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第265話

 初めはな、死んでもいいと思っていた俺をな、アゼルが、俺にそばにいてほしいと言ったんだ。  それでも殺してくれって言ったのに、毎日俺に会いに来たんだ。  それがきっかけ。  何度でも繰り返して思い出して、記憶をなぞると、俺はやっぱり、初めから嬉しかった。  俺はな、この世界で初めて必要とされて、嬉しかったんだ。  必要としてくれて愛してくれたのが、アゼル。  アゼルは、凄いんだ。  なんにもしなくても、役に立っていなくても、俺を丸ごと愛してくれる。  本当に凄いんだ、ガド。  アゼルは俺を愛する天才なんだ。  俺は自分を大事にできなくて、自分にあまり価値を見いだせていなくて、悲観していないけれど多分、それほど自分に興味がないんだと思う。  だからその分他を大事にすることで、大事にされるのと同じ綺麗な気持ちを貰っていた。  それが存在価値にもなれる。  誰かの力になれること。素敵なことだ。  俺は卑屈になっているんじゃなくて、進んで周りの人を大切にしている。  周りの人が笑っていると幸せな気がした。  だけど、悲しい時もあるんだ。  寂しくて誰かにそばにいてほしいと、泣いてしまう時もあるんだ。  そんな時、俺はなるべく誰かに見つからないように、知られて〝迷惑で面倒な可哀想〟にならないよう、静かに泣く。  そうしたらまた、次は笑っていられるから。  なのにアゼルは凄いから、周りにいる素敵な人たちの誰よりも、みすぼらしい俺を大事にしてくれるんだ。  アゼルだけが俺が弱るとすぐに気がつく。  本当は苦手なんだぞ? アゼルは。  人を慰めたり優しくしたりすることが、とても。  デリケートな状態の人にとる行動の正解が、てんで分からない。  けれど気づく。  どうにかしようとオロオロしながら周りを彷徨いて、俺の悲しみを自分のことみたいに考え、痛くて痛くてたまらないって顔をする。  俺が本当に隠したい気持ちを隠す時は、なんでもないように笑っていることを、アゼルだけは知っていた。  隠し事は許さないって。  お前の悲しみも苦しみも辛さも寂しさも、全部俺に渡せって。  そう言って、俺が一人で泣いたりしないように抱きしめる。  とっておきの幸せな記憶を教えるぞ。  聞いてくれ、二人で結婚式をしたんだ。  そんなにちゃんとしたものじゃないが、誓いの言葉と誓いのキスを、貰った。  それも理由は俺が約束を欲しがったからで、アゼルは最上の約束を返してくれたんだ。  そう。アゼルは俺を愛する天才だから、そんなことを簡単にやって応えてくれる。  生涯俺だけを愛してくれ。  なんて、とんでもない我侭だろう?  なのにアゼルは、笑って当然だと誓ったんだ。  それがどれだけ嬉しかったか。  アゼルは本当にどんな俺も受け入れてくれる。  弱い俺も、泣き虫な俺も、鈍い俺も、情けない俺も、寂しがり屋な俺も、独り占めしたい俺も、俺をまるごと愛してくれる。  ずっとずっと、俺が好きだと、抱きしめてくれたんだ。  ガド。俺はあの時に、本当に幸せすぎて、もう死んでもいいと思ったんだよ。 「──それほどに嬉しかった。……うん、嬉しかったな。……嬉しかったから、もしもこのまま記憶が戻らなければ、あの誓いはなしにしようと思うんだ……」  俺の声は本当に小さかったが、それでも確かに蹲って考えられなかったこの先のことを考え、答える。  自分だけしかもう持っていなかった記憶をこうやって改めると、あの時にもらった幸福だけで、十分なんじゃないかと思う。  本当はいやだ。  凄く凄くいやだ。  もっと足掻いて縋りついて一緒にいようと、なんでもするから嫌いにならないでくれと、お願いだから俺をもう一度選んでと叫びたい。  だけど、いやだからこそだ。  ほら、俺の気持ちは重いだろう? ヘビー級だ。  ヘビー級アゼル愛者の俺は、今日みたいに今のアゼルを困らせる。  応えなければなんて思ったり。  好きでもない嫌いな俺がわからなくて、そんな気もないことをしてみたり。  俺を知らないアゼルは俺の行動が理解できない。  記憶を失った不安や、うまく自分を出せない葛藤をせっかく解消しつつあるのに、俺が新しい悲しみになってはいけないんだ。 「寂しい、寂しいけれどな……俺はあの時本当に、あんな我侭に誓ってくれただけでよかったんだ。その後どうなろうとも、あの時すぐに頷いてくれただけで、きっと俺は世界一の幸せ者だったんだ」  だからもう、我侭はやめようと思う。  俺の愛情は、お前の幸せより俺の喪失なんだという、押し付けがましい愛情。  だって俺が仮面をかぶったのは、本当の自分を見せたくないからだと言っただろう。 「好きな人には、やっぱり強くて優しいんだと、格好つけたいじゃないか」  自分を捻り潰してでも相手の幸せを願う。  それが格好いい愛だって、どんな物語でもそう書いてあるだろう?  俺が格好悪く愛していられたのは、俺の愛でも足りないくらいめいいっぱい俺を愛してくれている人がいたからだ。  だから強がりじゃなくて、本当にもう記憶が返ってこないのならば、俺はちゃんと諦めの悪いエゴイストを卒業しようと思うんだ。

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