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第567話(sideキャット)
不謹慎なことにこの瞬間、俺は敵を逃がしたことすら考えられなくなった。
どちらかと言わなくても溶けそうなくらい嬉しい状況に、ケガも忘れて一瞬頬を赤らめてしまう。
「はっ! なっ、なんで、どう、やって、」
しかしすぐにどうやってこの支配空間に侵入したのか、無理をしていないか、と思い至り、俺の顔色は青に極振りだ。
一面氷ついた床にしばしの静寂が舞い戻るが、問題はなにも解決していない。
タロー様が奪われた今ジファー様を逃がすわけにはいかず追いかけなければならないし、捕まえられなかったとしても、ここから出られないなら意味がないのだ。
するとゼオ様は「砕けろ。舞え」と唱えて微細な氷を部屋中に蔓延させながら、億劫そうに俺を見る。
やばい目が合った。死ぬかもしれない。
「どう? 世話係ですが護衛担当の俺は、あなた方を監視していたんですよ。でも急に部屋が異世界の狭間に飲み込まれて……俺ごとです。迷惑なやつだ」
「っ、じゃあジファー様が、お前たち と言っていたのは、ゼオ様のことだったのか……!」
「まぁ。なんで隠密に内側から霊法なんかのめんどくさい結界のほつれを見つけて、こじ開けてって、結構面倒なことをしましてね。細かい作業は、種族的に得意ですし」
「えぇぇ……も、目視できない霊法のほつれ、この短時間で見つけたんですか……」
「戦闘以外はどうとでも」
素っ気なく「ただし先ほどの侵入者には勝てませんから、戦闘は貴方に丸投げしてシカトしてましたから」と言うゼオ様。
ゼオ様はフワフワとゆっくり衝撃を与えないように氷の上へ降り立ち、俺を抱えたままため息を吐く。
ヴァンパイアは夜間能力値がアップする。
ハーフであるゼオ様も、それは同じ。
だから能力低下空間においても、弱体化しなくて済んだのだろう。
「クソ真面目で猪突猛進で、意外と血の気の多いあなたなら、時間稼ぎもできずに死ぬとは思えませんしね」
「っ」
──それは言外に、俺を信頼して空間に穴を開けることに尽力できた、と言っているのでしょうか……?
場違いな期待に胸をふくらませて、自分の瞳が輝くのがわかった。
俺は最低だ。
守れなかったのに、ドキドキしている。
「ぅひッ……」
一面の氷と舞う砕氷にひび割れや淀みがないか慎重に注意しながら、ゼオ様は焼けただれた俺の翼に触れた。
触れた瞬間は痛みが走ったが、なぜかジワリと冷たくて気持ちがいい感覚が広がる。
たぶん……氷属性の彼の冷たい魔力だけを、分けてくれているのだ。
治癒魔法向きではない属性だから、治癒はできない代わりに。
優しくされるとせっかく冷やしてくれているのに、俺の体は熱を増す気がした。
「俺がハーフじゃなくて普通のヴァンパイアなら、もっと早く終わらせられただろうな」
「違いますよ? 俺がもっと強ければよかったんです。弱いから逃がした」
ゼオ様がなんの気なく呟いたそれは、嘆きや悲観ではなく、結果に基づく純然たる事実。
でも魔族ルールだとそれは当てはまらない。
首を横に振って、指先をモジモジとさせながら、俺は返事をする。
「クク、確かに」
「!?」
するとゼオ様は顔を背けて、喉奥を鳴らした。……え、笑った!? あのゼオ様が!
あまりに貴重な笑い声で、俺は目を見開いて脳内で悶絶する。
すぐにいつも通りに戻ってしまったけれど、人生で一回聞けるかどうかの素の笑いだったぞ。きっといいことある。
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