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第269話

「お客さん……生憎と甘いお菓子は売り切れでな。また日を改めていただけるか?」  床に座っていた俺はそう言いながら余裕ぶって立ち上がり、侵入者に向き直った。  バレないよう視線だけは走らせ、相手を観察し、逃走経路を確認する。  背中から生えた大きな一対の白翼が月明かりに浮かび上がった。  ピタリと身体にフィットした、現代の長ランのような白い衣服に身を包む男が一歩近づく。  ゆるいシルエットの多い魔王城の正装では見ない、シンプルな装い。  サラサラと絹糸のようなストレートのプラチナブロンドが揺れ、目に掛かる前髪の隙間から冷徹な視線が向けられる。  人形のような男だ。  そしてそれらを見るに九分九厘、彼は天界の生き物──天使だろう。  ……まったく。  天使という生き物はどうも、デリケートな俺の心に気を使わない奴らだな。  笑えるくらいに厚顔無恥だ。  男は警戒心を緩めずに視線を合わせてくる俺に、鉄仮面を崩すことなく相対する。 「残念だが、我等の国は薄汚れた魔界と違い、菓子にも事欠かないのだ。遠慮しておこう」 「そうか。それじゃあ、豊かで美しい天界へお帰りいただきたいんだが」 「あまりに愚かだな……天使を前にしてその振る舞いか。本当に察しの悪い下等な生物じゃないか、人間というモノは」  男はもう一歩足を踏み出し、俺に向かって誘うように手を差し出した。  俺達の間は、距離にして大体三メートル。  下等な生き物だと俺を見下し、舐めきっている態度、口調、視線。  すべてが俺の敵だとわかりやすいほど自己紹介している。 「この建物は聖法の結界によって外界との繋がりを遮断してある。逃げることはできない。──いいか? 黙って俺に従え。お前の身柄は、天界が預かる」  無駄に怪我はしたくないだろう? と告げる、淡々とした冷たい声。  天使が投げつけるその言葉に、俺はスゥ、と体中の血が冷えていくような心地になった。  どうしてここに来たのか理由はわからない。やはり俺が狙いだったのか?  ならば記憶は、ターゲットミスが正解なのかもしれない。  ミスをしたから直接回収に来た。  取り敢えずはそれとして、連れ去るために俺が一人になるのを待っていたという具合なんだろう。  陸軍と空軍の包囲網を抜けて、よくもこの城へ入れたものだ。  一日二日では為しえないだろうが、ここにいるのだからそれだけ男は強い。  ゆっくり、息を吐く。  天使だ。それも優秀な天使だ。  人間の俺では勝てない。俺は切られれば死ぬからな。  だらりと垂れ下がったままの手に、召喚魔法を発動させて愛剣を収める。  ニコリと笑ってみせると、男は差し出した手をおろして腰のサーベルに手をかけた。 「……勘違いがあってはイケないから、確認するが……アゼルの記憶を奪ったのはお前たちのしわざ、で合っているか? アイツが空の上で藻掻き苦しむ羽目になったのは、お前たちの罠だな?」 「なにを今更。当然じゃないか。そんなことは最初からわかっていたことだろう? 天界からの素晴らしい花火が、お前たちへの結婚祝いだと。泣くほど喜んでいたじゃないか、妃よ」 「そうか。よくわかった。では祝いのお礼を、しないとな」  剣の鋒はブレない。  感情は凪いでいく。攻撃の瞬間は、そういうものだ。 「さあ。奥ゆかしい日本人の〝お帰りいただこう〟がどういう意味か──……天界の高貴なド低脳にレクチャーしよう」 「ッ!!」  ガキィンッ!  間違いのない返事に安心した俺は、笑顔を消して素早く距離を詰め、剣を振りぬく。  それを難なく受け止めた男との間に火花が散り、眉をしかめたくなる金属音が耳を劈いた。  だが俺は止まらない。  隙をついてそれを埋められても、対応されきる前に身をかがめ、床に魔法陣を貼りながら下方死角から剣を振り上げる。  ビュッ、と振り上げた剣は同じく難なく避けられたが、男のプラチナブロンドを幾らか刈り取り地に落とした。  それに男が気を取られている間に、バッと後ろへ飛び退き、身構えた状態で距離を取る。  途端。 「チッ……!」  ドンッッ!  時間差で設置した魔法陣が男の足元で爆発し、男の姿は爆発の煙に包まれていった。  人間なら致命傷は免れない。  これまでの経験上、剣技で気を引きながら張り巡らせた罠を突然食らって、無傷な人間はいなかったと思う。  至近距離での爆破は殺す気だから。  それを俺の、一番愛する人にした、この男。 「ちゃんと言葉の意味を聞いて、理解して、速やかに、行動してくれ。思い出の場所が壊れてしまう」  俺は警戒を解かないまま、ここへ来る前の、暗殺者時代と同じように、感情を殺した表情で爆煙を眺める。  ヒュンッと剣をひとふりして加減を確かめた。 「俺は帰ってくれと……『ピーチクパーチクうるせぇな。失せろ。ゴミクズ以下のヒヨコ野郎』と言ったんだ。──ほら、あと何回花火を上げてほしい?」  弱い? 無謀? 無駄?  知るか、関係ない。  目の前に自分の愛する人を苦しめたクソ野郎がいるのに、一発喰らわせてやらないなんてそんな男がいるわけないだろう?  直後に死んだとしてもここでおめおめ従うなら、それはもう大河 勝流──アイツの愛したシャルじゃない。

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