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第1話

「七緒、これからバイト?」 「うん。また明日」 「じゃあな」 友人に手を振り、笹倉七緒(ささくら ななお)は大学を後にする。 重たい教科書が沢山入ったリュックを背負いながら、スニーカーでアスファルトを踏みしめるように坂道を下っていく。 腕時計に視線を落として時間を確認し、空を仰いだ。青空には白い雲がポッカリと浮かんでいる。 季節はもうすぐ夏だ。 少し汗ばんできたので長袖のTシャツを腕まくりしていると、前方から子犬を連れて歩く老人がやって来たから、すれ違いざまにじっと子犬を観察した。 その子犬はポメラニアンだった。 愛らしい目をウルウルさせながら、尻尾をふりふり。 きっと老人の唯一無二の癒しの存在だろう。 かつては七緒も、犬を飼っていた。 名前はマル。 シェットランド・シープドッグだったマルは、コリーと外観が似ているからよく間違えられた。 七緒が子供の頃にやってきたマルと、その人生の大半を共にした。 辛い事も嬉しい事も共有した。 親には言えないような悩み事だって話した事もある。 相棒みたいな存在で心の拠り所だったマルだったが、中学に上がった頃に突然死んでしまった。 あの時のショックは今でも忘れられないでいる。 家族同然だったマルが突然いなくなってしまい、しばらく立ち直る事が出来なかったのだ。 「ワンッ」 背後から犬に吠えられ、ハッとして反射的に振り返った。 けれど、どこにも犬の姿は見当たらない。 その代わりに少し向こうで佇む一人の青年と目が合った。 見知らぬ彼と目が合ってしまい、少々気まずく思いながら慌てて視線を逸らす。 空耳か、と首を傾げながらふいと前へ向き直した瞬間だった。 「ワンッ!!」 さっきよりも大きな吼え声に心臓が跳ねるほど驚き、即座に振り返った。 視線を泳がせて犬の姿を探すけど、先程と同様、そこにいるのは男だけだった。 (え、何?なんか俺の事、睨んでる……) 先程目が合った時は気付かなかったのだが、男はまるでこちらに怨みがあるかのようにキッと睨んでいた。 男は季節外れのニット帽をかぶっていて、上はグレーのパーカーに、その華奢な体形に合っていないブカブカのワイドパンツという格好だった。 どことなく今風で若い印象だから同じ大学の者かとも思ったが、特に見覚えは無い。 すぐに視線を外し、七緒は向き直ってバイト先のカフェを目指す。 すると、ざっざっ、と同じくらいの速さで足音がついてくるのに気が付いた。 (――え、何だよ。何でついてきてるんだ?) さっきより自然と早歩きになる。 どんどん足音が近付いてくる気がしてきて、恐怖に駆られた。 そういえば、ここらへんで最近不審者が出たらしいとバイト先で聞いたのを思い出した。 もしかしたらそいつかもしれない。 見た感じひょろかったし強そうでもないけど、あぁいう普通っぽい見た目の奴こそ凶器を持ってたりする可能性もあるから、変に絡まれたりしたくない。 次の曲がり角を曲がった瞬間、全速力で走り出していた。 店の外観が見えてきたところで振り返ってみたけど、男の姿は無かったからホッとして、カフェの水色のドアを開けて中に入った。

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