くはないが、と付け足す。
だって俺は、その一時間ずっとアイツの一人語りを聞いていたのだから。
まるで木漏れ日のような男。
一生懸命身構えていたって、心が安らいでしまう。
面白い話は下手くそだが、俺のようなタイプにとっては距離の詰め方がうまかった。
だからそう言った。──のに。
『魔王さァ、誰の話をしてんだ?』
キョトンとして首を傾げたガドは、アイツは友達だと言っていたくせに全く俺の言う話がわからない様子だった。
『? 俺の妃とか言う、アイツだ。あの人間』
『シャルだろォ? でもな、シャルは口を開けて声を上げる笑顔なんて殆どねぇよ? いつもこんな感じで、口元を緩めてほわほわ笑うんだぜ。ニコニコーっとじゃなくて、ふふって感じ。かァわいいんだぜー?』
『はぁ……?』
ガドが自分の口元に手を当てて緩く引き上げるのを見て、今度は俺がキョトンと首を傾げることになった。
確かにたまに、馬鹿みたいじゃない静かな笑みを浮かべる時はある。
だけどいつもというと真逆だ。
ガドの話は聞けば聞くほど俺を妙な気持ちにさせる。
俺の気分を斑にする。
『それにシャルは基本的に受け身で、会話は質問をして相手に話させてそれをうんうんって聞くヤツだ。自主的に何度も話しかけることは、珍しいなぁ……』
『……そうか』
『ンー……? ま、安心しな。魔王は気にしないでイイ。俺も会ってないからそのうち聞いてきてやるよ』
ガドはそう言って俺を気遣ってから帰っていったが、俺はなぜか苛立ちを消すことができなかった。
アイツは俺の妃だと言う。
そして俺を大好きだと言っていつもまとわりついてくる。
ならどうして、旦那の俺に演技をするんだ。
俺にありのまま素の自分であれと言うくせに、自分は俺に猫を被って本性を煙に巻いているじゃねえか。
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