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55.水族館②
中は五、六人入れば満員になるほどの小さな空間になっていた。足元まである暖簾を戻すと部屋の中は真っ暗になって、水槽にいる魚が煌めいた。
「きれ……えっ…」
綺麗だなと感心した瞬間、顎を掴まれて顔を上げさせられた。唇に柔らかいものが触れる。微かに煙草の苦い味がして、それが白坂の唇と知る。
「……んっ」
とっさに目を閉じて応じたキスは唇を軽く吸われて、すぐに離された。目前に彼のしてやったりという顔が広がった。
「人の顔じろじろ見やがって」
「……え……、な……」
「キスしたいって顔に書いてたぞ」
その言い草にムッとして、白坂の肩を掴んで壁に押し付けた。
「キスしたかったのはシラマだろ」
身体を壁に押し付けたまま睨むと、少し背伸びをして唇を重ねた。開いた歯列に舌をねじ込んで、上顎をくすぐるように撫でた。
ぴくりと反応するように白坂の手が奏太の腕を掴む。逃げるように顔を背けようとする彼を逃さず、股の間に足を入れた。
「ん……っ、ふぅ……ん……」
カーテンの向こうからイルカショーを知らせる館内放送が聞こえてくる。表の喧騒に混じって白坂の鼻から漏れる甘い声にぞくぞくした。舌を絡めていくうちに互いに熱を帯びていくのがわかった。
腕を掴む手に力が入り、白坂が焦っているのがわかる。
「はっ……おい、いい加減に……しろ、んっ……!」
息継ぎする間に発した反抗の言葉をまた口づけで塞ぐ。股に差し込んだ足を密着させて太ももで白坂自身を擦ると大げさなほど身体がビクリと揺れた。引き剥がすように腕を掴んでいた手が背中に回った。もう一度唇を離すと、彼はもう何も言わずに潤んだ瞳を奏太に向けただけだった。
その時、入口の方から子供の声が聞こえてきた。
「お母さーん! 真っ黒の部屋があるー!」
ワンピースを着た子供が暗闇に飛び込んできたのと、奏太が白坂から離れたのは同時だった。白坂は壁に身体を預けた状態で息を整えていたが、子供は目の前の光る魚に夢中でこちらを気にする様子もなかったのが幸いだ。彼は悔しそうに前かがみになって水槽を見ていた。
「くそ……」
「大丈夫?」
赤く染まった顔を覗き込もうとすると手で払われた。しかしその表情は穏やかな笑みを浮かべていた。
「やっと調子が戻ったな」
「え……」
「少しは緊張が解れただろ」
その言葉の意味に気づいて奏太も顔が赤くなった。
白坂は緊張しっぱなしの奏太のためにキスしてくれたのだ。確かに凝り固まっていた緊張が随分解れた。
「イルカショー見にいくぞ」
白坂は汗ばんだ額を手で拭うと悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑顔に奏太はまた唇を重ねたくなった。
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