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第6話
自分だけが特別だと、あの写真を見ただけで安心できる自分もどうにかしている。
口の中でもごもごと愚痴を言い、大輔はシャワーを止めた。
ふいに感触が甦り、深い息を吐き出す。
ついさっきまで、田辺は大輔の背後にのしかかっていた。腰を抱き寄せられ、苦しさで泣きたくなるほど揺さぶられる。同時に股間をまさぐられたら、気持ちよくて理性が飛びかける。いっそ手放してしまいたいと思う衝動に抗うのは苦痛だ。
快感を追いたがる本能は、そのたびに荒れ狂い、大輔を打ちのめす。
刑事とヤクザが腰を重ね合って、お互いの寂しさを舐め合うような生々しい馴れ合いは気味が悪い。
田辺は口八丁手八丁のペテン師だ。自分の兄貴分のために、若手の刑事を一人飼っているだけに過ぎない。
かつて岩下自身の管轄に入れられそうになった大輔を、田辺は救ってくれた。あのとき、田辺が自分の担当にしてくれと言わなければ、大輔は岩下の手足になって内部情報を垂れ流す道具にされていたのだ。
泥をかぶった田辺はリンチにかけられ、大事な仕事道具の顔にもアザを作った。だから、大輔も、詫びのつもりで関係を続けてきた。
そろそろ、潮時だ。
行為が終わるたびに、同じことを考える。
バスタブから出て手荒に身体を拭い、バスタオルを腰に巻く。部屋へ戻ると、テレビは消えていた。
律儀に待っていた田辺は、下着にシャツを引っかけた姿で煙草を吸っていた。椅子に座る姿はスマートだ。絵になる。
胸の奥がわずかに疼き、大輔は目をそらした。
別れ話をしなければいけない関係でもない。今夜を最後にして、もう二度と会わなければ、時間が二人を元に戻す。
それだけの仲だ。
「おまえのアニキ。結婚するらしいな」
大輔の言葉に、田辺が煙を吐き出した。紫煙がゆっくりと拡散する。
「らしいね。俺に聞きたいのは、それか。相手は知らないよ。まぁ、いろんなところから縁談を持ち込まれてるらしいけどね。あの人が縁故を絡めるなら、若頭(カシラ)しかない」
「……時期は?」
「相手が決まれば、さっさと籍だけ入れるだろ。要は、戸籍を埋めたいんだから。結婚したっていう既成事実だけを作りたいんだよ。正直、愛人でいいから関係を持ってくれってさ、あちこちの幹部が娘だの親戚だのを送ってきてんだよ。……呆れるよな」
「それ、全部……手ぇ、つけて……」
顔を歪めた大輔に向かって、田辺は苦笑いを浮かべる。
「いやいや、ないない。あぁ見えて、素人の女は、人妻しか興味ないから。だからさー、幹部連中は、自分の嫁を押しつけた方がよっぽどいいんだけどね。さすがにそれはないな」
田辺は灰皿の上で煙草を叩く。灰の塊がぽとりと落ちた。
「聞いた話だと、高校生の娘を差し出してこられたのが、よっぽど嫌だったらしい」
「差し出すって……」
「全裸で車の中にいたんだって。……それに手をつけるって思われてることが、よっぽど頭に来たんじゃない? そういうとこ、あるんだよなぁ。あの人」
そこに心酔しているのだろう。すっきりとした目元を細めた田辺は痛快そうに微笑み、煙草をくちびるに挟む。
大輔は立ったままで言った。
「結婚相手、わかるか」
「調べればね」
「じゃあ、頼む。あと、どのあたりが縁戚関係を作りたがってるか……」
「欲張りだ」
ぴしゃりと言われ、大輔は怯んだ。
「揉め事になんかならないよ。アニキはいつだってうまくやる。人の神輿に乗るようなバカじゃねぇよ」
「……岩下は利口でも、周りが揉めないとは限らないだろ」
「あのさ、三宅さん。あんたが言うなら、俺はいくらでも嗅ぎ回ってくるよ。でも、それに見合ったご褒美、くれんの?」
「だから、今日だって……、おまえ……」
煙草を揉み消した田辺は、拗ねたような表情でちらりと視線を向けてくる。伊達眼鏡ははずしている。
「どうせさー、高校生のマス掻きなんだろ? 一人エッチの手伝いなんかさ、いまさら、どうでもいいんだよ」
「……じゃあ、どうすればいいんだよ。『写真の男』を、俺が連れてきたらいいのか」
「できんの? こいつ、大変だよ」
「……」
「今、労力に見合う情報か、秤にかけただろ。ほんと、ビジネスライクすぎるよ。もっとさ、湿っぽく、俺のことを考えてくれない?」
椅子から立ち上がった田辺が近づいてくる。大輔は一歩ずつ後ろへ下がった。ベッドのそばで壁に背が当たる。腕が大輔を閉じ込める。
「ベッドの上でさ、感じない振りをするの、もうやめろよ」
「……うっせぇ」
そらしたあごを、指先に引き戻される。
「前はもっと素直だった。慣れないことさせて喘がせるのも悪くはないけど。そういうことしてさ、嫌われたくないんだよね」
「知るかって言ってんだろ。だいたい、おまえのことなんか、好きでもねぇよ」
「……俺は、好きだ」
くちびるがふわりと頬に押し当たる。田辺の指先が、大輔の鎖骨をなぞって動く。ぞくぞくと背筋が痺れ、大輔は壁に手をすがらせた。
「お、おまえ、バカなの……? あの男の方がよっぽど、きれいだし。俺なんか、おまえ、どこもかしこも男だし、……ちょっ、そういう触り方……っ」
田辺の指が、喉元から身体の中心を滑り下りる。へそをくすぐられ、とっさに掴んで止めた。
「ん……っ」
くちびるが塞がれ、あごが上がる。
「あんたを本気で喘がせたい。この世の中で、取りすがれるのは俺だけだって、思って欲しいんだよ」
首筋に片手が当たる。その手は優しく動き、大輔の襟足を撫でた。ぞくっと震え、そらそうとした視線を追われる。キスがまたくちびるへと押し当たった。
吸い上げられ、柔らかく食まれる。
「んっ……はっ……」
「舌、出して」
「……や、だ」
「ダメだ。出して」
親指が下くちびるを引き下げ、その間へと田辺の舌が這う。崩れそうな身体を片手に支えられ、大輔は相手を見た。のけぞっているせいで、くちびるが自然と開いてしまう。
「俺を言い訳にして……。な?」
瞳を覗き込んでくる田辺の顔立ちは整っている。
心の隙間にすっと寄り添い、悪魔のように甘くささやけば、奥さま連中はころりと騙され、株式や為替の投資に大金を注ぎ込む。騙されているとわかっていても、かまわないと思わせる魅力がある。
だから、被害者から訴えられることがないのだ。
警察沙汰になるのは亭主が怒り狂うからで、金を払った女たちは口を揃え、投資なんてそういうものだと開き直る。
女の心を奪う手腕は、さすがの岩下仕込みだ。
圧倒的な存在感の色悪を思い出し、大輔は目を閉じた。田辺に求められるままに舌を出す。先端を、ねろりと舐められた。
「んっ」
収まったはずの性欲がジワリと湧き起こる。
「大輔さん。俺を言い訳にしていいから、もう、奥さんとは別れろ」
「な……」
ふざけるなと言いかけ、大輔は、相手の肩を掴んだ。
いつもと違う声と口調に気づき、眉を引き絞って睨みつける。苦々しい顔をした田辺を押しのけ、もう一脚の椅子に積み重なっている自分の服を掴んだ。
「俺は、おまえのものになんか、ならない。絶対にだ」
下着を穿き、シャツを着る。スラックスのファスナーを上げたところで、携帯電話が震えていることに気づいた。椅子の背にかけたジャケットを探っている間に、着信のバイブが途絶えた。残された履歴の名前に、思わず固まる。
どうしようもないタイミングの悪さだ。この数年、嫁からの電話なんて一度もなかった。連絡があっても、そっけないメール一本だ。
すぐに折り返したが、電話は繋がらない。圏外か電源切れだとアナウンスが流れ、大輔は悪い予感に背を震わせた。
携帯電話を握ったまま田辺を振り向く。
「何を、知ってる」
倫子のことは、田辺の方が詳しい。大輔を繋ぐため、定期的な調査を入れているのだ。
「……チンピラに引っかかってる」
田辺は壁に背を預けた。その仕草を睨みつけながら、大輔は靴下を履く。
それだけじゃないとわかっていた。いつも田辺は『奥さんと別れて』と愛撫のようにささやく。でも、今日に限って『別れろ』と言った。その理由は、必ずある。
田辺はそういう男だ。
もう、大輔は知っていた。
キスを繰り返し、身体を重ねてきたからじゃない。甘くささやかれ、優しくされたからでもない。
大輔は、田辺という男を知っている。それは理屈じゃない。
真実を知る心づもりができたと思ったのか、田辺はかすかに唇の端を歪めて笑った。それから手の内を明かす。
「クスリに手を出してんだよ。浮気相手は、売人の手先だ」
「いい加減にしろ!」
こらえきれずに叫んだ大輔は、手にしたジャケットを思い切り田辺へ投げつけた。
身体中がおぞけ立ち、膝がガクガクと震える。
「言っていい冗談じゃねぇぞ! そこまでして、別れさせたいか!」
怒鳴りつけられた田辺は、黙ってジャケットを拾い上げる。大輔は肩を大きくいからせた。
「なんとか言えよ!」
「聞かなかったことにして、さっさと離婚しろ。あの女を籍に入れているのは、俺と寝てるよりも性質が悪い」
「そんなことは、俺が決める!」
差し出されたジャケットをもぎ取り、大輔はつんのめりながら靴を履いた。
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