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嘔吐く
結局この任務は、無事完了だと報告することになった。
あのパーティーでのテロを起こした男は、単独犯であるとの見立てがたったが、それは否定せざるを得ない状況となる。第七師団が回収した男は既に息絶えており、腐敗が進んでいたという。胃からは人の爪や髪の毛が大量にでてきたらしく、さらに言えば項には鋭い爪で引っ掻かれたような跡があったと報告があった。この摩訶不思議な死体に、解剖班は首を捻らせた。
死亡したと見られる日にちから大分経っているというのに、実際この死体が動いているところを目撃しているのだ。
あの屋敷に、メレフの死体は無かったという。俺が撃ちぬいたはずのあの男は、一体どこにいったというのか。謎が深まってしまった。
「アオ」
目の前に映る蒼眼が曇ることなく、俺を見つめる。その真っ直ぐなこの視線から邪心は感じられず、アオはアオでしかないのだと年下のくせに俺よりも大きな手を両手で掴んだ。
温かいこの手が、死んでいるなんて信じられなかった。
「…しー、俺は自分のことがわからない。でも、…自分がなんであっても、俺はしーと一緒にいたい。」
お互い椅子に腰を掛ければ視線が重なる。アオの項へと手を伸ばせば、ざらりとした触感。アオの少し長い髪を上げて見てみると、そこには鋭い爪で抉られたような傷跡が鎮座していた。
「…ッ」
俺には、アオの温かい両手を握って、項垂れることしかできないのだ。
***
「君はとてつもなく清らかで、真っ白だ。」
「…エレクアントさん」
任務の報告書をまとめ、提出をしに師団長部屋へと向かった。エレクアント氏とトーカがおり、それだけで尻込みしてしまう。この男二人はまず何を考えているかわからない上に、口でも腕でも勝てる気がしないのだ。恐ろしや。
突然女性を口説くそうな言葉を掛けられてどう反応すればいいかわからない。一方でトーカはエレクアント氏をじっと見ており、それこそ何を考えているかわからないのだ。
「今回の任務、俺は貴方を最後まで護りきれなかった。…申し訳ありません」
自然と下がった視線。
それを上げるためか、慰めるためか、男の掌が眼前に迫った。そっと頭に乗せられた掌。どろりと胃に黒いものが流れるような感覚がする。
「…すみません、やめてください」
視線も上がれず、なんとか平静を装って拒絶の言葉を床に落とした。
「悪かったね、君も思春期の男の子だというのに」
「いえ…」
そのあからさまに馬鹿にしたような言いぐさに、腹が立つ。やはり、この手の大人は胡散臭い上に、相手にしてはならないのだ。
「どうして謝るんだい?君にやれることは全てやったさ」
「…俺の任務は貴方を護衛することです。…でも、」
爪が食い込み、掌に血が滲む。
「俺はその場を離れた。彼の悲痛な叫びに、自分勝手な行動をした。」
「私が言いたかったのは、『君は、その澄んだ目でどこまで見渡せるのか』そう言いたかっただけだよ」
「…どこまで…?」
「この第七師団三番隊がどうして生まれたのか、その答えを見つけることができるかい?」
「おい、余計なこと言うんじゃねェ」
今まで黙っていたトーカの鋭い視線がエレクアント氏へと飛んだ。殺意が霧のように地を這って、足先が冷える。
「はは、そんなに怒らないでくれ。君のそれは冗談なんかではないだろう。…殺されるのは勘弁だからね。そろそろお暇しようかな」
エレクアント氏は意外にもあっさりと引き、師団長室から出ていった。その美しい所作を見送ることなく、シキはうずくまる。
「オ”ェ…ッ、う…」
嘔吐くシキの身体を持ち上げたトーカは、長いリーチを利用して手洗い場へと向かう。便器へと顔を突っ込ませ、長い指をシキの口に突っ込んだ。
「吐け」
指で喉奥を刺激する。強制的に嘔吐させられたシキは、トーカの腕に縋った。
背中を摩る手は優しく、意外性しかない。自分が「男に対してアレルギーのようなもの」を持ってしまったという衝撃的な事実よりも、トーカは例外であるということに、また寒気がした。
「…げほ、は、はあ…なにすんだよ…」
生理的な涙が溢れ、縋りついてしまった手は離すことができない。
しばらく胃になにも入れていなかったためか、便器とトーカの指にぶちまけられたモノは案外綺麗なものであった。
「お前、俺は大丈夫なのか」
そう言ってもう片方の手を頭に置いた。それとともに、背筋が凍り全身から血の気が引く。
「やめろ、無理」
そう言ってるのに、なかなかやめないトーカに腹が立つ。また吐いてしまうからやめてほしいのに。
「ほんと、やめてください、無理」
頬を掴まれる。結構な力で掴まれたため、ちょっと痛い。いや、かなり痛い。
その不機嫌そうな顔が、いたずらっ子のような表情へと変わり、口角があがる。いたずらっ子なんてかわいらしいものではない。凶悪犯が目的を達成した時のような顔だ。
「俺で、克服しろ。それを」
「…は?」
「俺が、お前のそれを治してやるよ」
俺様トーカが言い出したからには、止まらない。それはわかっているが、この笑みをするトーカが考えることはロクなことがない。
「いや、いいですほんといいです」
「じゃあ、それで任務に支障がでることはないんだな?」
そこを突かれてしまうと、俺にはなにも返すことができない。
「いい案だろ?なァ?」
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