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第310話(sideライゼン)

 ほほ笑みを浮かべながら、目の前の天使を見下ろす。  メンリヴァーは謝罪するどころか、悪いことをしたなんて少しも思っていない。  胸中でそれらしいことを考えたこともない。  他人の気持ちなどどうでもいいと保身ばかりで、自分都合の救えない天使。  ライゼンにはそれがよくわかった。  だから、許せない。  歳若い魔王を、ライゼンは出会った時から気にかけていた。  見かけや魔力に釣り合わない、酷く柔らかで未成熟な心。  初めは確かに、手のかかる困った魔王だと思っていた。  宰相として投げ出すことはないが、悩むことも多々あった。  魔王城の記録にもない彼は出自もわからないし、あまりにも知識に偏りがあったからだ。  けれどそこに無垢で繊細なモノを感じて、それは子供のような弱々しいモノなのだとわかった時。  ライゼンは矛盾した彼を、自分が支えようと決めたのだ。  何度傷ついても涙ひとつ見せず、弱ったところは徹底的に隠し、人目を拒むようにたった一人で、ひたすらな努力を重ねていた主。  一人が好きだという噂があったから、他人が嫌いなのかと思った。  だから距離を取った。  なるべく私生活では干渉しすぎないよう気遣いながらも、淡々と仕事をする彼の手助けをした。  一人でのティータイムを楽しんでいると感じて、それならばとティーカップを贈った。  主はそっけなく受け取ったが、毎日のお供に使用してくれていると知って、嬉しくなった。  自分の足りないものを理解し、努力を惜しまないところを尊敬している。  冷たい言葉を吐くが、行動は優しい。  それはちゃんと見ている部下は、知っている。  彼はライゼンの大切な、唯一無二の主。  そして主をあんなにも感情豊かに、まるで子供のような駄々をこねるほど、生き生きとさせてくれたあの人。  自分らしく生きる主を包み込み、喜怒哀楽の全てを抱いて、愛していると告げてくれる。  彼もまた、唯一無二の大切な人。  ライゼンにとっても、主にとってもだ。  ライゼンは天使の絵画で傷ついた二人を見た時も、胸が引き裂かれる思いだった。  自分が地獄のきっかけを作ったのだ。  けれどあの時はただ、傷の手当てをすることしかできなかった。  今回も、ライゼンは主のそばにいたのに、みすみす記憶を奪われてしまった。  その時の感情は、今でも思い出すだけで自分を焼きたい。支えようとした決意は叶わず、無力感に打ちひしがれる日々。  主達が苦しむ裏で、ずっとずっと、同じように苦しんでいた。  せめて平穏でとひたすらに仕事を肩代わりして、記憶が戻るまで魔界を守ろうとしていた今回。  なのに庭でガドと主が争っていると報告され必死にそこへ向かうと、主は涙し、返してくれと泣き叫んでいたのだ。  主の唯一は、奪われていた。  何十年も、そばで見ていた。  彼はもう、家族のいないライゼンにとって、家族なのだ。  家族のなにより大切な幸福の記憶と、幸福の源。  それをプライドを傷つけられたから、その復讐に、奪ったこの天使だけは……許せない。  ──怒りをわずかも悟らせない。  ──お前の微笑みは完璧だ。  そう褒められたことを思い出し、ごめんなさいとそっと胸の内で謝る。  表情なんて消え失せます。  家族を踏みにじられて、笑っていられるほど完璧な人じゃないんですから。私。 「天使風情が、私の主達に手を出して、楽に死ねると思わないでくださいね。大丈夫……お前が心底生きたいと渇望した瞬間──俺が殺してやるよ」  そう、あの人が感じた苦痛を。  先に目を覚ました天使が吐いた、残酷な夜を思い、ライゼンは全身の血を冷たく冷やした。  死にたいものに与える死より、生きたいと希望に満ちた時に死ぬ。  それこそが地獄。  誰にも看取られずに一人で逝ったあの人が、あの夜に感じた苦痛を、そのまま返す。  きっとすぐに殺してしまうから。  主の言葉は、冷えきっていた。  それくらい、本当は誰よりも殺意を感じているはずなのに、主は最大限の苦痛を与えられる人選をしたのだ。  その期待に応えるために。  ライゼフォン・アマラード。  無限の獄炎魔と呼ばれる彼の特技は──拷問。  滅多に怒らない温厚さで知られる彼は、魔界で最も……怒らせては、いけない人。  そして同時に、大切な家族を、なによりも愛する愛情深い人なのである。  後話 了

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