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第272話✽
馬鹿らしくてやってられない話じゃないか。
それで仕方ないはいわかりましたと頷くほど子供だと思っているのか。
男が信じられない愚か者を見るような視線で俺を貫くが、俺にとっては至極当然の回答だ。
「なに……? お前にとっては魔王の記憶なんて、取り返してやるほど大事でもないというわけか?」
「手足をもがれても取り返したいさ。でもな……俺は愚か者だがな、そこまで鈍くない。馬鹿にするな、天使」
俺の当然がわからない天使を、憐れむ。
未来を思って泣いていた俺だけれど、その未来にアゼルが泣く未来はない。
それだけは選ばない。俺は俺を嫌いになる。
「攫うために虎視眈々と一人になるのを狙ったり、犯人や捜索を遅らせるために手紙を残させようとしたり、俺をアイツから引き離そうという狙いが見え見えの行動」
「……だからどうした? それをわかった上でも大人しく人身御供になるのが、弱者が〝愛する〟ということなんじゃないのか」
「ド低脳が透けて見える。引き離したいとわかっていて、俺がアイツのためにと言いながら従うと……結果、アイツが余計に悲しむんだろう? そう仕組んでいますってプレゼンしてるようなものだ」
断固として従わない意思を見せようと断言する。
俺の語る言葉を愚かしいとする男は、俺が従う気がないということだけを理解したようだ。
アゼルだけじゃない。
本当は喜んで飛びつきたいが、ホイホイと天界へ行ったら、俺を抱きしめて涙をぬぐってくれた友人が悲しむのだ。
俺を叱るフリをして力になれないと自分を責めた友人も、人間の身ながら軍に混じって日々城の周囲を守る友人も、悲しむのだ。
嫌われているのかと気にしていた俺の為にアゼルの心を聞いてきてくれた陸軍長補佐官も、俺の手を握って間違いなくアゼルの宝だったと言ってくれた宰相も、みんなみんな。
俺のかけがえのないものが悲しむのだ。
「いくら俺でも、素直になんて……思い通りになんて動いてやるものか」
声に震えはなかった。
最愛でなくても、今のアゼルも必ず胸を痛めると確信している。
思うだけで俺の心臓は、ギュウ、と軋む。
もしかして、不安に焦って押し倒したから俺が逃げ出したんじゃないかなんて思ってしまったら、それこそ新しいトラウマになるだろう。
アゼルが俺の前で泣けなくなってしまうのは、アイツの涙を知れないということ。
そうして罪悪感に苛まれたところに天界にいるとわかったら、優しいアイツは助けに来てくれるかもしれない。
そんなことは耐えられない。
当たり前だろう?
馬鹿げた提案をするのはやめてほしいな。俺はまだ怒っているのだから。
「もう飽き飽きなんだ、アイツの人質なんて。守られてばかりはゴメンなんでな」
しっかりと男を見据えて改めて返事をする。
残念だが、メソメソしていた俺の時間はもうとっくに終わっているんだ。
守られて俺の代わりに誰かが傷つくくらいなら、なんだってするから。
地面の蟻を見る子供のような様子の男は、救いようがないなと呟き、俺の身柄を捕まえるべく手を伸ばす。
「ならば……交渉決裂だな」
「あぁ。──……お別れだ」
ヒュッ
「!?」
ドゴォォンッ!!
たっぷり無駄話に付き合ってから、俺は天井に設置した最後の魔法陣を作動させ、不意打ちを食らわせた。
瞬間。
天井から真っ直ぐ男の脳天目掛けて落ちてくるいくつものつららが、俺ごと男に襲いかかる。
聖力の気配に気づかなくて結界を張られても反応できなかった俺と同じく、魔力を持たない天族は魔力の気配に気付けないとわかったのは、戦闘中。
動けなくなった時の油断を狙うために保険のつもりだった。
陣内の任意の位置から攻撃できる魔法陣を天井を覆うように貼り付けておいたのだが、チャンスはここしかない。
床に転がる俺に脚を噛まれ、下ばかり警戒していた男。
攻撃は理想的にヒットした。……流石に、これだけ近くにいられては、巻き添えは致し方ないが。
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