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第65話✽
わかってる。
俺の行動が理解できないんだ。
第三者なら理解できるだろう。何故絵画のある階段の踊り場に、それもわざわざ気配を消してまで朝早く向かったのか、誰だって理由がわかる。
それが理解できないのは、俺達はお互いの愛を疑ったりしなかったからだ。
責め立てて聞き出さないのは、それでも俺を信じているから。どう考えてもアゼルが絵画を始末する前にリシャールを守ろうとしている俺を、嘘まで吐いた俺を、まだ信じようとしているから。
本当はお前を傷つけてまで守りたいと思っていない。けれどすぐにでも召喚魔法を使おうとしても、まるで反応がなかったんだ。行動も言葉も奪われた。
ままならない状況に、されるがままにキスされた事を思い出して、胸の奥が強くひび割れる。
あれは、俺の不始末だ。迂闊な自分のせいだ。
運が悪かったのか、そうじゃない。俺が馬鹿みたいに能天気で、自分が簡単に食物にされる程弱い生き物だと忘れていたからだ。
いつも守られてばかり。
守ってくれるお前を傷つけるのは俺の弱さ。
少しでも強くあって自分の不始末を拭わなければならないのに、愛していない男に口付けられたのが思いの他苦しいんだと泣きついていいわけない。
「アゼル…」
だが、俺は縋るように名前を呼んでしまった。
アゼルといると甘えたくなる。泣いたりしない。でも上書きして欲しい。あの雲の塊が撫でるような唇の感触を、忘れさせて欲しかった。
名前を呼ぶとアゼルは立ち止まって、俺を優しく抱きしめた。ここは俺の場所。すぐに身体は離れたが、十分に安らぐ。
「眠いか?戻ったら、いくらでも部屋でゆっくりしてろ」
「アゼル、キスしてくれないか」
返事をせずじっと目を見つめて、視線で懇願した。
きっとそれだけでまた立ち向かえる。
アゼルは一拍の後、──目を逸らして、黙ったまま歩き出した。
「……悪ィ、気分じゃねぇ」
それはか細い、聞き取れるかわからないような小さな声。静まり返った廊下では聞き取るのに十分な声量だ。俺の耳は的確に受け取ったし、脳はそれを咀嚼した。
俺には、アゼルがどんな表情でその言葉を言ったのかはわからない。どんな気持ちでそう言ったのかわからない。今何を考えているのかもわからない。
交わす言葉もなく、半歩後ろを手を引かれたまま歩いていく。短い廊下が氷の中へ続く螺旋階段に感じた。終わりがあるのかもやっぱりわからないまま、下り続ける。
分かることはきっと、ひとつだけ。
──俺達が、お互いの心をわからないのだけが、確かな真実だった。
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