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2.教室②
奏太が学校に戻る頃にはとっくにチャイムが鳴っていた。授業が始まった廊下は静まり返っている。ハンバーガー屋のポップなデザインの紙袋を片手に歩く自分がひどく場違いに思える。
自分の教室に近づくと、ざわついているのがわかった。他の教室と違って、生徒たちが好き勝手に雑談しているようだ。
ㅤもしかしたら教師が不在なのかもしれない。そんな期待を抱いて、少し開けた扉から教室を覗いた。
しかし、教壇に教師はいた。教師は喋る生徒たちを注意することもなく、淡々と教科書を読み上げていた。
(……シラマ)
白坂誠 は、化学の教師だ。その名前からシラマと呼ばれている。整った顔立ちに肉付きのいい体格がスーツの上からもわかる。妙に色気がある男だ。しかし教師としては、何が起こってもまるで死んだような目をして授業を続けるので、生徒からは完全に舐められていた。
白坂であれば、見逃してくれるかもしれない。
そう思って、奏太は教室に入った。しかし、一歩教室に入った途端、鈴井の大げさな声が響いた。
「うわ、めちゃくちゃ匂う!」
ふざけた彼に便乗しての取り巻きも奏太をからかった。
「お前、授業中に何買ってきてるんだよ!」
「なんだよ、その紙袋。買いすぎだろ!」
奏太は動くこともできず、教室の後ろに立ち尽くした。
ここまで騒がれては、さすがの白坂も反応せざるを得ないだろう。鈴井がにやにやしながら白坂の出方を窺っている。彼は奏太を一瞥した。虚ろな瞳が奏太を映し、少し言葉を選んだあと、ようやく口を開いた。
「……お前、食いしん坊だな」
その一言にクラス全員が笑った。鈴井なんかは腹を抱えて机を叩く始末だ。
「そりゃねぇだろ、シラマ!」
「授業続けるぞ」
軽くあげた白坂の手には結婚指輪が白く光る。自分には永遠に縁がなさそうな代物だ。暴君の鈴井にも、廃人のような顔をした白坂にも彼らを愛する人がいる。
自分を笑う声に包まれながら、奏太は惨めな気持ちで自分の席についた。
そしてすがるような気持ちで、机の中のスマホを手に取った。
白坂は授業中にスマホをいじる生徒を注意などしない。奏太は画面に指を滑らせて、アプリを起動させた。そして手慣れた手つきでメッセージを書き込んだ。
『今日の夜、会える人探してます。ホテル代負担します。ソウタ』
ゲイ専用の出会い系アプリだ。
奏太がそのサイトで偽名を使わないのは、それがセックスを前提としているからだ。
肌を重ねる相手に偽名で呼ばれたくなかった。
高校生の彼が危険を冒してまでサイトを利用するのは、性欲を発散するためではなく、孤独を解消するためだ。
男を好きな自分を受け入れ、求めてくれる。そこは奏太にとっての楽園だった。誰かと肌を重ねている時だけ、自分が一人じゃないと実感できる。
さながら、そのサイトはこの鬱屈とした現実の世界から連れ出してくれる窓であった。自分と同じ人間を眺めることができて、必要であれば鍵を開けて飛び出すことができる。楽園を映す窓。だから、奏太はスマホが手放せない。
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