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第266話

 ガドはなにも言わずに俺が愛したアゼルの話も、そうして本当の意味で前向きな覚悟も、黙って聞いてくれていた。  俺の目にはガドの手のひらが見えている。  だけどそれは真っ暗で、でも温かい。  思い切りエゴを振りかざして、その理由を口に出して、思考回路を誰かに聞かせて。  そうやって記憶がないと教えられた時から蹲って喪失を耐えていた俺は、ようやく忘れられた悲しみを整理することができた。  俺を思い出すと言うことは、アゼルの血を絶やすことで、俺が先に逝く悲しみを背負わせることでもある。  それに俺を愛することは、アゼルの弱みになること。  弱い俺の生贄にアゼルが傷つくリスクがあること。  だけどガドが俺が感じた気持ちをアゼルの代わりに覚えていてくれるなら、アゼルは悲しまないし、俺は確かにアゼルと愛し合っていたのだと誰かの中に残ることができる。  俺を愛さなければ、俺が怪我をしただけで壊れてしまうような以前のアゼルほどは傷つかないし、弱みになりえない。  俺が思うに、これが幸福なのだ。  むしろ、奪ってくれたのだと感謝するべきなのではないかと思うほど、俺が世界で一番幸せでいてほしい人は、幸福なのだ。  投げやりな諦めじゃない。  不貞腐れたあてつけでもない。 「もう大丈夫だ。本当に。……納得した」  あの夜のアゼルの言葉と、錯乱してたどり着いた答えと、そして正気になった今の答えが一致した。  思い出さないほうが幸せだ。  やっぱり、どうあがいても幸せだ。  蹲らずに、さあ前へ、進もう。  後頭部に当たるガドの胸は、とても温かかった。  触れた手も、身体も、言葉も、態度も、ガドは全部が温かい。  そっと目元を覆う手に自分のそれを添えて、今度はちゃんと自分の顔で微笑んだ。 「ありがとう、ガド。見つけてくれて、ありがとうな。それにごめんな。……今日、嘘をついた。もう……お前に嘘はつかない」  自分一人の気持ちじゃなくなったことで、俺はだいぶ穏やかになれた。  頼るのが下手くそな俺を理解して、有無を言わせず頼らせてくれた。  ガドが来なければ俺はまた一人で震えて、明日になったら同じ顔で笑っていただろう。  そうしてまた溜め込んで、何度も一人で泣いていたはずだ。  だから感謝の気持ちと、俺を気遣ったそんな人に嘘をついて強がったことへの謝罪をした。 「……それは違うぜ、バカ野郎」  しかし小さく呟いたガドは、触れている手をくるりと返して俺の手を掴み、絡ませる。  穏やかな闇で塞がれていた目には、再び差し込んだ今夜の月明かりが眩しかった。 「俺は今日お前に会っていて、話していて、触れていて、それなのに限界だと気が付かなかった。ここでのことを見つけたのは……たまたま走っていくのが見えたから、追いかけただけだ。俺を思うお前の気持ちがお前を笑わせていたことを、見抜けなかった」 「バカ、それがどうした……? 構わない。そんなことは関係ない。言えない俺が悪い。俺は本当はどうしようもないやつだということを知ってくれて、恥ずかしくて情けなくて苦しいが、ホッとしたんだぞ……」 「んーん、やっぱり魔王ならお前が泣き出す前に気付いただろうよ。俺達はお前の大丈夫を鵜呑みにするばかりで、ボロボロのお前が倒れているのを、助けを求めるまで棒立ちで眺めていたようなもんだぜ。見殺しだ」  胸の内を語りながら、俺の髪に頬を擦り寄せるガド。  尻尾の先が悲しそうにピコピコと揺れて、ガドは自分を薄情で最低なクソ野郎だと貶した。

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