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第275話(sideアゼル)
誰か、違う。
うずくまっているのは、俺だ。
俺は足元で嗚咽を噛み殺して、震えている。
泣いているようだ。
だが、泣いている人の慰め方なんて、たとえ自分でもあまり自信はない。
黙って覗き込むようにしゃがむ。
近くで見てもやっぱり俺だ。
『シャル……シャル……シャル……』
ただ一人求めるように呼ぶ名前は、確かアイツのものだと思う。
俺は一度も、呼んだことがない。
なのに目の前の俺は何度も何度も呼ぶものだから、責められているような気分になる。
俺はイライラと唸り声を上げた。
「泣くな、みっともない。お前は俺だったが、俺はお前だったことはねぇ。うまく愛してやれないのは、仕方ないだろ。それにアイツは、笑っていただろうが。……俺も今度は、ちゃんと優しくできるように、やってみるから」
パシン、と後頭部を叩く。
感情を出すとああやって噛み合わなくて、うまくいかないことは必ずあることだ。
今まで何度しくじって、捻り出した勇気を踏みにじられ、そんなこともできない落第魔王だと揶揄されたか。
だけどそれは、慣れて乗り越えなければならない。
泣いている暇はないのだ。
さっさと立ち上がって、俺を最後まであたため続けたアイツの優しさに、報いなければ。
情けない自分に叱咤するが、泣いている俺はゆるゆると頭を左右に振り、否定する。
『笑ってねぇよ、泣いているのは俺だけじゃねえ。シャルが、ずっと、ずっと泣いてる。どうして忘れたんだ? 寂しい、苦しい、アゼル、愛して、愛してって……はじめからずっと、泣いてるじゃねえか……』
「っ、そんなこと、ちっとも言ってなかっただろうがっ! 自分に都合のいい妄想はやめろ……ッ! お前はもうここにはいない。天界で囚われているしかないお前は、もうお荷物だ……っ!」
『そうだ。だから俺なんかを諦められず泣かなくていいんだ……なぁ、俺の代わりに追いかけてくれよ……っ! 抱きしめて〝大丈夫〟と言ってくれよ……泣いてたんだ、俺に言わないということは、ひとりぼっちじゃ、シャルが壊れてしまう……っ』
「ッ……!」
ぱっと顔を上げて訴える俺は、ボロボロと涙を流して悲痛に叫んだ。
その顔は俺と同じはずなのに、耐えきれない悲しみを押し込めることなく、感情のままに泣きじゃくっている。
お前のほうが大丈夫じゃないだろうと言おうとしたが、その俺は喉を鳴らしてしゃくりあげながら『シャル、シャル』とアイツの名を呼んだ。
『不甲斐ない、情けない、惨めだ、歯がゆい。あぁ、なんで俺はこんなところに閉じ込められているんだ。なんで俺はシャルを抱きしめてやれない。こんなに好きだ、好きなんだ、俺はシャルを愛してる』
『お前の奪われた十八年のうちの、最後の一年間はな? 愛しくて、幸せで、毎日が宝物だった。そんな記憶である俺は、シャルが恋しくて涙が止まらない』
『だって俺は、シャルの恋心。誰かを愛すること、愛されること、こんなに幸せだと教えてくれたのは全部シャル』
『忘れないで、覚えていてくれ……心と心を無理に引き裂かれると、痛くて苦しくて辛いんだということ。だからシャルを愛せないなら、俺はもう消えたい。こんなに辛いなら、消えてしまいたい』
俺を見つめて、震える声でそう言う俺。
俺が名を呼ばないぶんまでたくさん呼んで、愛する人はそれだけだと訴える。
本当に俺が流しているのかと言うほど儚く美しい雫が、俺達の間に水たまりを作る。
……いいや、違う。
こんな涙を流すのは、アイツを愛する奪われた俺の一部だ。
それほどまでに、愛おしい存在なのか。
泣けば泣くほど存在が消えてしまうような泣き方をするほど、愛するということは尊いものなのか。
『心臓が空っぽだ……』
『早くお前の……俺の中に、帰りたい』
『帰ってシャル を、抱きしめたい……』
恋焦がれて切望し苛まれる姿は、哀れで悲痛でとても幸せとは思えないのに。
そんな記憶ならないほうがやっぱり幸せで、なくても構わないはずなのに。
「──……シャ、ル……」
どうして、こんなにも胸が痛い。
百年以上生きた俺が奪われたほんの小さな欠片は……もしかしたら俺が押し潰して隠していた感情の、一番失ってはいけないところだったんじゃないかと、思った。
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