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SCENE8
車で青山にある凛の所属事務所に行った。地下の駐車場に車をとめ、エレベーターで五階に上がる。誰もいない受付の前を通り、応接室に入った。その間、なぜか誰にも会わなかった。
応接室のガラスのローテーブルの上に、ぶ厚くふくらんだ茶色のファイルが置かれていた。表紙に乱暴な字で「ラブソングを歌え」と書かれ、下に小さく、撮影・石橋北斗とある。
俺達は、「ラブソングを歌え」というタイトルがつけられたファイルを前に、並んで座った。
いったいこれはなんなのか。説明を促すように凛を見ると、凛は弱々しく微笑んだ。
「北斗が撮りためた中から選んだ俺の写真を、写真集として出版できるように、構成したものなんだ。企画書みたいなものまで添えて、亡くなる前に両親に託したらしい」
凛はいとおしむような視線を、ファイルに向けた。
大きな身体に、弱く繊細なこころ。そんな凛が歌えなくなることを分かっていて、北斗はこれを遺した、ということなのか。
素直にうらやましい。それだけ、北斗は自分が愛されてると感じていたんだろう。「ラブソングを歌え」。いいタイトルだと思った。なによりも強く、俺が凛に望んだこと。
凛は俺の手を握り、ふうっと息を吐いた。静かに腕を伸ばして表紙を開く。
最初のページは、赤いライトの中の、凛の横顔。リビングに飾ってあった写真の一つだ。凛はしばらくその写真を見つめ、おもむろにページをめくった。
ラブソングを歌え。
左のページにはそれだけが書かれ、右にはステージで全身でシャウトしている凛。放出しているパワーが見える、迫力ある写真だ。
ラブソングを歌え。
北斗の手書きの文字が、写真の合間に何度も繰り返す。
ステージで。レコーディングで。ツアーのリハーサルで。
凛は、歌う。
北斗のカメラは、どこまでも真摯に歌に取り組む凛の姿を、しっかりと受け止め、とらえている。
キーボードを前に頭を抱えている凛。鬼気迫る表情で作詞している凛。ツアーをサポートするメンバーと、険しい顔で話しこんでいる凛。
「俺、すげえな。音楽やってる時、こんなかっこいいんだ」
心から感心したように言う凛。俺は笑って、凛の肩に肩をぶつけた。
「ダメじゃん、それ自分で言っちゃ」
俺が言うと、凛ははにかんだ笑みでページをめくった。
「うぬぼれじゃなく、時にはそう思わないと、つぶされそうになるんだ。実際、北斗がいなくなって、俺はつぶれちまった」
俺は笑みを消し、凛を見つめた。
「手紙が入った段ボール、めちゃめちゃ重かった。その重み以上に、応援されてるのを実感できた。お前のおかげで目が覚めたよ」
そっと、ほんの一瞬だけ唇を触れあわせるキス。
「ダメだよ、北斗に悪いよ」
俺は照れまくり、あわてた。北斗の最後の作品を前に、キスなんて悪いと思った。
「かわいいこと言いやがって」
くしゃくしゃと髪をなでられる。写真と同じ、凛の笑顔。うれしかった。まぶしかった。
「俺、お前に甘えたり、甘えられたりする時間が好きだった。こんな、歌えなくなったどうしようもない俺でも、存在してていいんだ、って思えたから」
俺は写真を見つめてるふりで、湧き上がってくる喜びに耐えた。優しくてせつなくて、泣きそうだった。
「ごめんな、どうしてもお前と北斗を重ねちまって、そんなんでお前にふれちゃ、悪いと思って、だから……」
不器用な凛の言葉。俺はやっとの思いで言った。
「……もう、いいから。北斗に悪いよ」
「あいつもきっと、安心してるよ」
そっと頭を抱き寄せられる。
「都合、よすぎるよ」
泣きべそをかいているような、ぼそぼそと情けない声が出た。顔を上げられない。
「だよな。ごめんな」
謝らないで欲しい。謝らなくていい。俺は凛の手を握りしめた。
その後、俺達は黙って、ファイルの続きを見た。ファイルの後半は、凛の笑顔ばかりだった。ライブ中の、充実感に満ちてる笑顔。打ち上げでの、楽しそうなスナップ。
凛は懐かしそうに目を細めて写真を眺め、そっと最後のページをめくった。
ラブソングを歌え!
ページいっぱいの文字は、一見力強そうに見えたけど、線が震えていた。
俺の分までいい歌作らないと、化けて出てやるぞー 北斗
挟んであったメモ用紙に、小さく弱々しい文字。ふざけてる言葉と、字の弱さのギャップがせつない。
「あのバカ……」
つぶやいて、凛は乱暴に顔を両手でこする。泣いているのかと思って、俺はそっと凛の肩にふれた。
「俺……、また歌おうと思うんだけどさ」
顔を上げた凛は、穏やかに笑っていた。凛の言葉に、ゆっくり深くうなずく。
「そばに、ネタになってくれるヤツがいてくれないと、ダメなんだよ」
え? ネタ? いきなりなに言い出すんだ?
「なにきょとんとしてんだよ、口説かれてんのに気づけよ」
凛は思いきり俺の頭をこづいて、すねたのかそっぽを向いた。
「だって、そんな、俺……」
意味をなさないつぶやき。うつむいて、俺はなにも言えなくなる。
「俺を信じられないなら、ゆっくりでいい。お前と、恋をやり直したい。ずっと俺のそばにいて、歌う俺を見ててくれ」
「凛……」
見つめあった。ゆっくりと、こころを重ねあわせるように抱きあった。
俺にはまだ、不安もある。おそれもある。ただひたすらに想うことしかできない俺なんかが、凛のそばにいてもいいのかと。
だけど、凛がそれを望んでくれるなら、そばにいよう。凛がラブソングを、ずっと歌っていけるように。
END
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